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オケヘム Ockeghem, Johannes

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オケヘム
Ockeghem, Johannes

[生]1430頃
[没]1495/1496. ツール
初期フランドル楽派の代表的作曲家。アントワープ (アントウェルペン) 大聖堂の児童合唱団から出発し,歴代のフランス王に仕え,1454年「礼拝堂首席司教」,65年「王室礼拝堂楽長」の称号を受けた。各声部が均等な比重をもつ巧みな声部操作によって,かつてない響きを生み出し,当時「音楽の王」とたたえられた。その対位法的技法は美術の遠近法の発見に比せられ,特にその傾向の著しい『ミサ・プロラツィオーヌム』は,技巧上バッハの『フーガの技法』にたとえられるポリフォニー作品である。ミサ曲約 15,モテト約7,世俗シャンソン約 20曲が筆写楽譜として残存

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百科事典マイペディアの解説

オケヘム

フランドル楽派の第1期を代表する作曲家。オケゲムともいう。生地は不詳。シャルル7世以下3代のフランス国王に仕え,百年戦争の終結(1453年)で活気をとりもどしたフランス宮廷で活躍した。1465年宮廷礼拝堂楽長となり,のちスペインとフランドルにも旅した。晩年はトゥールで暮らし,同地で死去。今日に伝わる作品数は多くないが,その中心は宗教曲で,王室礼拝堂のために書かれたミサ曲が特に重要。それらはデュファイが確立した循環ミサ曲の様式を受け継ぎ,各声部が息の長い独自の旋律線を形づくる厳格なポリフォニーを特徴とする。そこに盛られた複雑な技法は,次世代のジョスカン・デ・プレ,ピエール・ド・ラ・リュー〔1460ころ-1518〕らに少なからぬ影響を与えた。また,現存する最古のポリフォニーによるレクイエム(1480年代ころ)も残され,ほかにモテット,世俗シャンソン(シャンソン)がある。その死は当時の文人たちに哀惜され,エラスムスらが追悼詩を捧げた。

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世界大百科事典 第2版の解説

オケヘム【Johannes Ockeghem】

1410ころ‐97
フランドル楽派の作曲家。オケゲムとも呼ばれる。1451年ころから30余年にわたり3代のフランス国王宮廷に仕え,王の使節団の一員としてスペインなどに旅行した。トゥールで没したが,彼の死は当時の文人たちに哀惜され,エラスムスは《音楽の長オケヘムへの挽歌》を,ほかに2人の詩人が追悼詩をささげている。今日まで伝えられている作品の数は比較的少ないが,ミサ,モテット,シャンソンの多岐にわたり,さらに現存する多声による最古のレクイエムも含まれる。

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大辞林 第三版の解説

オケヘム【Johannes Ockeghem】

〔Jean O. とも〕 (1425頃~1497) フランドルの作曲家。フランス王家の宮廷礼拝堂楽長となり、ポリフォニー書法を飛躍的に高めた。ミサ曲・モテット・シャンソンなどが現存。オケゲム。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

オケヘム
おけへむ
Johannes Ockeghem
(1425ころ―1497)

フランドル楽派の作曲家。1440年代にアントワープ(現アンベルス)、フランスのムーランで活躍したのち、40年にわたりシャルル7世、ルイ11世、シャルル8世の3代のフランス国王の宮廷に仕え、トゥールに没した。初期フランドル楽派最大の作曲家で、デュファイ以来の新しい技法を受け継ぎ、厳格な対位法書法により書かれた音楽は、次代のフランドル楽派の基礎的な方向となった。それはミサ曲やモテットにはっきりみられるが、一方で伝統的なブルゴーニュ風書法によるシャンソンも多く残している。[今谷和徳]

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