1923年の関東大震災後から昭和初期にかけて,急速にひろまった女性の夏季用洋服で,簡単服ともいう。語源は裾がパッとひろがるという大阪言葉に由来する。ウェストにギャザーを入れて裾幅を広くしたスカート,襟なし,半袖のワンピースは,その名のとおり簡単なスタイルであった。最初に売り出したのは,震災後の服装改善を唱える婦人之友社で,大正初期から洋装化を推進してきた同社は,災害後の社会変化を好機に,1枚1円の簡単服を製造販売した。これがひじょうによく売れたので,既製服業者も着手し,大阪商人は積極的に1枚70~80銭のアッパッパを売り出した。浴衣地1反の値段で2枚も買える安価なアッパッパは,和服よりも涼しく,活動的な夏着で,従来の高級洋装に縁のなかった低所得層の女性たちが着用し,主婦にも着られた。下駄ばきスタイルのアッパッパは嘲笑されたが,1932年夏の猛暑に,みえも外聞もないといわれるほど広まった。第1次世界大戦後,都市中産階層の有職女性に着用されはじめた大正洋装は,アッパッパによって,一挙に庶民生活へ拡大した。その後,昭和洋装の発展に伴って,アッパッパの向上が進められ,35年ごろには,ホームドレス,ハウスドレスという名に変わり,洋装普及に大きな役割を果たした。
執筆者:中山 千代
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…初期の既製服は軍隊,官員,日赤看護婦,女学生などの制服がほとんどで,その後,子ども服,学生服のほか背広服,婦人服,コート類も作ったが,成人の服は〈つるしんぼう〉の異名がつくほど粗悪だった。第2次大戦以前の既製服で愛用されたのは,1923年の関東大震災以後に登場したアッパッパと呼ばれた夏の婦人用家庭着ぐらいである。敗戦後アメリカからの救援物資で欧米諸国の既製服に接して,機能性が重視されるようになり,また海外のモード情報やナイロン,ポリエステルなど新しい合成繊維の素材の出現が服装観を変えることとなった。…
※「あっぱっぱ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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