多くの場合,大陸合理論と呼ばれる思想潮流との対照において用いられる哲学史上の用語。通常は,とくにロック,G.バークリー,D.ヒュームの3人によって展開されたイギリス哲学の主流的傾向をさすものと理解されている。通説としてのイギリス経験論のこうした系譜を初めて定式化したのは,いわゆる常識哲学の主導者T.リードの《コモン・センスの諸原理に基づく人間精神の探究》(1764)とされているが,それを,近代哲学史の基本的な構図の中に定着させたのは,19世紀後半以降のドイツの哲学史家,とりわけ新カント学派に属する哲学史家たちであった。とくに認識論的な関心からカント以前の近代哲学の整理を試みた彼らの手によって,ロック,バークリー,ヒュームと続くイギリス経験論の系譜は,デカルト,スピノザ,ライプニッツ,C.ウォルフらに代表される大陸合理論の系譜と競合しつつ,やがてカントの批判哲学のうちに止揚された認識論上の遺産として,固有の思想史的位置を与えられたからである。その場合,例えば,ロックの認識論がカント自身によって批判哲学の先駆として高い評価を与えられた事実や,ヒュームの懐疑論がカントの〈独断のまどろみ〉を破ったと伝えられるエピソードは,そうした通説にかっこうの論拠を提供するものであった。
確かに,イギリス経験論の代表者をロック,バークリー,ヒュームに限りつつ,それを,大陸合理論との対照において,あるいはカント哲学の前史としてとくに認識論的観点から評価しようとする通説は,次の2点でなお無視しえない意味をもっている。第1点は,ロックからバークリーを経てヒュームに至るイギリス哲学の系譜を,感覚的経験を素材として知識を築き上げる人間の認識能力の批判,端的に認識論の発展史と解することが決して不可能ではないことである。ロックの哲学上の主著が《人間知性論》であるのに対して,バークリーのそれが《人知原理論》と名付けられており,ヒュームの主著《人間本性論》の第1編が知性の考察にあてられている事実は,バークリーとヒュームとの思索が,ロックによって設定された認識論的な問題枠組の中で展開された経緯をうかがわせるであろう。そこにまた,先述のリードが,ロック,バークリー,ヒュームを懐疑論の発展史的系譜の中に位置づけた主要な理由もあったのである。
従来の通説がもつ第2の意義は,それが,大陸合理論とイギリス経験論との対比,カント哲学によるそれら両者の統合という図式を提示することによって,錯綜した近代哲学史の動向を描き分けるのに有効な一つのパースペクティブを確立したことである。思想の歴史を記述する場合,個々の思想家を一定の歴史的構図の中に配置して時系列における相互の位置関係を確定する作業が,いわば方法的に不可欠であると言えるからである。
けれども,ウィンデルバントの言う〈近代哲学の認識論的性格〉を極度に強調しつつ,イギリス経験論の系譜を認識論の発展史と解してきた従来の傾向は,イギリス経験論の成果をあまりにも一面的にとらえすぎていると言わなければならない。例えば,イギリス経験論の確立者と評されるロックの思想が,人間の経験にかかわるきわめて多様な領域を覆っている点に象徴されているように,イギリス経験論がその全行程を通して推し進めたのは,単に狭義の認識論の理論的精緻化ではなく,むしろ,人間が営む経験的世界総体の成り立ちやしくみを見通そうとする包括的な作業であったと考えられるからである。しかも,このように,イギリス経験論を,人間の経験とその自覚化とにかかわる多様な問題を解こうとした一連の思想の系譜ととらえる場合,そこには,その系譜の始点から終点へのサイクルを示す思想の一貫した動向を認めることができる。端的に,人間と自然との交渉のうちに成り立つ自然的経験世界の定立から,人間の間主観的相互性を通して再生産される社会的経験世界の発見に至る経験概念の不断の拡大傾向がそれである。こうした動向に注目するかぎり,イギリス経験論の歴史的サイクルは,通説よりもはるかに長く,むしろF.ベーコンによって始められ,A.スミスによって閉じられたと解するほうがより適切であると言ってよい。その経緯はほぼ次のように点描することができる。
周知のように,〈自然の奴隷〉としての人間が,観察と経験とに基づく〈自然の解明すなわちノウム・オルガヌム〉を通して〈自然の支配者〉へと反転する過程と方法とを描いたのは,〈諸学の大革新〉の唱導者ベーコンである。力としての知性をもって自然と対峙する人間精神の自立性を確認し,自然的経験世界における人間の主体的な自己意識を確立したベーコンのこの視点は,イギリス経験論に以後の展開の基本方向を与えるものであった。その後のイギリス経験論は,自然的経験世界に解消されえない経験領域の存在と,その世界を認識し構成する人間の能力との探究を促された点で,明らかにベーコンの問題枠組を引き継いでいるからである。その問題に対する最初の応答者は,ホッブズとロックとであった。彼らは,ともに,国家=政治社会を人間の作為とし,人間の秩序形成能力を感性と理性との共働作用のうちに跡づけることによって,自然的経験領域とは範疇的に異なる人間の社会的経験世界のメカニズム,その存立構造を徹底的に自覚化しようとしたからである。けれども,彼らが理論化してみせた社会的経験世界は,たとえ人間の行動の束=状態として把握されていたとしても,なお,現存の社会関係に対置されたals ob,すなわち〈あたかもそうであるかのごとき〉世界として,現実の経験世界それ自体ではありえなかった。彼らが,人間の行為規範として期待した自然法は,あくまでも理性の戒律として,現実の人間を動かす経験的な行動格率には一致せず,また,彼らが人間の行動原理として見いだした自己保存への感性的欲求は,どこまでも単なる事実を超えた自然権として規範化されていたからである。
〈道徳哲学としての自然法〉に支えられた規範的な経験世界を描くにとどまったホッブズとロックとに対して,人間の主観的な行動の無限の交錯=現実の社会的経験世界のメカニズムを見通す哲学的パラダイムを提示したのがバークリーであり,ヒュームであった。バークリーが,〈存在とは知覚されたものである〉とする徹底した主観的観念論によって,逆に他者の存在を知覚する主観相互の〈関係〉を示唆したのをうけて,ヒュームは,人間性の観察に基づく連合理論によって,個別的な主観的観念をもち,個別的な感性的欲求に従って生きる人間が,しかも,全体として,究極的な道徳原理=〈社会的な有用性〉〈共通の利益と効用〉に規制されて間主観的な関係を織り成している経験的,慣習的な現実への通路を見いだしたからである。もとよりこれは,道徳哲学を,超越的規範の学から人間を現実に動かす道徳感覚の理論へと大胆に転換させたヒュームにおいて,権力関係を含む国家とは区別される社会,すなわち,個別的な欲求主体の間に成り立つ間主観的な関係概念としての社会が発見され,その経験的認識への途が準備されたことを意味するであろう。
ヒュームのそうした視点をうけて,〈道徳感情moral sentiment〉に支えられた人間の間主観的相互性を原理とし動因として成り立つ社会のメカニズム,その運動法則を徹底的に自覚化したのが言うまでもなくスミスであった。彼は,有名な〈想像上の立場の交換〉に基づく〈同感sympathy〉の理論によって,主観的な欲求に支配され,個別的な利益を追求する経験主体の行動の無限の連鎖=社会が,しかも調和をもって自律的に運動し再生産されていく動態的なメカニズム,すなわち社会の自然史的過程を解剖することに成功したからである。もとよりこれは,ベーコン以来,人間が営む経験的世界総体の自覚化作業を推し進めてきたイギリス経験論が,現実の経験世界への社会科学的視点を確立したスミスによってその歴史的サイクルを閉じられたことを意味するものにほかならない。しかも,人間の経験的世界は,それが,どこまでも経験主体としての人間によって構成される世界であるかぎり,必ず歴史的個体性を帯びている。したがって,そうした経験的世界の構造を一貫して見通そうとしてきたイギリス経験論は,実は,イギリスの近代史がたどってきた歴史的現実それ自体の理論的自覚化として,明らかに,固有の歴史性とナショナリティとをもったイギリスの〈国民哲学〉にほかならなかった。その意味において,イギリス経験論の創始者ベーコンが,イギリス哲学史上初めて母国語で《学問の進歩》を書き,また,その掉尾を飾るスミスの主著が《国富論(諸国民の富)》と題されていたのは,けっして単なる偶然ではなかった。
執筆者:加藤 節
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…また,カントの哲学でさえ,その最大の動機の一つがニュートン物理学の基礎づけであるという意味において,科学哲学の一つの範例であったと見ることができる。さらに,イギリス経験論とドイツ観念論の対立論争そのものが科学的認識の基礎づけに関して争われたものであると言える。F.ベーコンの科学方法論への洞察,ロックの実験的精神,D.ヒュームの因果性の分析,G.バークリーの知覚論,さらに,新カント学派諸家の科学批判などはすべてこのような背景の中から生まれたものである。…
…心の対象である観念間を支配する連想的な関連で,任意の観念が自然に他の観念をよびおこし,心に現前させる種類の結合をいう。観念連合説の古典的形態は古くから見られるが,顕著な代表例は近代イギリス経験論で,ホッブズ,ロックらにも発見される。しかし,たとえば,ロックなどのまだ消極的な傾向とは別に,観念連合に積極的な意義を与えたのはヒュームである。…
…人間の知識,認識の起源を経験とみなす哲学上の立場。合理論ないし理性主義に対立するが,この対立の代表は17~18世紀の西洋の大陸合理論対イギリス経験論である。W.ジェームズはこの対立を,諸原理によって進む硬い心の人と諸事実によって進む軟らかい心の人との気質の対立として説明した。…
…これはやはり超自然的秩序の想定が困難になったからであろう。実体としての精神の解体は,ロックやヒュームらイギリス経験論の哲学者によって果たされたが,それに次いで今度は能動的活動の主体としての精神の概念が確立される。カントにおける実践の主体としての理性の概念,フィヒテにおける根源的活動性としての自我の概念,ヘーゲルにおけるおのれを外化し客観化しつつ生成してゆく精神の概念などにそれが見られよう。…
…この方法で認識論を構成した哲学者としてはデカルト,マールブランシュ,スピノザ,ライプニッツなどが著名である。一方また,ロック,G.バークリー,D.ヒュームなど,おもにイギリスの哲学者たちが展開した経験主義の認識論(イギリス経験論)は,観察と実験,帰納的一般化など,ア・ポステリオリな(帰結からの)方法に重きをおいて信念や知識の解釈を行い,現実世界にかかわる言明に対しては感覚的明証の裏づけを求めるのを原則とした。
[カント]
カントは合理論と経験論の争点となった諸問題を深く考察し,近世における認識問題の解釈としては決定的ともいえる緊密な理論体系を築いた。…
※「イギリス経験論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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