改訂新版 世界大百科事典 「アッシュールバニパル」の意味・わかりやすい解説
アッシュールバニパル
Assurbanipal
Ashurbanipal
古代アッシリア,新アッシリア帝国最盛を飾るサルゴン朝の最後の王。在位,前668-前627年。正しくは,アッシュール・バーニ・アプリAššur-bani-apli(〈アッシュール神は嗣子の創造者〉の意)。父王エサルハドンによって前672年に皇太子に定められ,前668年即位。まず父王の遺した世界帝国の版図の維持につとめたが,前655年ついにエジプトを放棄した。北方および東方では,リュディア王ギュゲスと同盟してキンメリア人,マンナイ人,エラム人の侵攻に対して国境を守った。フェニキア,ユダヤ,エラム,カルデア,エジプトと秘密同盟を結んだ兄のバビロニア王シャマシュシュムウキンShamash-shumukinが前652年反乱をおこすと,王は進んでバビロンを攻囲し,前648年これを陥落させた。兄王は炎の中に身を投じ,エラムも再征服された。王の治世の晩年には,リュディア人やメディア人の領土拡大のために北・東交易路がおびやかされたが,帝国は経済的繁栄をつづけた。
王はまた楔形文字に関する完全な知識をみずから誇りとし,文学・歴史や諸学芸を理解し,保護した。首都ニネベの王宮内の図書館の中に収集・整理されていた,膨大な神話・文学・語学などの文献が,今日,大英博物館に保存されており,その数は2万点を超える。これら王の収集した文献はアッシリア学確立のための基本資料となった。同じ王宮内の傑出した浮彫群もまた王の鑑識眼を証明している。
執筆者:山本 茂
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報