アボリジニー(英語表記)Aborigine

デジタル大辞泉 「アボリジニー」の意味・読み・例文・類語

アボリジニー(aborigine)

《先住民の意》オーストラリア大陸の先住民。伝統的に狩猟・採集生活を営み、父系的氏族社会を構成してきた。1967年に市民権が与えられた。言語系統は未詳。アボリジン。
[補説]近年、呼称としては使われなくなっており、代わりに「先住民」を意味するアボリジナルピープル(aboriginal people)またはインディジナスピープル(indigenous people)が用いられる。

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精選版 日本国語大辞典 「アボリジニー」の意味・読み・例文・類語

アボリジニー

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] Aborigine ) オーストラリア大陸の先住民。人種的にはオーストラロイドに属する。二〇世紀初頭まで、石器時代同様の採集・狩猟生活を続けて来た。一九六七年、国民投票により市民権が認められた。

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改訂新版 世界大百科事典 「アボリジニー」の意味・わかりやすい解説

アボリジニー
Aborigine

中国人やヨーロッパ人の渡来(1788)以前からオーストラリア大陸やその沿岸のタスマニア島などに住んでいた狩猟採集民を指す。官民ともにアボリジニー(アボリジン)Aborigine,アボリジナルAboriginal と呼んでいたが,最近は公的には先住民indigenous peopleという表現が好んで使われ始めている。ただし,これはアボリジニーだけを指す用語ではなく,文化のやや違うトレス海峡諸島民を含み,さらに,かつて渡来したオセアニア諸島民(ニュージーランドのマオリを除く)も行政,日常生活においてはオーストラリア先住民として一括されている。アボリジニーの祖先は,約7万年前にアフリカを出てユーラシア大陸を海岸や島嶼を伝って東に向かい,やがてアジア一帯に広まった現生人類の一部で,オーストラリア大陸には遅くとも5万~4万年前に到達し,その後も数波の移住があったと考えられている。当時は氷期の海面低下でジャワ島付近までがアジア大陸から続くスンダランド,ニューギニアとオーストラリアがサフール大陸と呼ばれる広大な陸地になっており,移住の大部分は陸路で,スンダランドとサフール大陸の間は島伝いの航海が可能であった。オーストラリア大陸と陸続きであったタスマニア島には約3万年前に到達し,1万年前の後氷期の海面上昇で切り離された。人類学上,アボリジニーは遺伝的に最も近いトレス海峡諸島民やニューギニア先住民と一括してサフール人と呼ばれ,分子系統学的には明らかにアジア人の系統に属する。アジア人の中での系統上の位置づけはネグリトに比較的近いが,相互の遺伝的距離そのものは大きい。これは,分岐年代が古いことを意味しており,両者とも初期に移住した狩猟採集民の残存であることを反映していると考えられる。

身体的には,チョコレート色の皮膚,中身長,長頭,波状毛,くぼんだ目,広鼻,厚い唇,大きな口,多毛などを特徴とする。その言語の地球上諸言語との類縁関係は不明であり,18世紀に260~300種あったとされる部族語は,現在170に衰滅して26~28種に分類されている。母語である部族語を日常的にもっぱら使っている共同体はおもに辺境の地に限られる。政府は部族語の研究と保護につとめ,学校教育に部族語を取りいれている地域もあるが,効果はあまり上がっていない。都市に住む先住民には自らの部族語をほとんど知らない者さえ増えている。人口はかつて30万~75万人あったとされ(1788),諸説がある。その後,植民政策の深化・拡大につれて激減を続けて約5万人に落ち込み(1930年代),のち増加に転じて30万3261人(1994,オーストラリア連邦の全人口比1.7%)に回復した。法的にアボリジニーと認められる条件は,出自,自己申告,共同体による認知の三つである。また,国勢調査では1966年を最後に純血・混血の区別は行われておらず,アボリジニーか否かは自己申告に基づいている。近年では,先住民優遇政策と混血の増加によって申告者が急増し,トレス海峡諸島民を含む人口は,2006年6月の時点で51万7200人(全人口比2.5%)と見積もられている。居住地はオーストラリア連邦全土に分布し,東部沿岸,南部沿岸に多い。混血は急速かつ複雑な形で進み,アボリジニーの過半数を占める。今日,純血・混血別の人口を把握することは不可能であり,タスマニア島とビクトリア州には純血は皆無とされる。またオーストラリア全大陸にわたって諸部族を総括する政治的統一組織はもともとなかったから,アボリジニー全体を指す自称は存在しなかった。
執筆者:

20世紀初頭までほぼ石器時代と同じ生活を営み,半遊動の採集・狩猟を行い,南部を除いて衣類を着用せず,住居は蜂房状小屋か風よけ小屋が多く,道具類は移動時に持ち運びできるものに限られた。主要な道具は打製石器,槍,投槍器,ブーメラン,樹皮製カヌー,いかだ,掘棒,木製皿,骨製針,紐などであった。こうした長期間の停滞は,単に地理的な孤立によるというより,むしろ,古くからインドネシアおよびニューギニアと交流していたにもかかわらず,技術と道具の大量移入を必要としなかったことに起因する。神話,楽器(ドラム,吹奏楽器ディジェリドゥーなど),仮面,タバコなどは移入,借用したが,弓矢,石製の槍の穂先,アウトリガー(舷外浮材)などは移入されたものの普及しなかった。このように技術の借用に保守的だったのは,乏しい自然資源の利用を最小限に抑えて,人口の増加を長期的に調整せざるをえなかったからである。しかし,このような歴史的背景は,先住民の消滅を待っていたイギリスの植民政策を支えることになってしまった。その後,1930年代以後(正式には1961年)の同化政策や70年代以降の多文化主義政策への政策転換のなかで,先住民は急速に社会保障への依存度を高めて近代化を進めてきた。しかし差別,偏見の壁は今なお厚く,雇用の機会が限られているので貧しく,2002年の先住民の所得は全国民平均の59%,失業率は約2倍,乳児死亡率は約3倍で,平均寿命は18歳短い。

地域差は大きかったし,全大陸にわたって統合される社会組織はなかった。社会組織の基盤は部族とバンドにあった。部族数は18世紀に500~600,部族の規模は大小さまざまで(100~1500人),各部族は複数のバンド(数家族ないし十数家族)から成っていた。バンドはふつう父系血縁者,他バンドから婚入する配偶者,およびその子から成り,長老の男性が権威をもち支配していた。他方,母系に連なる個人的の結びつきが網の目のように広がっていた。結婚に関する規制はきびしく,交叉いとこ婚(父の姉妹の子または母の兄弟の子との結婚)を核として,まれに見る複数かつ整然とした親族関係をもっていた。さらに,トーテミズムに基づく外婚制によって部族内部が2,4,8の結婚組に分かれていた。この結果,親族の結び付きは強く,近代化に伴って弱まってはいるが,今なお僻遠の地はもちろん,都市に住む先住民の間にさえも大きな影響力をもっている。

バンド,部族の構成員の強い結びつきは,言語,神話,トーテミズム,土地,結婚規制などに起因するが,それらを凝集化して示すのが,先祖発祥の地として神聖視される聖地に対する態度である。聖地は,近代的な時間・空間観念とは無関係の〈夢の時代〉に超人的・超自然的な先祖によって創造されたものである。したがって先住民の土地観念は近代社会とは異質であり,それが今なお生きている。1960年代に高まった先住民の土地権(ランド・ライツ)への強い政治的主張は,この土地観念によって裏付けられている。高等教育を受けて近代化に成功した少数の先住民はいま,こうした伝統文化と近代文化との間を揺れ動いている。
執筆者:

オーストラリア先住民の,ひじょうに発達した神話や信仰を如実に反映するのが,彼らの岩壁画(彩画,刻画)や樹皮画である。岩壁画の主題は世俗的なものもあるが多くは宗教的なもので,ウォンジナWondjinaと呼ばれる降雨の神--口がなくて,頭のまわりに放射状の輪があり,胴体が縞状になっている--などがあらわされる。岩壁画はオーストラリア全土に広く分布しているが,北部ではウォンジナなどの描出をともなう自然主義的様式が支配的で,南部では円,渦巻,波状線などによる幾何学的な線画が多い。奥行きの浅い洞窟や岩陰に描かれ,外からは見えない身体内部の内臓などを図式的にあらわす,いわゆるX線描法が見られる。この描法は,樹皮画にも用いられる。樹皮画は北部のアーネム・ランドに広く分布し,現在も描き続けられている。いずれも神話にまつわる表現で,超越的な精霊を形象化したものである。たとえば,大昔の英雄で,オーストラリアに初めて到着したというジャンカオDjanggawu,人間と大ガラスの合体した半人半動物であるダインガンガンDaingannganなどが赤,黄,白,黒の4色で,木の枝を嚙んでつくった筆で描かれる。オーストラリア先住民の美術には,以上のほか,丸彫の人像や,陰刻・彩色された祭儀棒,日常の道具がある。彫刻(人像)はアーネム・ランドやメルビル島に多く,昔の墓標から発展した伝統的なもの(前者)と,伝道教会の聖人像をかたどったもの(後者)とが見られ,両者は様式的にもかなり異なっている。
執筆者:

日本の明治政府による北海道経営の場合と同じく,イギリス政府は先住民との間になんらの協定も結ばないで,この大陸に植民国家を建設した。前述の先住民人口の激減は,官民による殺傷,圧政,虐待と差別,キリスト教への強制的改宗,伝染病とアルコールの持ち込みなどに起因する。なかでも,土地の恣意的な取り上げ,先住民の伝統的生活の破壊によって生きる手段,意欲を失わせたことが決定的であった。植民者は表向きは保護政策を謳うようになった後も,実質的には先住民の消滅を願っていたのである。その後,国際的影響のなかで同化政策に転じて先住民人口が増加し始めたが,1967年の憲法改正によって,先住民に関する立法権が連邦政府に移り,州政府による先住民の取扱いに連邦政府が介入することができるようになり,さらに先住民が国勢調査の対象人口となり,オーストラリア国民として法的に平等となった。実は先住民は,1940年代に第2次世界大戦に動員されて軍に協力したこともあって,戦後に土地権を要求するたたかいを各地で展開したのであるが,これに拍車をかけたのが憲法改正であった。これと前後して白豪主義が放棄され,異なる文化との共生を謳う多文化主義が政治・行政面で動きだした。こうした状況のなかで先住民のさまざまな解放運動が土地権という共通の目標を共有して活発化した。鉱物資源開発(特にウラン),聖地,放牧地などをめぐる裁判が多いが,連邦最高裁のマボ判決(1992)は,歴史的に植民国家が拠り所としてきた〈無主地〉(テラ・ヌーリウス)の観念を否定して,先住民の領土的主権を認定した点で画期的である。しかし諸判決も連邦政府による行政も揺れ動いていて,その帰趨は不透明である。連邦政府は先住民省(1972)と先住民発展委員会(1980)を発足させたが,これらを解体縮小して諮問委員会としての先住民トレス諸島民委員会(ATSIC)(1990)とし,国内総生産(GDP)の1割弱を先住民のために支出している。近代化に伴う高等教育の普及,公務員採用策などによって,弁護士や連邦政府職員になる先住民が増加し,先住民の上院議員,画家,作家なども出現,先住民問題解決を促進している。国内問題としてはもちろん,先住民問題は国際的な問題としても多くの注目を浴びている。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「アボリジニー」の意味・わかりやすい解説

アボリジニー

オーストラリアの先住民の総称。アボリジニーとは,〈先住民族〉〈原住民〉一般を意味する英語aborigineに由来。人種的にはオーストラロイド。皮膚はチョコレート色で巻毛。西欧との接触以前は,小集団に分かれ,弓矢,槍,ブーメラン等を用いて,採集狩猟生活を営んでいた。人類学的には複雑な婚姻規則,トーテミズム,成人式の儀礼が有名である。人口は都市居住者も含め28万3000人(1991)で,オーストラリア全人口の2%に満たない。1967年になってようやく市民権が認められたが,いまだに残る差別を撤廃し,様々な権利の復権などをめざし,先住民運動が繰り広げられ,2008年2月オーストラリア政府は先住民に初めて公式に謝罪した。→オーストラリア諸語マボ判決
→関連項目アーネム・ランドウルル-カタ・ジュタ国立公園エアーズ・ロックオーストラリアカカドゥ国立公園採集狩猟民ディジェリドゥーノーザン・テリトリーリザーベーション

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旺文社世界史事典 三訂版 「アボリジニー」の解説

アボリジニー
Aborigine

オーストラリアの先住民
東南アジア方面から渡来したと考えられる。人種的にはオーストラロイド。白人到来によって人口は激減し,1876年にはタスマニア先住民が絶滅したが,アボリジニーは20世紀にはいってオーストラリア政府の保護政策などの結果,混血を含めて人口は増加している。狩猟採集生活をおくり,槍・投槍器・ブーメラン・カヌーなどを用いる。1967年憲法が改正され,公民権が与えられるようになると,白人に奪われた土地に対する権利回復が問題となってきた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アボリジニー」の意味・わかりやすい解説

アボリジニー
あぼりじにー

オーストラリア先住民

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世界大百科事典(旧版)内のアボリジニーの言及

【オーストラリア】より

…つまり,地下生活に適応したフクロモグラ,樹上性で滑空するフクロモモンガやチビフクロモモンガ,ユーカリの葉だけを食物とするコアラ,草食性で半砂漠にすむアカカンガルー,林縁性のハイイロカンガルー,食肉性のフクロオオカミやフクロネコ,アリを専門に食べるフクロアリクイなどさまざまなものが生息する。残りの半分は比較的新しく入って来た真獣類のネズミとコウモリの仲間,先住のアボリジニーが連れて来た野犬(ディンゴ),および植民後に白人がヨーロッパなどから導入したウサギ類,キツネ,シカ,ラクダなどである。オウム科(オーストラリア産52種)の原産地である同大陸からは,733種の鳥類が記録されている。…

【オーストラロイド大人種】より

…しかし皮膚の色は濃褐色で,長頭で脳容量が小さく,眉上弓が発達し,広鼻で鼻根部がくぼみ,唇が膨れている点など,原始的な特徴をもつ。アボリジニーとセイロンのベッダがこの大人種に属する。氷河時代末期にはオセアニアだけでなく,アフリカの北部や南部にも類似の頭骨特徴をもつ人々がいたようで,これらもオーストラロイドと呼ばれる。…

【オセアニア】より

…ただし,その移動の時期は地域によってかなり異なる。(1)アボリジニー オーストラリアの先住民であるアボリジニーは洪積世末の第4氷期(ウルム氷期)に東南アジアからこの大陸へ移動してきたものである。当時は海退期にあたり,海面が現在よりも100m以上低下してオーストラリア,ニューギニア,タスマニアは陸続きとなり,また,インドネシアのジャワ,スマトラ,ボルネオもアジア大陸と地続きになっていた。…

※「アボリジニー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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