改訂新版 世界大百科事典 「ルイ13世」の意味・わかりやすい解説
ルイ[13世]
Louis ⅩⅢ
生没年:1601-43
フランス国王。在位1610-43年。アンリ4世とマリー・ド・メディシスの長子として生まれ,1610年アンリ4世が暗殺されるとともに9歳で即位した。政治の実権は摂政であった母后とそのお気に入りのイタリア人コンチーニ夫妻が握っていたが,国王は成年に達するとこれを不満とし,17年寵臣リュイヌの手をかりてコンチーニを暗殺し,母后もブロアに追放した。こうして親政が開始されたものの,王国は,国王の未成年時代からこれを幸いとして不穏な動きを示し始めていた大貴族とユグノーの反抗のために,危機的な状況にあった。そこで,ルイ13世は,24年リシュリュー枢機卿を国務会議のメンバーに登用し,この難局をゆだねた。30年,母后マリーと取巻きの大貴族は,宰相となり王権の強化を推進するリシュリューの罷免を要求したが,国王はあらためてリシュリューへの信任を表明し,逆に母后の海外亡命を余儀なくさせた。王位を狙う王弟ガストン・ドルレアンが扇動した何度かの大貴族の反乱や陰謀も失敗に終わらせた。他方,ユグノー勢力に対しては,10ヵ月に及ぶラ・ロシェルの攻囲戦の結果これを鎮圧し(1627-28),彼らの政治的特権を剝奪した。対外的には,重商主義政策をとり,海外貿易と海軍の発展に力を入れた。また,ハプスブルク家の勢力を抑えるため,35年スペインに正式に宣戦を布告,三十年戦争に参加した。しかし,この戦争のため民衆の租税負担は急激に増加,クロカンの乱(1635-37),裸足の乱(1639)などの大規模な農民一揆が各地に発生した。この時代にみられる国王直轄官僚機構の強化は,これに対処するためと同時に,戦争遂行に不可欠の効率的な行政を確保するためのものであった。ルイ13世には長いこと後継ぎがなかったが,ようやく38年,スペイン国王フェリペ3世の娘である王妃アンヌ・ドートリッシュとの間に,のちのルイ14世となる王子を得た。
執筆者:林田 伸一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報