カノ(その他表記)Kano

デジタル大辞泉 「カノ」の意味・読み・例文・類語

カノ(Kano)

ナイジェリア北部の都市。カノ州の州都。14世紀以前にハウサ族都市国家が成立し、サハラ交易拠点として栄えた。20世紀初めにラゴス鉄道で結ばれて農畜産物の集散地になり、同国北部の重要な商工業都市になった。イスラム教徒のメッカ巡礼の中継地としても知られる。カーノ

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改訂新版 世界大百科事典 「カノ」の意味・わかりやすい解説

カノ
Kano

西アフリカ,ナイジェリア北部にある都市で,同名州の州都。人口65万7000(1995)。ハウサ族の歴史をアラビア語で記した《カノ年代記》(1890年前後に書かれたものと言われる)によると,ハウサ族はダウラという伝説的な土地から移住してきた。そして七つの都市国家をつくったが,そのうちの一つがカノである。14世紀半ば,ちょうどマリ帝国が隆盛だった時に,マリから学者がやってきてイスラムを伝え,以後カノはイスラム国になった。15世紀初めに東方のカネム・ボルヌー帝国の貢納国となったが,15世紀末まではラクダの隊商による同国との貿易により繁栄した。16世紀に入ると西のソンガイ帝国の力に屈し,その貢納国となった。それでも貿易の中継地として栄えていたが,17世紀後半にジュクン族との戦闘に敗れたため,その貿易上の地位を,ライバルであった商業都市カツィナに奪われた。19世紀初頭にはフルベ(フラニ)族ジハード(聖戦)が開始され,そのなかでカノもフルベ族の手中に落ちた。しかしそのエミール(イスラム教徒の長)の下で繁栄期を迎え,1820年代西アフリカで最も強大な商業国家となった。ここで生産された皮革製品や綿製品は,サハラ砂漠越えの隊商を通して北アフリカへ,さらにヨーロッパへと運ばれた。80年代になると,奴隷貿易の廃止とヨーロッパ勢力の到来によって貿易は衰え,1903年にイギリスの支配下に入った。

 カノの旧市街は厚さ12m,高さ10~15m,周囲20kmにわたる土壁に囲まれ,壁には14の門がある。住民の大部分はハウサ族で,その他元来のカノの住民であると主張する人々とフルベ族がわずかだがいる。市は100ほどの区画に分けられ,それぞれモスクを一つと,普通は市場を一つもっている。商業国家の伝統は現在も生きており,ナイジェリア北部最大の商工業都市として,落花生,伝統的な皮革製品のほか,綿工業,畜産でにぎわいを見せる。また大学や専門学校,国際空港が置かれ,文化的・政治的にも重要な地位を占めている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カノ」の意味・わかりやすい解説

カノ
かの
Kano

西アフリカ、ナイジェリア北部のカノ州の州都。人口65万7300(1995)。砂漠と草原の境界に位置し、サハラ越え交易の重要な交易拠点として発展した。1903年イギリスが侵入、12年にはラゴスから鉄道が開通し、その後ラッカセイの集積地となった。町は、城壁に囲まれた旧市街と、城壁の外側にある新市街とに分けられる。旧市街には、エミール(藩主)の宮殿、モスク、古い市場があり、新市街には、他地域からの移住者が住むサボン・ガリや、外国人居住区、商工業地区がある。西アフリカの内陸都市のなかではもっとも工業化が進んでおり、郊外の工業用地には、食品加工、紡績、金属加工、皮革などの工場がある。ラゴスに次ぐナイジェリア第二の国際空港があり、ヨーロッパ直行便もある。毎年巡礼の季節になると、この空港近くに巡礼者用のキャンプ村ができ、多くの人がここから聖地メッカへ向かう。教育学とアラビア語研究に力を入れているアド・バイェロ大学がある。1970年代に入り、干魃(かんばつ)や政治的混乱のため、外国から流入してカノの町に住み着く人が急増し、政治問題を引き起こしている。80年には、隣国ニジェール、チャドから流入してきた一部の急進的イスラム教徒たちが暴動を起こし、1000人以上が死亡するという事件が起きた。また、エミールと、現代政治家たちとの対立もみられる。

[島田周平]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カノ」の意味・わかりやすい解説

カノ
Kano

ナイジェリア北部の都市。ザリア北東約 140kmに位置。 11世紀末~12世紀中頃ハウサ王国カノの首都。サハラ隊商路の要地で,数世紀の間,西スーダン地方の主要な市場町の一つとして栄えた。 1820年代前半にイギリスの探検家が来訪,1903年イギリス支配下となり,12年ラゴスへ通じる鉄道が開通。ナンキンマメの大集散地で,ほかに皮革,畜産物などの交易が行われ,織物,皮革加工,食肉缶詰,製靴,タイル製造,石鹸,金属家具,自動車組立てなどの軽工業がある。旧市街は周囲 17kmの城壁に囲まれ,ハウサ族が居住。その外側にイギリスが建設した新市街がある。イスラム寺院,スルタンの居城 (15世紀) などがある。近郊約 8kmに国際空港がある。人口 59万 4800 (1991推計) 。

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百科事典マイペディア 「カノ」の意味・わかりやすい解説

カノ

ナイジェリア北部最大の商工業都市。農畜産物の集散地。ラゴスと鉄道で結ばれ,空港もある交通の要地。綿花,皮革製品などを産する。14世紀ころまでにハウサ諸国の一つとして建設されてイスラム化し,交易都市として栄えた。19世紀フルベ人のジハード国家の支配に入り,現在に続くエミール(信徒の長)を戴くようになった。土壁に囲まれた旧市街をもつ。327万1000人(2010)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カノ」の解説

カノ
Kano

ナイジェリア北部の州名であり,また同州の州都。1100年に建設されたハウサ人の都市国家で,14世紀,イスラームを受け入れ,15世紀にはカネム・ボルヌー帝国,16世紀にはソンガイ帝国に貢納し,交易の中継地として栄えた。ハウサ人の歴史を記した『カノ年代記』(19世紀末)がある。

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世界大百科事典(旧版)内のカノの言及

【ハウサ諸国】より

…これらの国家は19世紀のフルベ(フラニ)族によるジハード(聖戦)で征服された際,いっさいの記録が灰燼に帰してしまったため,以前の詳細についてははっきりしていない。しかし19世紀末にアラビア語で書かれた《カノ年代記》によって多少の事実がわかっている。ハウサ諸国をつくった人々は本来ダウラという伝説的な土地から移住してきたと伝えられているが,14世紀までには,ハウサランドに7~8の国家をつくっていた。…

※「カノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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