朝吹英二(読み)アサブキ エイジ

20世紀日本人名事典 「朝吹英二」の解説

朝吹 英二
アサブキ エイジ

明治期の実業家 三井呉服店専務理事;王子製紙会長。



生年
嘉永2年2月18日(1849年)

没年
大正7(1918)年1月31日

出生地
豊前国宮園村(大分県)

別名
幼名=万吉,号=柴庵

経歴
村上姑南に漢学を学び、のち咸宜園で学ぶ。明治3年福沢諭吉暗殺を企てたが失敗、慶応義塾の玄関番となる。5年同塾出版部主任となり、11年三菱商会入社。13年貿易商会に転じ取締役。以後、鐘紡専務、三井呉服店専務理事などを経て、42年王子製紙会長、三井銀行監査役に就任するなど、三井系諸会社の要人として財界重きをなした。44年引退。自邸に茶室柴庵を設けるなど、茶人としても知られ、茶道、香道、国文学の蔵書1700点を母校慶応義塾に寄贈した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「朝吹英二」の意味・わかりやすい解説

朝吹英二
あさぶきえいじ
(1849―1918)

実業家。豊前(ぶぜん)国(大分県)下毛郡下郷村宮園に泰造(庄屋)の次男として生まれる。郷里で咸宜(かんぎ)園(1868年入塾)などの有名漢学塾に学ぶ。1870年(明治3)上京、福沢諭吉の書生となり慶応義塾に入塾。1872年慶応義塾出版局に出仕。一時丸屋商社にいたともいうが、1878年三菱(みつびし)商会に入社し、本店支配人を経て1880年貿易商会に移り、取締役兼支配人として直輸出の理想実現に尽力する。1886年同商会事業の事実上の休止により、半浪人生活を余儀なくされたが、義兄中上川(なかみがわ)彦次郎の推挙で鐘(かね)ヶ淵(ふち)紡績に専務取締役として入社。以後、三井呉服店、王子製紙など三井傘下企業の重役、三井合名参事などの重職を歴任した。

[浅野俊光]

『伝記編纂会編『朝吹英二君伝』(1928)』

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百科事典マイペディア 「朝吹英二」の意味・わかりやすい解説

朝吹英二【あさぶきえいじ】

実業家。豊前(ぶぜん)の人。福沢諭吉に愛され慶応義塾に学ぶ。三菱商会支配人,貿易商会取締役を経て,妻の兄中上川彦次郎の招きで1891年鐘淵紡績(現カネボウ)専務となる。のち三井の工業部専務理事としてその工業化に貢献した。のち三井呉服店専務理事,王子製紙取締役を歴任。三井合名参事となる。交詢社の政治活動にも尽力し大隈系の黒幕でもあった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朝吹英二」の解説

朝吹英二 あさぶき-えいじ

1849-1918 明治時代の実業家。
嘉永(かえい)2年2月18日生まれ。福沢諭吉の書生となって慶応義塾でまなぶ。明治11年三菱商会に入社,13年貿易商会に転じる。25年鐘淵(かねがふち)紡績専務。のち三井工業部,三井呉服店の専務理事,王子製紙会長。大正7年1月31日死去。70歳。豊前(ぶぜん)下毛郡(大分県)出身。

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367日誕生日大事典 「朝吹英二」の解説

朝吹 英二 (あさぶき えいじ)

生年月日:1849年2月18日
明治時代の実業家
1918年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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