エルンスト(読み)えるんすと(英語表記)Max Ernst

デジタル大辞泉 「エルンスト」の意味・読み・例文・類語

エルンスト(Max Ernst)

[1891~1976]ドイツの画家。フランスで活躍し、シュールレアリスムの指導的人物。コラージュフロッタージュを発表。作品に「百頭の女」「博物誌」。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「エルンスト」の意味・読み・例文・類語

エルンスト

  1. ( Max Ernst マックス━ ) 画家。ドイツ生まれ。初め表現派からダダ運動に参加、一九二一年からパリに住み、シュールレアリスムの代表的作家となる。四一年から四九年までアメリカに滞在、以後はパリで生活した。(一八九一‐一九七六

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「エルンスト」の意味・わかりやすい解説

エルンスト(Max Ernst)
えるんすと
Max Ernst
(1891―1976)

シュルレアリスムの代表的な画家。4月2日ドイツのケルン近郊ブリュールに生まれ、パリ、ニューヨークなどで国際的に活躍する。1909~1911年ボン大学で哲学を専攻。ピカソやデ・キリコの絵に関心を抱く。1919年ケルンでアルプらと雑誌『通風機』によってダダの運動を起こす。1920年コラージュによる絵画を創案する。これは、異質の物象を示す図を張り合わせて意外性による幻想や欲求を刺激し、フロイトのいう潜在意識に対応するイメージをくみ上げようとするものであった。1921年パリに移住、ブルトンら詩誌『文学』の詩人たちと交流し、1924年以来シュルレアリスム絵画の中心的存在として、ブルトンのシュルレアリスム宣言にある「純粋に心理的、精神的なオートマティスム」を実作において推進した。1925年ごろ、さらにフロッタージュの技法を開拓したが、これは板の木目や木の葉、石、麻袋などの上に紙を置き、その上を木炭や鉛筆でこすって像を発現させる方法で、『博物誌』(1926)にみるように意識のコントロールの及ばない幻想世界を表現した。1941年第二次世界大戦の戦火を避けてアメリカに渡り、1945年までニューヨークに住んでアメリカの若い世代に影響を与える活発な制作を行った。以後アリゾナに移って北アメリカ先住民の原始美術に共鳴し、コレクションも行った。1949年パリに戻って、1976年4月1日同地で死去。シュルレアリスム絵画の主要な理念と方法は彼によって開発された。

[野村太郎]


エルンスト(Richard R. Ernst)
えるんすと
Richard R. Ernst
(1933―2021)

スイスの化学者。ウィンタートゥール生まれ。1956年スイス連邦工科大学を卒業。同大学に進学し、核磁気共鳴NMR:nuclear magnetic resonance)を用いた研究を行い1962年に博士号を取得。1963年よりアメリカのバリアン協会研究員となる。当時のNMRは、原子核の性質を調べるといったように理論物理学で利用される道具であったが、より実践的な適用の探索を始める。1964年に、フーリエ変換NMR(FT‐NMR)の実験に初めて成功する。1968年スイスに帰国し、スイス連邦工科大学講師。1976年に同大学教授となる。

 NMRの感度をあげるくふうを重ね、1970年代には二次元NMRを開発した。これによりタンパク質や核酸などの複雑な生体分子の溶液中での三次元構造解析が可能となった。フーリエ変換を組み合わせたフーリエ変換二次元NMRは、医学分野で使われるMRI(magnetic resonance imaging)へ応用されている。これらの功績により、1991年にノーベル化学賞を受賞した。

[馬場錬成]


エルンスト(Paul Ernst)
えるんすと
Paul Ernst
(1866―1933)

ドイツの作家、劇作家。ハルツの鉱山監督の子として生まれる。学生時代には当時流行の自然主義社会主義にひかれたが、1900年のイタリア旅行、とりわけジョットの絵に触れたのを契機に、古典に根ざした理想主義新古典主義)を唱えるようになった。実作者としてよりも理論的活動のほうが注目される。代表作に評論『フォルムへの道』(1906)、短編集『東方の王女』(1902)がある。

[松本道介]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「エルンスト」の意味・わかりやすい解説

エルンスト
Max Ernst
生没年:1891-1976

ダダおよびシュルレアリスムの代表的な画家。ドイツのブリュールに生まれ,ボン大学で哲学と美術史を学ぶ。1914年ケルンでアルプと出会う。19年互いに関係のない写真や印刷物を貼りあわせて意外な視像を現出させる〈コラージュ〉を試み,ケルンでダダ運動をおこす。翌年ブルトンらと交友し,やがてシュルレアリスムに加わる。22年パリへ移住し,詩人エリュアールとの共編《不死者の不幸》を出版。25年,目の粗い物体の表面に紙をあて,鉛筆などでこすって視像をえる〈フロッタージュ(摩擦画)〉の技法を発見。この技法は〈精神的な諸能力の刺激感応性を強化する〉幻覚の定着方法といわれるが,これにもとづく作品集《博物誌》を翌年刊行した。〈コラージュ〉による作品集には《百頭女》(1929)と《慈善週間》(1934)がある。〈フロッタージュ〉にせよ〈コラージュ〉にせよ,既存のものをとりあげて再構成し,見る者の想像力に働きかけるものだが,それは頭の中で想い描かれたものを外で客体化する伝統的な表現の仕方を根本的に変えてしまう画期的な方法である。シュルレアリスムの革新的な着想のなかでもきわめて重要なものである。モティーフとしては幼年時代,森の中での神秘的体験にもとづいて創作した〈怪鳥ロプロプ〉などを主題に,表面処理に種々の工夫をこらしつつ,緻密なイメージによって集合的無意識に通じる世界をみごとに視覚化してみせる。39-40年,第2次大戦のため敵国人として収容所に入れられた。41年ニューヨークに渡り,アメリカの若い世代と交流,50年代から活躍しはじめる画家たちに深い影響を与えた。50年パリに戻り,54年ベネチア・ビエンナーレで絵画大賞を受賞。独特な絵画論を展開した《絵画の彼岸》(1948)がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「エルンスト」の意味・わかりやすい解説

エルンスト

ドイツ,ブリュール生れのフランスの画家。シュルレアリスムの代表的作家の一人。1919年アルプとケルンでダダ運動を興す。1922年パリに出,シュルレアリストとして活躍。コラージュフロッタージュなどの手法で,《博物誌》(1926年),《百頭女》(1929年),《慈善週間》(1934年)などを制作。〈怪鳥ロプロプ〉をはじめとする幼年期の神秘的体験に基くイメージをモティーフとして,集合的無意識に通じる世界を視覚化した。第2次大戦中に渡米し,アリゾナに定住。1948年米国籍を得る。この前後から《雨後のヨーロッパ》(1940年―1942年)など,古生代を思わせる不吉で荒涼とした風景を描いた。1949年フランスに戻り,1958年フランスに帰化。
→関連項目コーネルデカルコマニー

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エルンスト」の意味・わかりやすい解説

エルンスト
Ernst, Richard Robert

[生]1933.8.14. スイス,ウィンタートゥール
スイスの化学者。 1956年チューリヒのスイス連邦工科大学化学科を卒業,62年同大学で物理化学博士号を取得。 63~68年アメリカ,カリフォルニア州パロアルトのバリアン協会研究員を経て,スイスに戻り,母校で講師となり,70年助教授,76年教授に就任。アメリカでの研究時代に,高分解能核磁気共鳴 (NMR) 分析法の精度を飛躍的に高める方法を発見した。すなわち従来の電磁波の波長をゆっくりと変化させる方法を,強力なパルス状の電磁波を瞬時にかける方法に変え,さらに試料が発する信号にフーリエ変換を施して吸収スペクトルを得るのである。この発見により分析可能な対象が広がった。さらに 1970年代後半以降は NMRを3次元,4次元にまで拡張し,生化学,医学,生物学,物性物理学などさまざまな分野での応用を可能にした。 91年ノーベル化学賞を受賞。

エルンスト
Ernst, Max(Maximilien)

[生]1891.4.2. ケルン,ブリュール
[没]1976.4.1. セイセン
ドイツ出身のフランスの画家,彫刻家。ボン大学で哲学を学び,絵は独学。第1次世界大戦後バールゲルトとともにケルンでダダの運動を起し,互いに無関係な書物の挿絵を張合せて,文学的で知的な構想の画面を形成するコラージュを創始。代表作は『百頭女』 (1929) 。 1922年パリに移り代表的なシュルレアリストとして活躍。 25年には物の表面に紙を当て,その上から鉛筆などで拓本のようにこするフロッタージュの技法を初めて採用し,『博物誌』 (26) など幻想的な作品を制作。 41年渡米しニューヨークで A.ブルトンらとシュルレアリスムの雑誌『VVV』を刊行。 53年フランスに帰る。画論に『絵画の彼岸』 Au delà de la peinture (37) がある。

エルンスト
Ernst, Paul (Karl Friedrich)

[生]1866.3.7. エルビンゲローデ
[没]1933.5.13. オーストリア,ザンクトゲオルゲン
ドイツの小説家,劇作家。初めベルリンで学び,自然主義やマルクス主義に共鳴したが,のち離れ社会学の研究に打込み,特に中世社会を新しい社会のモデルと考えるにいたる。ショルツやルブリンスキーらと新古典主義を提唱。晩年は農村に引きこもって生活。悲劇『カノッサ』 Canossa (1908) ,『ブルーンヒルト』 Brunhild (09) ,評論集『形式への道』 Der Weg zur Form (06) などがあるが,特に短編小説に非凡の才を示し約 300編を残し,『喜劇役者たち』 Komödiantengeschichten (20) などがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

化学辞典 第2版 「エルンスト」の解説

エルンスト
エルンスト
Ernst, Richard R.

スイスの物理化学者.チューリヒのスイス連邦工科大学に学び,核磁気共鳴(NMR)の測定理論で,1962年学位を取得.1963~1968年カリフォルニアのVarian社に勤めた後,連邦工科大学に戻り,1976年物理化学教授となる.従来は連続波の周波数掃引によっていた核磁気共鳴スペクトルの測定法にかわり,単一のラジオ波パルスによる核磁化の運動を検出し,フーリエ変換によりスペクトルを得るフーリエ変換核磁気共鳴(FT-NMR)法を開発し,NMRの測定感度を飛躍的に向上させた.さらに複数のラジオ波パルスの間隔をかえて磁化の信号を取得し,二つの時間軸に対してフーリエ変換を行う二次元NMR測定をはじめて行い,NMRによる生体分子などの複雑な高次構造解析に道をひらいた.以上の業績により,1991年ノーベル化学賞を受賞した.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

367日誕生日大事典 「エルンスト」の解説

エルンスト(告白公)

生年月日:1497年6月26日
ドイツのブラウンシュヴァイク-リューネブルク大公
1546年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のエルンストの言及

【オブジェ】より

…デュシャンは13年以後,量産の日用品を加工も変形もせず作品化する〈レディ・メード〉で,一品制作の手仕事による個性やオリジナリティの表現という,近代芸術の理念にアイロニカルな批判をつきつけ,ピカビアの〈無用な機械〉と名づけた立体や絵画も,機械のメカニズムをとおして人間や芸術を冷笑した。第1次大戦中におこったダダは,これらの実験を総合し,アルプやハウスマンの木片のレリーフ状オブジェや,シュウィッタースのがらくたを寄せ集めた〈メルツMerz〉,エルンストの額縁に入った金庫のようなレリーフ状作品などで知られる。ロシア,オランダの構成主義の,幾何学的構成物も見のがせない。…

【木】より

…20世紀になって,サルトルはマロニエの〈根〉を見て実存の恐怖を感じ(《嘔吐》),大江健三郎は木を主題とする一連の作品の中で宇宙樹のシンボリズムを復活させた。シュルレアリストのエルンストは森の連作を描いたが,これはロマン派と中世神秘主義を継承したもので,文明に冒されぬ人間精神の根源を象徴する。モンドリアンも木の連作によって,木のもつ宇宙的シンボリズムを水平と垂直のバランスのうちに抽象化した。…

【フロッタージュ】より

…〈こすり絵,摩擦画〉の意味で,物体の粗い表面に紙などをあてて,鉛筆や筆でこする手法,あるいは作品。子どもの遊びや石拓,魚拓などに古くから用いられているが,この手法に積極的な表現の意味を与えたのは,シュルレアリスム時代のM.エルンストである。彼はある雨の日,ホテルで床板を見ていて,その木目がいらだたしさを伴った幻覚を与えるのに耐えきれず,その上に紙をあてて黒鉛でこすってデッサンを作り,幻覚をしずめた。…

【モンタージュ】より

…〈フォトモンタージュ〉ということばは,第1次大戦直後にベルリンのダダイストによってつくりだされたものである。しかし,写真的イメージの合成術は19世紀にすでにあり,またキュビスト(ブラックなど)やM.エルンストのコラージュ,マン・レイらのフォトグラムなどフォトモンタージュに類した技法も見られ,さらにフォトモンタージュそのものの手法も多様で,フォトモンタージュの概念はいまだにあいまいである。ここでは一応,フォトモンタージュを,既成の写真を合成して別のイメージを人工的につくりだす表現と考えることにする。…

※「エルンスト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android