世界大百科事典 第2版 「アナ・ボル論争」の意味・わかりやすい解説
アナボルろんそう【アナ・ボル論争】
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
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…一方,大杉栄は荒畑寒村とともに雑誌《近代思想》を創刊(1912)し,アナルコ・サンディカリスムの立場から新しい思想的啓蒙を行っていたが,クロポトキンの《相互扶助論》の訳出をはじめ,アナーキズムを広める活動を行った。こうして,1921年前後に両者の対立は〈アナ・ボル論争〉として激化し,労働運動にも大きな影響を与えたが,やがて堺や山川らは国際共産主義運動と結びついて日本共産党を結党し,〈アナ・ボル論争〉もボリシェビズムが勝利して,日本のマルクス主義の基調となった。 これを指導した理論家は山川均であり,彼は労働運動を無産階級の政治闘争へと転換する〈方向転換〉を明確にした。…
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