19世紀前半,オックスフォード大学関係の英国国教会聖職神学者たちによって行われた国教会再建運動。当時の国教会は規律の弛緩,神学上のリベラリズムの影響,カトリック教会の勢力強化などにより危機的状態にあったが,キーブルJohn Keble(1792-1866)のオックスフォードにおける〈国民的背教〉と題する説教(1833年7月14日)をきっかけとして英国国教会を17世紀の国教会神学者たちのかかげる高教会の理想に従って改革再建する運動がおこった。この運動の中心的指導者はキーブル,J.H.ニューマン,ピュージーEdwardB.Pusey(1800-82)で,《時局小冊子Tracts forthe Times》(1833年ニューマンによって始められる)という文書活動によって推進された。それゆえオックスフォード運動は〈トラクト運動Tractarian Movement〉ともいわれた。
この運動の目的は,カトリック教会と非国教会的プロテスタント諸教派との中間の道via mediaを行く英国国教会を擁護し,国教会が神的基礎をもつものであること,国教会の主教制が使徒伝承をもつこと,国教会制定の祈禱書を信仰の基準として受けいれるべきことを主張した。それを裏づけるため古代教会史や17世紀の国教会神学者の著作の編集出版がなされた。しかしのちにニューマンがカトリックに改宗(1845)し分裂した。それにもかかわらずこの運動が19世紀イギリスの教会および知的世界に与えた影響は大きい。
執筆者:大木 英夫
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イギリス国教会における信仰復興運動。19世紀初頭、無能な国教会首脳部にかわって、一連の改革を押し付けようとした政府に反発したオックスフォード大学教授キーブルによる「国家的背教」と題する説教(1833)によって始められた。キーブルとその同調者らが『時局小冊子(トラクト)』Tracts for the Timesを刊行し、教会理解の深化による体質改善を訴えたため、「トラクト」運動ともよばれた。イギリス国教会が使徒継承による真のカトリック教会の枝であり、俗権の干渉を受けない霊的存在であるとするその主張は、政府、新聞だけでなく、教会の権威や聖奠(せいてん)を軽視しがちな国教会内の低教会派や、キングズリーのような自由主義的傾向をもつ広(こう)教会派の人々から厳しく批判された。しかし、無気力な当時の国教会に活気を与え、礼拝に荘厳さを取り戻し、聖職者の教育および道徳の水準を高め、労働者や貧民に慰めの手を伸べ、海外伝道を積極的に推進するなど、この運動が国教会の自己革新と信仰復興のために果たした役割は大きい。
[八代 崇]
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…17世紀に入るとアンドルーズLancelot Andrewes,ロードWilliam Laudらがピューリタンに対して教会のカトリック性を強調し,ロードがピューリタン革命で処刑されたこともあって,王政復古時には高教会派が主導権を得た。名誉革命後,ウィリアム3世への臣従を拒否したものが高教会派に多かったため,教会と国家の首脳部が低教会派を優遇する時代が続いたが,キーブルJohn Keble,ピュージーEdward Bouverie Pusey,J.H.ニューマンらのオックスフォード運動によって,高教会派はふたたび活気づけられ,以後アングリカン・チャーチ内の一大勢力として今日に至っている。高教会派のなかでよりカトリック的な立場はアングロ・カトリック主義と呼ばれ,16世紀の宗教改革者らの貢献を否定し,礼拝・信仰生活面でカトリック的慣行を大幅に復活させたため,低教会派の厳しい批判を受けた。…
※「オックスフォード運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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