シリアの地中海岸にあった古代都市名。現在はラス・シャムラRas Shamraと呼ばれる大遺跡丘をなす。その近くのミネト・エル・ベイダ(〈白い港〉の意)には墓域があった。1929年以来C.F.A.シェフェールらのフランス調査団が大規模な発掘を続け,宮殿を中心とする都市遺跡と多数の粘土板文書を出土させた。ウガリトにおける人間の居住の歴史は新石器時代にさかのぼるが,金石併用期になるとメソポタミアとの文化接触の痕跡が見え,西アジアと地中海世界,特にエーゲ・ギリシア世界との接合点としてのこの都市の役割が明らかになる。前3千年紀後半からは,西セム語族の都市国家として繁栄し始めた。前18世紀にはフルリ人がこれに加わった。前16世紀以後,政治的・軍事的にはエジプトの影響下にあり,エジプト人守備隊が駐屯していたこともある。前14世紀中葉に市街は大火によって破壊されたが,アマルナ文書によると再びエジプトの影響下の貿易都市として復興し,前13世紀初頭のエジプトとヒッタイト両帝国のシリアをめぐる勢力争いでは,後者の側に立った。そして前1200年ころ〈海の民〉の侵入によって破壊された。
主として前14~前13世紀の豊富な出土物が知られる。約1万m2の宮殿は柱に銀箔が貼られ,全体の構造も複雑でクレタ島の迷宮を思わせる。神殿は三つ発見されているが,そのうちバアルとダガンのものが重要である。一般住宅を含むこれらの市街は強固な城壁で囲まれていた。市内外からは多くの墳墓が発見され,その副葬品によって,ウガリトにはキプロス,クレタ,ミュケナイなどの出身者が住んでいたことが知られる。出土物には,土器,金属製武器(儀礼用を含む),金属器(金・銀・青銅製の容器),象牙製品,アクセサリー類があったが,その他の目立つものに神像や奉納石板があり,それらは祭司長の家の文書館から出土した粘土板文書中の宗教文学の内容に対応している。
1938-52年の間に,約250個の主として楔形文字による粘土板文書が発見された。使用されている言語はシュメール語,アッカド語,フルリ語,ヒッタイト語,エジプト語,ウガリト語などである。使用された文字はアッカド語に由来する楔形文字が最も多いが,エジプト語やヒッタイト語の聖刻文字,エーゲ海域に由来する音節文字なども見られる。文字に関して最も注目されるのは,楔形文字を転用した独自のアルファベットがウガリト語とフルリ語のために用いられたことである。それは30字からなり,原シナイ文字に続く世界最古のアルファベットの一つであり,上述の工芸品と共に後世のフェニキア文明の原型をなしている。文書は経済・行政・外交にかかわる散文のものと神話・祭儀・叙事詩などの韻文のものがあり,教科書や辞書も存在する。
執筆者:小川 英雄
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前2千年紀後半の数百年間,北シリアの地中海沿岸に栄えた都市。フランス調査隊が1929年にラス・シャムラで遺跡を発見。王宮文書庫から出土した粘土板文書に含まれていた神話テキスト群は,カナーン人の宗教観念の解明に寄与。また楔形アルファベットのウガリト文字は,文字史上きわめて貴重。「海の民」によってエマルなどとともに破壊された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
シリア西部にあるテル(遺丘)。現在名はラス・シャムラ。
[編集部]
…近年のオリエント考古学は,シリア・カナン地域の神話について,それを生みだしたウガリト社会の研究を中心に,多くの画期的成果を提供している。長い間,砂に埋もれていたこの地域の神話に,最初の光が当てられたのは,たまたま畑を耕していたシリアの農夫の鋤の先からであった。…
※「ウガリト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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