翻訳|Arles
フランス南部、プロバンス地方、ブーシュ・デュ・ローヌ県の都市。人口5万0513(1999)。ローヌ川の河畔に位置する。紀元前103年に地中海との間を結ぶ運河が建設されて発展した。16世紀ごろには、ローヌ河口の土砂の堆積(たいせき)によって商港都市の機能を失い、マルセイユにその繁栄を譲った。現在、市内に円形劇場、闘技場、墓地(アリスカン)など、ローマ時代の遺跡があって、観光都市として栄えている。また、ゴッホやゴーギャンをはじめとする多くの画家を引き付けた芸術の都でもある。農産物の集散地で、とくに米の取引が行われる。化学、機械、製紙、食料品工業も発達している。
[青木伸好]
先住のケルト人が集落をつくっていたが、前2世紀にローマ軍の基地が置かれ、いわゆるマリウスの運河によって地中海とつながれた。カエサルによって植民市とされたのち、城壁、水道、劇場などが整備、商工業の発達をみた。395年のガリア近衛(このえ)総督府の設置など、西ローマ帝国末期にはガリア属州の首都としての地位を占めたが、その後、西ゴート、東ゴート、フランクの支配を受けた。9世紀末からはブルゴーニュ(アルル)王国、ついで神聖ローマ帝国に帰属したが、都市の実質的支配権はプロバンス伯と大司教の手にあった。11~12世紀には農産物取引や遠隔地商業が発展し、12~13世紀にはコンシュラ(市参事会)による自治が行われた。13世紀末には2000所帯の住民を擁するプロバンス地方最大の都市であったが、その後15世紀初めまでに人口は半減。15世紀末からプロバンス伯領とともにフランス領となったが、近代に入って、その政治的、経済的重要性は低下した。
[江川 温]
フランス南部ブシュ・デュ・ローヌ県にある観光都市。人口5万3000(1990)。マルセイユの北西約90km,ローヌ川の形成するデルタの頂点に位置し,その行政域(コミューヌ)はフランスの米作地として知られるカマルグなどデルタ部分を含み,フランス最大の面積(750km2)である。紀元前より海上・陸上交通の要衝として発達し,古代においてはローマ帝国属州の中心であり,また4世紀以来キリスト教の重要な拠点として幾多の宗教会議が開かれ,513年には大司教座の地位を獲得した。10世紀アルル王国の首都となり,13世紀中葉プロバンス伯領に従属するまで独立を守っていた。前1世紀に建造された円形競技場,野外劇場など,フランスにおける古代ローマ時代の遺跡の最大の宝庫で,〈ガリアのローマ〉と呼ばれる。また11~15世紀の建立になるサン・トロフィム教会は正面および回廊の石像彫刻で知られ,その豊かさはプロバンス随一である。
執筆者:野沢 秀樹
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