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ウランゲリ Vrangel', Ferdinand Petrovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウランゲリ
Vrangel', Ferdinand Petrovich

[生]1797.1.9. プスコフ
[没]1870.6.6. タルトゥ
ロシアの軍人,提督。 1817~19年 V.M.ゴロウニンのカムチャツカ探検に参加。 25~27年『クロトキー』号による世界一周航海を指揮した。 40~49年ロシア=アメリカ会社の社長となり,55~57年には海相をつとめた。 64年退官したが,67年のアラスカ売却には反対した。

ウランゲリ
Vrangel', Pëtr Nikolaevich

[生]1878.8.27. ペテルブルグ
[没]1928.4.25. ブリュッセル
ロシアの軍人,将軍,反革命の指導者。伯爵。ロシア革命後の 1918年8月クリミアに行き,19年春赤軍に対抗する白衛軍を組織した。 19年 12月反ソビエト「義勇軍」の司令官に任じられたが,同じ反革命軍指導者の A.I.デニーキンに追われ,一時国外に去った。 20年4月デニーキンの敗北後,南ロシアの反革命軍の司令官に選ばれ,11月 14日クリミアで敗北を喫し,亡命。 24年「全ロシア軍事同盟」を設立。死後『回想記』 Zapiski (1928) が出版された。

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百科事典マイペディアの解説

ウランゲリ

ロシアの航海家,提督。1820年―1824年シベリア北東部の北極海岸を調査,ウランゲリ島の位置を推定。1825年―1827年クロトキー号で世界周航を指揮。1829年―1835年アラスカにおけるロシア植民地の長官

ウランゲリ

帝政ロシアの軍人。ロシア革命デニキンらと反革命軍を組織したが敗北。その後も英仏の援助を得てクリミアで赤軍と戦ったが,1920年敗れてベルギーに亡命。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ウランゲリ
うらんげり
Пётр Николаевич Врангель Pyotr Nikolaevich Vrangel'
(1878―1928)

ロシア帝政時代の陸軍中将、内戦期の南部ロシアにおける反革命軍の指導者。1907年、陸軍大学卒業。第一次世界大戦中に騎兵隊を指揮したが、十月革命後南部に逃れ、デニキンのもとで「義勇軍」の騎兵軍団の指揮にあたった。しかし、まもなくデニキンと対立し、デニキン軍が敗北すると、20年4月、南部ロシア白軍の最高総司令官に任命された。彼はクリミアを拠点に、ソビエト・ポーランド戦争開始を利用して北進を開始したが、20年11月に敗北して亡命、内戦は終結した。亡命後も軍事組織の形成に努めたが、ブリュッセルで死去した。[藤本和貴夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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