翻訳|Arabic
セム語族中,エチオピア語と共に南セム語派に属し,広義には北アラビア語と南アラビア語に分かれるが,普通は前者のみを指す。アラビア語ではアラビーヤal-`Arabīya。現在,シリア,イラク以南の西南アジア諸国はもちろん,エジプト,スーダン,リビア,チュニジア,アルジェリア,モロッコ等の北アフリカ諸国で公用語と定められ,その他の北アフリカ各地,中央アジアのウズベクや地中海のマルタ島でも話されており,総人口は1億以上と推定される。さらにイスラム世界の宗教的共通語として,ペルシア語,トルコ語,ウルドゥー語,マレー(=インドネシア)語,ソマリ語,スワヒリ語等の語彙に大きな影響を与えており,西欧諸語にも多くの語をもたらしたが,その中には,アルカリ,アルコールなどの科学技術用語や,コーヒー,シロップ,サファリ,シャーベット,ソファ,マスクなど日本語に入った語もある。
南アラビア語は,インド洋に臨むアラビア半島南岸で前1千年紀に豊かな都市国家を築いた古代南アラビア人の言語の総称で,北西セム系の独特の子音文字で刻まれた数千の碑文によって知られ,ミナ語とサバ語がその代表で,前9~後6世紀のものとされる。碑文の内容が定型的であるため言語の全容を知るには不十分であるが,比較セム語学上重要な資料である。今日少数ながら話されるオマーン国のメフラ語,シュハウラ語,ソコトラ島のソコトラ語も南アラビア語に属する。北アラビア語は,他のセム諸語にくらべると紀元前の古い資料を欠くが,ペトラを首都として現在のシリア南部からヨルダンおよびサウジアラビア北部に勢力を振るったナバテア王国の遺跡から出た前1世紀ころ以後のアラム語の碑文には,書き手の母語であるアラビア語の影響が年を追って著しく,南シリアのナマーラ出土の後328年の碑文はほとんどアラビア語である。一方アラビア半島中北部出土の,南アラビア文字で刻まれた前5~後4世紀の碑文の言語は,しばしば原アラビア語と称せられるが,北アラビア語に属するかどうか疑われている。後5世紀のアラビア砂漠の遊牧民の間では,既に高度に洗練された詩的共通語が行われており,これが古典アラビア語の基盤となった。7世紀にムハンマドがコーランを書いたときも,語彙こそ母語たるクライシュ方言から多くを採ったものの,文法・文体はこれに拠った。コーランはそのまま神の啓示とされ翻訳を認められなかったため,イスラムの進出に伴い周辺諸国でアラビア語学習の必要が起こり,それに応じて8~9世紀には精密で体系的な規範としてのアラビア語文法が記述され,一方ではギリシア古典の翻訳等を通してアラビア語は表現力に豊かさを増し,哲学をはじめ人文・自然科学の諸分野にわたっておびただしい作品を生み出すことになる。一部の民衆文学には日常の口語の反映も見られるものの,古典アラビア語は,借用による語彙の拡大以外には大きな変化が認められないまま近代に至るが,他方アラビア半島以外の諸国では口語との差も大きく,衰退の道をたどったため19世紀には復興運動が起こった。すなわち,学校教育や公共の報道等を通して古典アラビア語の普及が進められ,現代ではアラブ世界の共通語として習得されるべき〈純正語〉(フスハーal-fuṣḥā)とされ,公式の場面では話し言葉としても用いられ,方言差をもった各人の母語たる〈民衆語〉(アーンミーヤal-`āmmīya)の上にかぶさって,二言語併用現象を起こしている。地域的に,アラビア半島方言,イラク方言,シリア・パレスティナ方言,エジプト方言,マグリブ(西方)方言に大別される。
以下古典アラビア語について述べる。まず音韻では,母音がa,i,uの3個だけであるのに対し,子音は28個あり,これはṭ,ḍ,ṣ,ẓ,q,ḫ(本事典におけるラテン文字転写kh),ġ(同,gh),ḥ,`という咽頭化音ないし咽頭音の存在によって特徴づけられる。その他の子音はt,d,s,z,k,š(同,sh),ğ(同,j),h,',f,b,ṯ(同,th),ḏ(同,dh),m,n,r,l,y,w(下線は摩擦音)である。音節はCV,CV,CVC(Cは子音,Vは母音)のいずれかの型をとる。形態論の最大の特色は,基礎語彙に属する少数の名詞,代名詞,不変化詞を除く大部分の単語語幹が,文法的意味を表す〈型〉と,通常3個の子音より成り辞書的意味を表す〈語根〉との組合せによって形成されることである。例えばkataba〈彼は書いた〉,kātib〈書く人〉,maktab〈書く場所,事務所,学校〉と,qaṭa`a〈彼は切った〉,qāṭi`〈切る人〉,maqṭa`〈切る場所,交差点,音節〉とを対比させると,k-t-b〈書〉およびq-ṭ-`〈切〉という語根と,CaCaCa〈彼は……した〉,CāCiC〈……する人〉,maCCaC〈……する場所〉という型とが抽出される。動詞の派生形も,例えばkattab-〈書かせた〉,kātab-〈書き合う→文通する〉, 'aktab-〈口述する〉,iktatab-〈書き写す〉,istaktab-〈書いてもらう〉のように,語根を一定の型にはめて作る。動詞は人称(一,二,三),数(単,双,複),性(二・三人称について男,女)に応じて活用し,接尾辞活用の〈完了形〉と,接頭・接尾辞活用の〈未完了形〉は,時制ではなく相(アスペクト)において対立する。qām-〈立ち上がる/立っている〉,kabur-〈大きくなる/大きい〉のように,動詞の起動相と結果相とが中和されているのも,アラビア語の特色である。名詞は,限定の有無,格(主,属,対),性(男,女),数(単,双,複)に応じて活用する。複数は多くの場合,kitāb:kutub〈書物〉,kalb:kilāb〈犬〉,nahr:anhur〈川〉のように,型の替変によって表す。文は,述語たる動詞で始まる動詞文と,主語たる名詞で始まる名詞文とに大別される。前者は〈動詞+主語+目的語〉の構造をとるが,主語は動詞の人称接辞で示されるから,自立語としては補足的説明か強調のためにのみ現れる。名詞文の述部が名詞句の場合(al-maliku karīmun〈その王は・寛大だ〉)には名詞句が並置される形となり,動詞句の場合(al-rajulu jā'a abū-hu〈その男は・その父が・来た→その男の父が来た〉)は独特な複合文となる。一般に限定句,修飾句が被限定句,被修飾句の後に続き,否定辞は被否定句の前に立ち,疑問辞は文頭に立つ。動詞が主語,目的語に先行することと相まって,語順は日本語とまったく逆であることが多い。
執筆者:松田 伊作
南アラビア語はすでに死語となっているが,古代において,アラビア半島南部のサバ,ミナ,ヒムヤルなどの王国の言語であった。多くの碑文がヒムヤル・ペンで書かれた粘土板(ムスナド文書)として残されているが,大部分は祈願文で紀元前から6世紀ころのものである。これらの文書は南アラビアが古くから高度の文化をもち,経済的にも栄え,インドなどとの通商をしていたことをうかがわせる。その文字文化は前1500年代には完全に発達し,文法学者が現れ,また歴史記録さえ行われていたようである。しかし7世紀のイスラムの出現と,これに伴う北アラビア語の拡大によって姿を消してしまった。
今日一般にアラビア語といわれるものは,古典北アラビア語である。北アラブ地域はイエメンからシリアにわたって広がり,そこでは古くから商業が栄え,都市文明が発達していた。中でもヒジャーズのメッカは特別の地位を占めてきた。ヒジャーズ北部のヤスリブ(後のメディナ)は南アラブ系部族の移住で文化水準が高められた。またイラクのアラブはイラン文明の影響を受けていた。しかし大多数のアラブはテント生活を営む遊牧民(ベドウィン)で,彼らこそ外部の影響を受けない純粋のアラビア語を話す者であると認められてきた。北アラビア語の最も古い碑文は4世紀にさかのぼる。6世紀のものとみられるシリア語・ギリシア語・アラビア語文書(アレッポ南東部ザバド出土,512年または513年),ヒーラのヒンド教会文書(560年),ギリシア語・アラビア語文書(ダマスクス南部ハッラーン出土,568年)などは,いずれもキリスト教徒の教会生活に関するものであり,それらはアラビア文字が,おそらくイラクのキリスト教宣教師によってナバテア文字を参考にして考案されたものであることをうかがわせる。それまでアラブ各部族にはそれぞれの方言が発達したようであるが,文字が考案され,伝播するにつれて,部族を超えた統一的文学語形成への道が開かれたと推定される。ジャーヒリーヤのアラブ古詩には,口語的な方言とは明白に異なる文学語が用いられているが,おそらくその発生源はナジュド地方であったであろう。コーランがこの文学語で書かれたことにより,アラビア語はその後,イスラム世界の行政・宗教・学術語としての地位を担うことになった。コーランのアラビア語は8世紀後半から文法学者により徹底的に純化され,規範化された。7世紀前半以来,イスラムの広がりとともに北アラビア語の使用範囲は大幅に拡大された。ウマイヤ朝からアッバース朝にかけて,アラビア語はササン朝ペルシアの宮廷文学や古代ギリシア諸学の翻訳導入を経て,語彙をいっそう豊かにし,散文を発達させた結果,イスラム世界の文学・学術語としての地位を不動のものとした。13世紀から19世紀にかけての政治的変遷の中で,イスラム地域内ではペルシア語やトルコ語の地位が高まり,アラビア語の地位は相対的に低められたものの,現代になってアラビア語は再び勢いを盛り返し,アラブ近・現代文学を開花させている。
アラビア語はコーランの言語であるために文法を固定し,歴史を通じてその変化は許されないという運命をたどってきた。しかもアラビア語はこれを母語とするアラブの言語という地位にのみとどまるものではない。コーランがアラビア語で書かれており,イスラムの信者はアラビア語で礼拝するよう義務づけられている。したがってアラビア語は全世界のムスリム(イスラム教徒)の宗教語であり,イスラム世界の学術語としての地位を占めた。イスラム文化がアラビア語文化だとさえいわれるのは,非アラブのムスリム学者もその研究成果をアラビア語で発表してきたからである。アラビア語は,全ムスリムに対し,精神的一体感を植えつける機能をもった。19世紀以来のアラブ民族主義の高揚は,複雑な要素から成り立つアラブの自己確認の柱にアラビア語を据えるようになった。宗教・学術の面のみならず,商業用語としても,アラビア語は歴史的に多大の影響を他の諸言語に与えてきた。
アラビア語にはコーランの言語としての共通語のほかに多くの方言があるが,アラブの主知主義や民族主義は共通語の保存を目的としており,古典北アラビア語(フスハー)の地位は圧倒的に方言(アーンミーヤ)のそれをしのいでいる。
→アラビア文字
執筆者:池田 修
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
セム語族(アフロ・アジア語族)南西分派に属する一大語群。4世紀以降約15世紀間にわたるきわめて多数の文献をもち、また今日では一億数千万人の使用者が数えられる。アラビア語は当初アラビア半島における地方語であったが、イスラム教の興隆とともに聖典コーランの用語として尊重され、イスラム教を支える言語として発展した。その過程で用法が多様化し、使用人口が増大し、今日では全世界にわたるイスラム教徒の主要用語となっている。
アラビア語は正則アラビア語(フスハー)と民間アラビア語(アンミーヤ)に大別される。「正則アラビア語」はコーランのアラビア語を規範としつつ、イスラム教の発展とともにつくりあげられた多少とも人工的な言語で、古典アラビア語文学の大半はこれで書かれている。きわめて複雑な文法体系をもち、イスラム諸学および外来諸学の高度の思想や科学的知識を表現することができた。また近代になると、新聞、雑誌、一般書籍の用語として用いられるとともに、ラジオ、テレビにおけるニュース、講演などにも用いられている。本来は文語であったが、口語的要素が取り入れられるようになっているため、今日では「標準アラビア語」ともよばれている。「民間アラビア語」はアラブ世界の各地で日常言語として用いられており、使用範囲の広い方言群とみなされる。大別してイラク方言、シリア方言、エジプト方言、北アフリカ方言とに分けられ、さらにこれらが細分されるが、ほかにも多数の方言群が認められる。民間アラビア語は、発音、語彙(ごい)および表現法、若干の文法の点で正則アラビア語と異なり、また方言群の間でかなりの相違がある。今日では遠隔地に住むアラブ間の交流が増大したために、共通民間アラビア語といえるものが形成されつつある。
[矢島文夫]
最古期アラビア語の文献としては、328年の日付をもつナマーラ刻文、512/513年の日付をもつザバド刻文、568年の日付をもつハッラーン刻文が知られているが、これらはアラム系ナバタイ文字で記されており、アラム語の影響を強く受けている。しかしイスラム以前のアラビア語刻文遺物はわずかしか知られていない。イスラム暦第1世紀(西暦7世紀)末に南イラクのクーファ地方で、クーフィー体とよばれるアラビア文字が使われるようになり、次の世紀に東方から紙の製法が伝えられるとともに、今日も用いられている筆写用の書体が生じた。一般的な書体はナスヒー体で、日常にはしばしばルクア体が使われ、ほかにも多くの書体が生じた。今日のアラビア語活字はこれらをもとにしてつくられている。他のセム諸文字と同じく、アラビア文字は主として子音のみを記し、母音およびその他の判別記号は必要に応じてのみつけ加えられる。またアラビア文字で記されるのは主として正則アラビア語であって、民間アラビア語は通常、表記されないが、最近は新聞、雑誌の会話体に使われ出している。
[矢島文夫]
正則アラビア語では28個の子音、8個の母音(u、a、i、u-、a-、i-、au、ai)が使われている。民間アラビア語では子音のいくつかに地方的変差が認められるほか、母音も複雑化していることが多い。
アラビア語の本来の単語の特徴は、3個か4個の語根(子音群)が基本的意味を決定し、母音および付加的要素がその単語の意味の細部を示すところにある。たとえば、d‐r‐sは「学ぶ」という意味をもち、darastuは「私は学んだ」、yadrusは「彼は学ぶ」、darsは「学ぶこと」「学課」、madrasaは「学ぶ場所」「学校」を表す。動詞には13の人称変化があり、また各種の派生変化形があるために、理論上は一つの語根から1000個以上の語形が生じうる。それらの派生語は新語として用いられることもあり、この造語力の豊かさが正則アラビア語をラテン語と並ぶ中世の一大文語にしたといわれる。
正則アラビア語の本来の語順は「述語+主語+補語」である(たとえば「彼は彼の学課を学んだ」はdarasa huwa darsa-hu「学んだ・彼・学課・彼の」)。しかし現代の標準アラビア語においては、語彙(ごい)とともに文法面でもヨーロッパ近代諸語の影響が増えており、この語順も厳格には守られなくなりつつある。
西暦8世紀後半以後のイスラム諸学の興隆とともに、きわめて多くの正則アラビア語文献が学者、文人によって生み出されたが、その一部門に文法学および辞典の作製があった。ハリールの『アインの書』、シーバワイヒの『キターブ』、イブン・マンズールの『アラブの言語』などが知られている。ヨーロッパでは中世スペイン、近世オランダでアラビア学が生じ、イギリス、フランス、ドイツが主流となって今日に及んでいる。
[矢島文夫]
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アラブ人の言語で,南セム語に属する。最古の文献はコーランで,その結果アラビア語はムスリムの共通語となり,現在イスラーム圏の,モロッコからイラクにわたる地域で使用される。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…アラブがもともとアラビア半島に住んでいたかどうか,もしそうでないとすれば,彼らはどこから来たのかという問題は,現在なお未解決である(図)。彼らの言語アラビア語はセム系言語の一つで,古代南アラビア語およびエチオピア語からなる南セム語と,ヘブライ語,ウガリト語,アラム語からなる北西セム語との中間に位するという。現在アラビア語を母国語とする人々は,約1億5000万と推定される。…
…それは,主として啓示宗教であるイスラムの基本的性格に基づいている。アラビア語は単なる人と人との実用的な伝達手段であるばかりでなく,神と人との間のコミュニケーションの手段でもあった。つまりアラビア語とアラビア文字がもつ特殊な性格は,神の啓示がアラビア語で下され,しかも,それがアラビア文字でつづられたことから生まれたものである。…
…ニジェール・コルドファン語族の,ベヌエ・コンゴグループの下位グループである,バントゥー諸語に属する言語。この言語はアラビア語のṣāḥil〈海岸〉に由来する名称が示すように,オマーンやイエメンのアラブ商人たちが,東アフリカ海岸の商業根拠地で地元のバントゥー諸語を話す人々との接触の過程で,ピジン言語(交易上の混交言語)として成立,その後,スワヒリ語のみを話し,またそれを母語とする人々のグループが数を増して定着(クレオール)化し,版図をひろげていった。すでに15世紀ころには相当整った形のスワヒリ語が話されていたといわれる。…
…たとえば,ハカス語で,Min(私は)ib‐de(家‐から)pičik(手紙(を))al‐dy‐m(受けとった〈私が〉);Kičig(小さい)pala‐lar(子ども‐たち)となる。語彙(ごい)にはロシア語とアラビア語からの借用語が目だつ。前者は比較的新しいことで,トルコ共和国語にはロシア語からの借用語はない。…
…(4)語彙のきわめて多くの部分を外来語が占めている。従来からアラビア語がきわめて多く(たとえばTürk Cumhuriyeti〈トルコ共和国〉のCumhuriyetはアラビア語,Türkと‐iはトルコ語),ペルシア語もかなりあり,近代になってはフランス語が多く入っている(例:sinema〈映画〉,istasyon〈駅〉)。 トルコ語の歴史は,10~11世紀に小アジアへ移住したセルジューク族とオグズ族の言語(チュルク諸語の一つ)に始まり,14世紀以後のオスマン帝国時代の言語を経て,1923年,共和国の誕生とともにトルコ共和国語が確立した。…
…この政治的変動を契機に,ササン朝の公用語であり,当時の国教であったゾロアスター教の宗教用語であった中期ペルシア語(後に一般にパフラビー(パフラビー語)と呼ばれる)は,書かれた言語としての支持基盤を失った。新しい体制のもとで,イラン人が官職に就き,また学問・芸術の諸分野で活動するためには,アラビア語を習得する必要に迫られた。イスラム期の最高の哲学者,科学者の中に,イブン・シーナー(アビセンナ),ビールーニーをはじめとする多くのイラン人を数えることができるのもこのためである。…
…マルタ人の母語で,現在マルタ共和国では英語とともに公用語とされ,言語人口は約30万。マルタ語の形成に決定的な役割を果たしたのは,870年から220年間続いたイスラム教徒の支配で,その文法,語彙の根幹をなすのはアラビア語である。したがってマルタ語は系統的には南セム語に属し,アラビア語西部(=マグリブ)方言に最も近い。…
※「アラビア語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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