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イヨネスコ Ionesco, Eugène

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イヨネスコ
Ionesco, Eugène

[生]1912.11.26. スラチナ
[没]1994.3.28. パリ
フランスの劇作家。ルーマニアに生れ,生後1年でフランスに移住,以後高等学校,大学時代以外はフランスに居住。 36歳から劇作活動に入った。 1956年『椅子』 Les Chaises (1952) の再演の成功を機に,いわゆるアンチ・テアトルの代表作家として,世界的に名を知られるようになった。 70年アカデミー・フランセーズ会員。その作風は不条理演劇といわれ,近代的な意味での主体が存在せず,言葉は本来の秩序を失って解体される。操り人形のような登場人物が織りなす,シュルレアリスム的な幻想や夢は,独特の諧謔を交えて描き出される。傑作『禿の女歌手』 La Cantatrice chauve (50) のほか,『無給の殺し屋』 Tueur sans gages (59) ,『 (さい) 』 Le Rhinocéros (60) ,『瀕死の王』 Le Roi se meurt (62) ,『渇きと飢え』 La Soif et faim (66) ,評論集『ノート・反ノート』 Notes et contrenotes (62) などがある。

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百科事典マイペディアの解説

イヨネスコ

フランスの劇作家。ルーマニアのスラチナ生れ。1938年以後フランスに定住。処女戯曲《禿(はげ)の女歌手》(1950年)でアンチ・テアトル(ヌーボー・テアトル)の口火を切り,続いて《授業》《椅子》を発表し,1950年代半ば以降不条理劇の代表として名声を確立。
→関連項目高行健シオラン

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世界大百科事典 第2版の解説

イヨネスコ【Eugène Ionesco】

1912‐94
フランスの劇作家。ルーマニア人を父,フランス人を母として,ルーマニアのスラチナで生まれ,13歳までフランスで育ち,ブカレスト大学に学んだ後,1938年にパリに戻る。48年に英会話の教科書をもじって,日常的な形式論理の無意味さや会話による意思疎通の不可能,それに伴う言語の解体,その帰結としての精神の崩壊という現代人の不安を如実に舞台化した《禿の女歌手La cantatrice chauve》(1950)を書き,〈反戯曲〉と副題をつける。

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大辞林 第三版の解説

イヨネスコ【Eugène Ionesco】

1912~1994) フランスの劇作家。ルーマニア生まれ。言語伝達と日常性の崩壊を描き、不条理劇の第一人者とされる。劇曲「禿の女歌手」「授業」「犀」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

イヨネスコ
いよねすこ
Eugne Ionesco
(1912―1994)

フランスの前衛劇作家。ルーマニアのスラティーナに生まれ、フランス人の母とともに1歳でパリに出て幼年期をフランスで過ごし、青年期は母国へ戻ってブカレスト大学を卒業。フランス語の教師となり、文芸評論を書き始めるが、1938年からパリに定住。50年、処女戯曲『禿(はげ)の女歌手』がニコラ・バタイユ演出によってノクタンビュール座で上演されたことで、いわゆるアンチ・テアトル(反演劇)の先駆となった。題名とはなんの関係もない内容をもつこの作品は、アシミルの英会話入門書から発想され、単純なことばの表現によって繰り広げられる日常的な自明の現実が、「ことばの関節が外れ、内容が空洞化する」ことによって崩壊してゆくようすを描いた「言語の悲劇」なのである。
 初期の作品『授業』(1951初演)、『椅子(いす)』(1952)、『義務の犠牲者』(1953)、『アメデまたはいかに厄介払いするか?』(1954)、『ジャックまたは服従』(1955)などは激しい反発を巻き起こしたが、1956年『椅子』の再演によって、彼の作品は一般大衆に浸透した。それ以来やや前衛性は緩和されて寓話(ぐうわ)性や風刺性が増し、『無給の殺し屋』(1959)、『犀(さい)』(1960)、『瀕死(ひんし)の王』(1962)など、主人公ベランジェが登場して筋の論理的発展を構成し、作品相互のつながりさえつくりだすようになる。とくに『犀』は国立劇場オデオン座でジャン・ルイ・バロー演出により上演されたほか、世界各地で上演された。66年コメディ・フランセーズにおいて大作『渇きと飢え』が上演され、70年にはついにアカデミー会員に選ばれる。その後『殺戮(さつりく)ゲーム』(1970)、『このすばらしい娼家(しょうか)』(1973)などを書き、近作に『死者たちへの旅』(1980)。戯曲以外には、短編小説『大佐の写真』(1962)、評論集『ノート・反ノート』(1958)などがある。[利光哲夫]
『大久保輝臣他訳『イヨネスコ戯曲全集』全4巻(1969・白水社)』

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世界大百科事典内のイヨネスコの言及

【前衛劇】より

…〈不条理〉という概念は,すでにA.カミュなどに代表される実存主義の作品に認められるが,表現方法として従来の論理的思考に基づく劇作法を完全に否定したところが,不条理劇の特徴である。E.イヨネスコの処女作とされる《禿(はげ)の女歌手La cantatrice chauve》(1950)が,〈反戯曲(アンチ・ピエス)〉とも題されていたように,それは従来の劇作法を徹底的に愚弄するものであった。イギリス風の中流家庭でのイギリス風の夫婦の会話に始まるこの劇では,言語は日常性の意味を離れて核分裂し,それを語る人間のアイデンティティさえも崩壊させてしまう。…

【フランス演劇】より


【20世紀】
 20世紀フランス演劇をその変革の相においてとらえれば,大別して三つの時期を認めることができる。第1は,1913年,J.コポーによる〈ビユー・コロンビエ座〉創設から,両大戦間におけるL.ジュベ,C.デュラン,G.ピトエフ,G.バティの4人の演出家による〈カルテル四人組〉の時代,第2は,J.L.バローによるカルテルの遺産の発展と並行して50年代に起きる三つの事件,すなわちJ.ビラールによる〈民衆演劇運動〉と〈演劇の地方分化〉の成功,E.イヨネスコ,S.ベケット,A.アダモフ,J.ジュネらの〈50年代不条理劇〉の出現,そして〈ブレヒト革命〉であり,第3の時期は,68年のいわゆる〈五月革命〉によって一挙に顕在化した社会的・文化的危機の中で,演劇が体験した一連の大きな〈異議申立て〉(A.アルトーの徴の下に広がった〈肉体の演劇〉を中核とする)とその結果である。
[演出家の時代――コポーと〈カルテル四人組〉]
 演出家で集団の指導者をフランス語でアニマトゥールanimateurと呼び,20世紀を〈アニマトゥールの世紀〉と称するが,コポーはアニマトゥールの枠組みそのものを提示した人物である。…

【ロングラン・システム】より

…ミュージカルの長期公演記録としては,《マイ・フェア・レディ》の2717回がある。アメリカだけでなくロンドンやパリの劇場でもこの方式が成功して,前者ではA.クリスティの《ねずみとり》,後者ではE.イヨネスコの《禿の女歌手》が,20年をこえて現在でも興行を続けている例がある。【戸張 智雄】。…

※「イヨネスコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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