オランド(英語表記)Hollande, François

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オランド
Hollande, François

[生]1954.8.12. ルーアン
フランスの政治家。大統領(在任 2012~17)。フルネーム François Gérard Georges Hollande。フランス北西部オートノルマンディー地域圏で医師の息子として生まれ,エリート官僚を養成するエコール・ナシオナル・ダドミニストラシオン ENAで学んだ。1979年社会党(→フランス社会党)に入党し,在学しながらフランソア・M.ミッテランの経済顧問として働いた。1980年に ENAを卒業。翌 1981年に国民議会選挙でジャック・シラクに敗れたが,ミッテラン政権の経済問題特別顧問に任命され,次いでピエール・モーロア首相のもとで 2人の歴代政府報道官の官房長を務めた。1988年コレーズ県から立候補した国民議会選挙で当選を果たしたが,1993年の同選挙で落選,1997年に国民議会議員に返り咲いた。同 1997年に保守派のシラク大統領が率いる保革共存政権で首相に任命されたリオネル・ジョスパンのあとを継いで党の第一書記に就任。国民議会議員と,テュル市長(2001~08)をはじめ数々の地方の要職を兼務した。社会党が 2002,2007年の大統領選挙で敗北を喫したことをうけ,2008年に第一書記を辞任した。2011年,次回の大統領選挙の有力候補だった国際通貨基金 IMFの専務理事ドミニク・ストロスカーンがみずからのスキャンダルで候補者争いから脱落した。オランドは穏健な政治要綱を掲げ,党の大統領候補として着実に地歩を固め,同 2011年10月社会党の公認候補に選ばれた。2012年5月,大統領選挙の決選投票で現職のニコラ・サルコジを破り,第五共和政第7代大統領に就任した。2007年の大統領選挙で社会党の大統領候補となったセゴレーヌ・ロワイヤルは ENAのクラスメートで長年のパートナーだったが,落選後パートナーを解消した。その後フランスでは,2015年1月のシャルリエブド事件や 11月のパリ同時テロなどテロリズムの標的になる事件が続いた。オランドは「フランスは戦争状態にある」と述べて国家非常事態を宣言し,対「イスラム国」軍事作戦でアメリカ合衆国やロシアとのさらなる協力を推進した。2016年12月,オランドは再選を目指さない意思を表明した。

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百科事典マイペディアの解説

オランド

フランスの政治家。フランス共和国第五共和政第7代大統領(2012年就任)。ルーアン出身。フランス社会党所属。パリ政治学院卒業。在学中にフランス全学連委員長。1980年,政治エリートの養成機関である国立行政学院を卒業。ミッテラン大統領の参事官となる。1988年国民議会議員に当選。1997年社会党第一書記。1999年欧州議会議員に選出される。2010年10月,2012年4月の大統領選挙に向けて行われた予備選で勝利し,社会党の大統領候補に選出された。2012年5月の大統領選挙で雇用創出,富裕層への課税強化など格差解消の中道左派政策をかかげ,現職のサルコジとの決戦投票で勝利し,17年ぶりに左派の大統領となった。ユーロ危機・欧州債務問題のなか,ドイツを中心にEUが進める財政再建にフランスが協調路線をとり続けるかどうか世界の注目が集まったが,オランドはフランスの財政赤字削減の推進と,EUレベルにおける緊縮政策一辺倒でなく成長戦略の重要性を訴え,各国で一定の共通認識を得ることに成功した。しかし,就任後も信用不安の影響で景気の低迷は続き,10%を超える失業率は高止まりしたままで,企業への優遇策を減少させる政策は景気低迷感にさらに拍車をかけるという状況が続き,就任当初の支持率58%は半年後には30%台に落ち込んだ。オランド政権は,当初方針を転換し,企業の競争力を高めるために減税を段階的に進め,他方付加価値税を引き上げて広く国民に負担を求めて財政の立て直しを進める政策に転じた。また,若者の15万人の雇用創出という方針を堅持することで,支持率の悪化に歯止めをかけようとした。外交・軍事では,2013年1月,西アフリカ・マリの暫定政府の要請を受けて,北部を占拠する反政府勢力であるイスラム武装勢力を攻撃,空爆を中心に軍事介入を実行した。旧宗主国として〈平和〉維持のための介入としているが,マリに隣接するニジェールのウラン鉱脈は原子力大国フランスの資源確保戦略にとって重要な意味があり,武装勢力の伸長による西アフリカの政治の不安定化を押しとどめる意図がある。しかし,大統領の支持率の低迷に加え,政権発足後2年の評価を問う2014年3月の地方選挙では社会党は惨敗,社会党を中心とする左派の得票率は38%,最大野党の民衆運動連合などの右派が47%を占め,さらに極右の国民戦線が支持を拡大するなど,厳しい結果となった。この結果を受けて,オランドはエロー首相を更迭,バルス内相を首相に任命した。下院では今なお与党が絶対過半数を上回る議席を有しているが,政権発足当初に連立を組んでいたヨーロッパ・エコロジー=緑の党(環境政党)が2014年4月以降閣外協力に転じ,政権を構成するのは急進左派党(中道左派)のみとなっているほか,与党社会党内でも造反機運がくすぶるなど,政権基盤は不安定化している。低迷する経済状況をも踏まえ,オランドは輸出促進・対仏投資誘致〈経済外交〉を目指している。2015年1月パリで,週刊新聞シャルリー・エブドの事務所がアルジェリア系フランス人のジハード主義者に襲撃され,さらに連続して警官襲撃,ユダヤ食品スーパー襲撃と多数の死傷者を出すテロ事件が起こった。犠牲者の追悼と〈言論表現の自由〉を擁護するための大行進がフランス各地で行われ,オランドは先頭に立ち,各国首脳を含む370万以上の人々が参加した。2007年の大統領選でサルコジに破れた社会党のセゴレーヌ・ロワイヤルとの間に4人の子どもがいる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

オランド
おらんど
Franois Hollande
(1954― )

フランスの政治家。ルーアンに生まれる。父は医師、母はソーシャルワーカーを勤める中流家庭に育った。パリ政治学院(Sciences Po=Institut d'tudes politiques de Paris)、高等商業学校(HEC=cole des hautes tudes commerciales)、国立行政学院(ENA=cole nationale d'administration)の三つのエリート教育機関を1980年までに修了し、会計検査院の参事官についた。学生時代には左翼政治運動に参加しており、1979年に社会党に入党している。
 1981年に国民議会選挙に出馬するが落選、しかし社会党出身のミッテランが大統領に当選すると、その側近として経済担当スタッフになった。1988年国民議会選挙で初当選。1994年に社会党の書記になり、1997年から2008年まで同党第一書記を務めた。1999年にはヨーロッパ議会議員に選出されている。2010年10月に大統領選挙の社会党候補予備選挙が行われ、大統領候補となった。2012年4月の大統領選挙ではオランドは得票率で第1位となるが過半数に届かず、翌5月の決選投票で現職のサルコジを破り、当選した。社会党としては17年ぶりの大統領。サルコジ大統領が財政赤字の改善を目ざして緊縮財政を進めていたのに対し、オランドは大統領選挙において「生活優先」を掲げ、雇用増大、社会保障の重視を打ち出して国民の支持を獲得した。ヨーロッパ連合(EU)諸国において、財政再建問題が深刻化するなかで、景気回復のための財政出動を政策としてあげている新大統領の動向が注目されている。[編集部]

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