改訂新版 世界大百科事典 「オルレアン家」の意味・わかりやすい解説
オルレアン家 (オルレアンけ)
フランスの親王家。国王によってオルレアン公領を与えられた家系で,以下の四つがある。(1)フィリップ6世によって,その4番目の息子フィリップに1344年オルレアン公領が授けられて成立したが,後継者がなく,75年に1代で断絶した。(2)シャルル5世によって,その第2王子ルイに1392年オルレアン公の称号が与えられたことに始まる。ルイとその息子シャルルは百年戦争下にあって,アルマニャック派の中心として一大勢力を有し,ブルゴーニュ公とフランスを二分して対立した。シャルルの子は1498年ルイ12世として王位につき,この結果オルレアン公領は王領に統合された。(3)1626年,ルイ13世は弟のガストンGaston d'Orléansをオルレアン公とした。ガストンはリシュリューに対して陰謀を企てたり,フロンドの乱に荷担したりしたが,この時期には絶対王政がすすみ,すでに親王の権限は大幅に制限されていたため,前の家系のような大きな勢力は持てなかった。彼には男子相続者がいなかったため,1代で終わった。(4)20世紀まで続くこの家系は,1661年ルイ14世が弟のフィリップをオルレアン公としたことに始まる。その子のフィリップPhilippe Ⅱは1715年から23年にかけてルイ15世の摂政となり,名門貴族による統治の復活をはかったが失敗した。これより3代後のフィリップはフィリップ・エガリテ(平等公)と呼ばれた開明貴族で,アンシャン・レジーム末期から革命期にかけて活躍し,国民公会議員としてルイ16世処刑に賛成の投票を行った。19世紀になると,王党派はブルボン家の支配の復活をもくろむ正統王党派と,オルレアン家を支持するオルレアン王党派とに分裂し,1830年の七月革命の結果,〈平等公〉の息子ルイ・フィリップがブルボン家のシャルル10世に代わって王位についた。ここに初めてオルレアン家の支配が実現したが,48年には二月革命によって王位を奪われた。オルレアン王党派は,1870年代にルイ・フィリップの孫のパリ伯をいただいて王政復古をはかったが,正統王党派との調整がつかず,失敗に終わった。
執筆者:林田 伸一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報