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アンコール朝 アンコールちょうAngkor

翻訳|Angkor

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アンコール朝
アンコールちょう
Angkor

9世紀初頭から 1432年までカンボジアを中心として栄えたクメール人の王朝の総称。途中数回王位簒奪者が即位しているので単一の王朝ではないが,首都は一貫してアンコールにおかれたのでこの名で呼ばれる。アンコールはトンレサップ湖北岸の地方で,この時期は神王思想に基づく強固な王権とすぐれた機構により,強大な中央集権国家として繁栄を続けた。 32年にタイ軍の攻撃を受けてアンコールは陥落し,数年後に都はプノンペンに移された。美術史上,仏像彫刻をはじめすぐれた作品の多いこの時代をアンコール期と呼ぶ。 (→アンコール遺跡 )

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世界大百科事典 第2版の解説

アンコールちょう【アンコール朝 Angkor】

カンボジアのシエムリアップ市近郊を王都に,9世紀から1432年まで栄えた古代クメール王国。アンコールとは〈都城〉を意味する梵語ナガラのクメールなまりで,王都の後世の呼称である。 アンコール朝は,群雄割拠状態の国内を統一し,802年に登位したジャヤバルマン2世に始まる(インドラバルマン1世の877年から,あるいはヤショーバルマン1世の889年から,という説もある)。ヤショーバルマン1世(在位889‐910ころ)はアンコールに1辺4kmの環濠都城を造営し,王にちなんでヤショーダラプラと呼称した。

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世界大百科事典内のアンコール朝の言及

【真臘】より

…陸真臘は8世紀に数回にわたり中国に遣使したが,水真臘の一部の地域はジャワの勢力に占拠されていた。 8世紀末にジャヤバルマン2世が国内を再統一し,802年にアンコール朝を開いてジャワへの従属を断つ儀式デーバラージャ(神即王)の祭礼を行った。同王の登位以前を前アンコール時代という。…

【仏像】より

…13世紀以後のタイ族の支配期には民族的要素を濃くしてゆくとともに,しだいに生気に乏しいものとなった。 カンボジアではクメール族の卓越した芸術的天分によって先アンコール期(5~8世紀),アンコール期(9~15世紀)にヒンドゥー教美術が盛行し,仏像にも少数ながら秀作を遺している(アンコール朝)。特にローケーシュバラ(観音)信仰に基づく菩薩像が注目され,仏陀像はとぐろを巻くコブラに座る形式が多い。…

※「アンコール朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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