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ウクライナ文学 ウクライナぶんがく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウクライナ文学
ウクライナぶんがく

起源は,988年に古代ロシアのキエフ国家がビザンチンを経由してキリスト教文化を移入し,ギリシア正教を国教に,教会スラブ語を公用語,文語に定めたときに求められる。最初は宗教的教訓,教義,聖者伝,年代記,旅行記などが書かれたが,11~12世紀に書かれた,『ウラディミル・モノマフの教訓書』 Pouchenie,『修道院長ダニイルの旅』 Khozhdenie igmena Daniila,修道士ネストルの編んだ年代記『過ぎにし歳月の物語』 Povest' vremennykh let (→ロシア年代記 ) ,作者未詳の叙事詩『イーゴリ軍記』などは,いずれも古代ロシア文学の代表作品とみなされている。 13~15世紀のタタール人によるロシア支配の期間には,文学も空白期間となり,ウクライナにおける文芸復興は,1633年,大主教ピョートル・モギーラがキエフにアカデミアを建てたときから始る。キエフ・アカデミアで教育を受けたシメオン・ポロツキーと F.プロコポービッチは,近代化を目指すロシアの思想と文化に強い影響を与えた。しかし,ウクライナのおかれていた政治的状況のために,全体としてみると古典文学は開花せず,19世紀に入って以後,ロマン主義の勃興とともに T.シェフチェンコウクラインカ,フランコなどが出現して民族文学の基礎を築いた。ロシア革命以後現代にかけては,トゥイチナ,ルイリスキーなどの詩人,ミュラ・フブイロフ,ステリマフなどの作家の活躍によって,きわめて独自な民族文学が生れた。

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世界大百科事典内のウクライナ文学の言及

【ソビエト文学】より

…ウクライナはその後17世紀に,白ロシアは18世紀にロシア領となった。ポーランド語,教会スラブ語などの影響を排し,民衆語の要素をとり入れて近代ウクライナ文学語を創始した功績は,18世紀末の詩人哲学者スコボロダGrigorii Skovoroda(1722‐94),ウェルギリウスの《アエネーイス》にもとづく戯作《エネイーダ》(1798)で知られるコトリャレフスキーIvan Kotlyarevskii(1769‐1838)に帰せられる。ウクライナ・ロマン主義運動は民族の自覚を生み,国民詩人シェフチェンコにおいて頂点に達する。…

※「ウクライナ文学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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