日本大百科全書(ニッポニカ) 「カネボウ」の意味・わかりやすい解説
カネボウ
かねぼう
薬品、各種繊維素材等のメーカーであり、カネボウ・グループの中核会社。2007年(平成19)解散した。1886年(明治19)東京の繰綿(くりわた)問屋5店によって設立された東京綿商社が、翌年東京・鐘ヶ淵(かねがふち)に紡績工場を建設、資本金100万円、錘(すい)数3万錘で出発した。しかし経営不振で、1888年綿売買を廃止し鐘淵(かねがふち)紡績と改称。1892年三井銀行が再建に乗り出し、1894年兵庫工場を建設、続いて1899年上海(シャンハイ)紡績など7社を合併、1905年(明治38)には織布部門、1908年絹糸部門、1922年(大正11)絹布、絹製品、1934年(昭和9)毛糸、化学繊維、麻製品に進出した。さらに鉱業、化学、農牧畜を兼業し、1938年これらを分離して鐘淵実業を設立。その後、鐘淵実業は、製鉄、航空機製造などに事業拡張、また中国各地に直営事業を経営ないし投資した。第二次世界大戦中の1944年に鐘淵紡績と鐘淵実業が合併して鐘淵工業となった。戦後1946年(昭和21)持株会社に指定され、1948年過度経済力集中排除法が適用され、1949年非繊維部門を鐘淵化学工業(現カネカ)として分離した。朝鮮戦争による特需景気で繊維部門を再建。1962年ナイロン二次加工、1963年食品、1966年医薬品、1969年住宅環境製品に進出、多角化を図った。1971年に社名を鐘紡株式会社と改称、その後各事業部門を分離、繊維25社、化粧品9社、薬品2社、食品2社、住宅環境・新素材9社その他のカネボウ・グループを形成した。その後、化粧品へ主軸を転換、株式市場においては所属業種を繊維製品から化学に変更(2000年)、2001年(平成13)に社名をカネボウ株式会社に変更した。2004年債務超過などの理由から産業再生機構に支援を申請、支援が決定した。同年化粧品部門をカネボウ化粧品として分離。翌2005年6月、有価証券報告書の虚偽記載を行っていたことにより上場廃止となった。2006年産業再生機構による支援が終了し、投資会社3社に主要事業を譲渡。カネボウはその他事業の運営、清算業務等を行ったのち、2007年に解散、社名を海岸ベルマネジメントに変更し、清算業務だけを行った。2008年に海岸ベルマネジメントは投資会社3社出資の買収受取会社であるトリニティ・インベストメントに吸収合併された。なお、カネボウが譲渡した主要事業会社は2006年にカネボウ・トリニティ・ホールディングス(現クラシエホールディングス)を統括会社として再出発、2007年には社名、商標名を「Kanebo」から「Kracie(クラシエ)」に変更した。
[田付茉莉子]
『鐘紡株式会社編・刊『鐘紡百年史』(1988)』