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ウォーレス ウォーレス Alfred Russel Wallace

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デジタル大辞泉の解説

ウォーレス(Alfred Russel Wallace)

[1823~1913]英国の博物学者。アマゾン地方やマレー諸島に旅行し生物相を研究。自然選択による生物の進化論を唱え、論文をダーウィンに送った。著「ダーウィニズム」など。ウォレス

ウォーレス(Myron Leon Wallace)

[1918~2012]米国のジャーナリストCBSの人気報道番組「60ミニッツ」の看板キャスターとして活躍した。マイクウォーレス。ウォレス。

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百科事典マイペディアの解説

ウォーレス

英国の博物学者。1854年よりマレー諸島で生物の分布を研究し,のちにウォーレス線と命名された生物境界線を提唱。また同諸島滞在中の1858年C.ダーウィンとは独立に自然淘汰説に基づく進化論に到達。

ウォーレス

英国の大衆作家。悪人を次々とこらしめる4人の主人公を描くミステリー《正義の四人》(1905年)を皮切りに,27年間に150冊を公刊。劇作,映画シナリオも手がけた。

ウォーレス

米国の政治家。農業政策に通じ,F.ローズベルト政権の農務長官(1933年―1940年),副大統領1941年―1945年)を歴任し,ニューディール政策を推進。親ソ外交を主張,1948年民主党から脱党して進歩党を組織し大統領選挙に出馬したが敗れた。
→関連項目革進党(米国)ラティモア

ウォーレス

米国の作家。陸軍将校からニューメキシコ市長,トルコ公使にもなった。《ベン・ハー》(1880年)のほかスペインメキシコ征服物語《白色の神》(1873年)など多くの大衆小説を書く。

ウォーレス

中世スコットランドの愛国者英雄。イングランドエドワード1世に抵抗するスコットランド王ジョンベイリオルを助け,1297年イングランド軍をスターリングで敗り,ジョンからナイト爵を授けられる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ウォーレス【Alfred Russel Wallace】

1823‐1913
イギリスの博物学者。動物地理学に興味をもち,昆虫学者のベイツH.W.Batesと南アメリカで採集を行う。1854年,マレー諸島で動物の地理的分布を調べ,〈ウォーレス線〉に名を残す。58年,《変種がもとのタイプから無限に遠ざかる傾向について》がC.ダーウィンの論文とともに発表され,自然淘汰による進化論の発見者となったが,後,ヒトの起源の問題で宗教的見解を支持した。著書として〈《マレー諸島》〉(1869),《ダーウィニズム》(1889)ほかがある。

ウォーレス【George Corley Wallace】

1919‐
アメリカ合衆国の政治家。農家に生まれアラバマ大学法学部を独力で卒業。第2次大戦後同州の政界に入る。州権主義と白人優越主義の固守を掲げて登場したアラバマ州知事(1963‐67,71‐79)。1963年知事就任式で〈今こそ人種差別を,明日もまた未来永劫に人種差別を!〉と叫び,当時もりあがった黒人闘争と連邦政府の人種的共学政策への反撃の先頭に立った。64年には反対党(共和党)の大統領候補ゴールドウォーターを支持し,68年には民主党を脱党して自らアメリカ独立党を結成して大統領選に出馬,一般票の13.6%を獲得する。

ウォーレス【Henry Agard Wallace】

1888‐1965
アメリカ合衆国の政治家。アイオワ州生れ。農業新聞編集長として農民運動に参加していたが,1933年にF.D.ローズベルト大統領によって農務長官に任命され,ニューディール政策のもと,農業生産調整小作農扶助等の執行にあたる。この間農業政策以外へも関心を広げ,大統領の強い意向で41年から副大統領に就任して民主党リベラル派の指導的政治家となるが,44年民主党全国大会でトルーマンに敗れ,翌年から商務長官に転ずる。

ウォーレス【William Wallace】

1270ころ‐1305
イギリス,中世スコットランドの政治的指導者。封建的上長であると主張するイングランド王エドワード1世に抵抗するスコットランド王ジョン・ベーリオルを支持。1297年スターリング・ブリッジでイングランド軍を撃破する。ジョンによりナイトに叙せられ,その〈後見人〉となった。98年フォルカークでエドワードに敗れてフランスに亡命。のち帰国するが,1305年イングランド軍に捕らえられ,ロンドンで処刑された。スコットランドの愛国的英雄である。

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大辞林 第三版の解説

ウォーレス【Alfred Russel Wallace】

1823~1913) イギリスの博物学者。マレー諸島を中心に生物相の比較研究をし、動物分布についてウォーレス線を指摘。ダーウィンに自然淘汰についての論文を送り、これが進化論の発表を決意させたといわれる。

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世界大百科事典内のウォーレスの言及

【自然淘汰】より

…生物進化のしくみの中で,最も重要なものと考えられている過程。C.ダーウィンとA.R.ウォーレスが1858年に提出した進化論における進化要因論の中心をなす概念であり,現代進化学においても重要な地位を占める。 今日,この言葉はいくつかの意味に用いられている。…

【進化論】より


【ダーウィンの進化論】
 C.ダーウィンが種の起原,つまり進化についての系統的研究を始めたのは,ビーグル号航海から帰った翌年の1837年,28歳のときであり,学説の骨格も早く成り立っていたが,公表されたのは58年7月1日のリンネ学会においてである。マレー諸島滞在中のA.R.ウォーレスから送られてきた論文が,ダーウィン自身の自然淘汰説と同趣旨であり,結局,両者の論文を同じ表題のもとにおいたジョイント・ペーパーとして発表することになったのであった。この論文はほとんど理解されず,ダーウィンが急ぎ自説をまとめた著作《種の起原》が,翌59年11月に刊行されて初めて思想界に風雲を巻き起こすことになった。…

【ダーウィニズム】より

…まず第1の定義はC.ダーウィンの学説ということだが,それにもかれの学説の中心であった自然淘汰説をさす場合と用不用説などを含めた学説全体をさす場合とがある。ダーウィンと同時に自然淘汰説を公にしたA.R.ウォーレスはのちに自著の表題を《ダーウィニズム》(1889)としたが,これは前者の場合にあたる。ダーウィニズムの語で進化論一般をさした場合もあり,とくに進化論が大きな思想的影響を与えつつあった時代には進軍の旗印の役もした。…

【ダーウィン】より

…当時は進化思想に対して世間が寛容でなかったため,十分説得力のある著作を出すことが必要であると感じ,大部な著作《自然淘汰》をまとめようとした。しかし,執筆の途中,1858年,マレー諸島のテルナテにいたA.R.ウォーレスから生存闘争と自然淘汰の考えによる種の問題に関する論文が送付されてきたため,執筆は中止された。そして地質学者ライエル,植物学者フッカーJ.D.Hookerらのはからいでダーウィンの未発表論文の一部とアメリカの植物学者A.グレーへの手紙が,ウォーレスの論文とともにロンドンのリンネ学会で発表され,自然淘汰説がはじめて世に出た(1858)。…

【動物地理区】より

…現在では,ヨーロッパ,アジアとアフリカを含めて旧世界,南北アメリカは新世界と呼び,ユーラシア大陸は旧北区,北アメリカは新北区,両者を合わせて全北区とし,アフリカはエチオピア区,インド,南アジアは東洋区,南アメリカは新熱帯区,オーストラリアは太平洋諸島を含めてオーストラリア区と呼ぶのが一般的である。動物地理区分の提唱はスクレーターP.L.Sclaterの鳥類(1858),哺乳類(1894)についてのものが最初で,A.R.ウォーレス(1876),T.H.ハクスリー(1868)などが続いたが,いずれも鳥獣の分類地理学的な検討に基づくものであった(図1)。ダールF.Dahlなどによる生態的環境区分を考慮し,北極圏,南極圏などを認める方式も提唱された(1925)。…

【アイオワ[州]】より

…それゆえ,アイオワといえば農業もしくは農村を連想するのが一般的で,ソ連のフルシチョフが訪問した農場もアイオワであった。フーバー大統領とならんで州の生んだ最も著名な政治家が,ニューディール期に農務長官をつとめたH.A.ウォーレスであったことも,農業州を象徴している。【正井 泰夫】【岡田 泰男】。…

【革新党】より

…第3は1948年,トルーマン・ドクトリンにみられる対ソ強硬路線に不満をもつ民主党員を中心に結党(進歩党と邦訳されることが多い)。ヘンリー・ウォーレスを大統領候補に立てて公民権法の成立やタフト=ハートリー法の撤廃を求めたが,大きな勢力にはいたらなかった。【青木 怜子】。…

【進歩党】より

…革新党とも訳される。1946年にトルーマン政権の商務長官の座を去ったH.A.ウォーレスが組織した〈アメリカの進歩的市民(PCA)〉を軸に,ニューディール左派,CIOの一部,全米有色人種向上協会(NAACP),全国農民連盟などの勢力を糾合。48年7月の党大会でみずからF.D.ローズベルトの掲げた理念の真の継承者たることを主張し,基幹産業の漸進的公有化,タフト=ハートリー法の撤廃,人種差別の廃止,対ソ平和外交の確立などを骨子とする綱領を採択,ウォーレスを大統領候補に指名した。…

※「ウォーレス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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