日本大百科全書(ニッポニカ) 「カビ」の意味・わかりやすい解説
カビ
かび / 黴
有機物質上に生ずる菌類の一部で、肉眼で観察できる集落(コロニー)に対する俗称。すなわち、食品、衣料品、住居を構成する木材など、生活環境にある有機物質上に「垢(あか)」のようにわき出てくる毛状の生物を「カビ」とよぶようになった。「あかびる」が語源となり、「カビ」という一般的な呼称になったという。このほか、かみ(神)→かび、かみ(髪)→かび、という説もある。
カビと同じように、一般用語として使われている呼称に「キノコ」と「酵母」があり、一般的にはカビにこの二者を加えて菌類と考えるようになった。この考え方は、実用上便利であるだけでなく、実状と大きな差異がないことから、菌類Fungiをカビ、キノコ、酵母と3群に分類するようになった。しかし、系統分類学とは別なものであり、この三者のそれぞれの範囲は見解によって異なる。一般的に、カビは気中菌糸(空中に突出している菌糸)をつくり毛状であること、酵母は気中菌糸をつくらず外観が泡状であること、キノコは大きな子実体(胞子をつくる器官)をつくることを特徴としている。
[曽根田正己]
カビの分類
菌類(単数Fungus、複数Fungi)の系統的分類は基本的には確立しているが、さまざまな主張があり、菌類の範囲も見解により差異がある。しかし、原核性である細菌(放線菌を含む)を菌類とする主張は少ない。
菌類は、ムーアDavid Moore(1942― )によると、鞭毛(べんもう)菌類Mastigomycotina、接合菌類Zygomycotina、子嚢(しのう)菌類Ascomycotina、担子菌類Basidiomycotina、不完全菌類Deuteromycotinaと5群に分類(1994)され、ホークスワースDavid Leslie Hawksworth(1946― )らの著書『Ainsworth & Bisby's Dictionary of the Fungi, 8th ed.』(1995)によると、子嚢菌類Ascomycota、担子菌類Basidiomycota、ツボカビ菌類(ツボカビ類)Chytridiomycota、接合菌類Zygomycotaの4群に分類される。
前者の鞭毛菌類と後者のツボカビ菌類とは対応する菌群であるが、その範囲は異なる。鞭毛菌類にはツボカビ菌類のほかに、前方単毛菌類Hyphochytriomycotaと卵菌(らんきん)類(二毛菌類)Oomycotaが含まれている。ホークスワースらの主張は前方単毛菌類と卵菌類は菌類として取り扱わないということであって、きわめて特異的なものである。
不完全菌類に関しては有性世代がない(観察できない)グループに対する見解の差によるものである。ホークスワースらは不完全型子嚢菌類、不完全型担子菌類という考え方をもって分類している。
菌類のうち大部分の種類がカビであって、ときにはカビは菌類の同義語として取り扱われることすらある。
[曽根田正己]
形態
菌類は真核性生物で、細胞壁をもち、細胞内には核とミトコンドリア(細胞小器官)がある。その体制は菌糸と胞子よりなる。菌糸には匍匐(ほふく)菌糸と気中菌糸があり、栄養摂取と胞子の産生、胞子の支持の役割をもつ。胞子には有性生殖の結果形成するものと、無性的に形成するものとがある。菌糸は集合して、特徴ある菌糸の形態を示し、菌糸体とよばれる。鞭毛菌類(ツボカビ菌類)や接合菌類の菌糸は管状菌糸とよばれる。そのため隔膜がないようにみえるが、栄養摂取機能を有する菌糸には生命維持のため隔膜がある。子嚢菌類では、細長い細胞が1列に連鎖した多細胞菌糸で、細胞内には多数の核がある。担子菌類も多細胞菌糸であるが、細胞内には通常2核があり、1核の場合もある。
[曽根田正己]
無性生殖
減数分裂を伴わない体細胞分裂により形成される繁殖法であり、アナモルフanamorph(無性世代)の示す無性生殖である。菌類の場合は分散に有利である小型の無性胞子が形成される。胞子嚢胞子sporangiospore、遊走子zoospore、分生子conidium(単数)・conidia(複数)、厚膜胞子chlamydosporeなどがある。
胞子嚢胞子は接合菌類の多くにみられ、胞子嚢中に多数の胞子ができる。遊走子は鞭毛菌類(ツボカビ菌類)に多くみられ、胞子に鞭毛があって運動する。この場合の胞子嚢は遊走子嚢という。鞭毛の着生状態には特徴があり、ミスカビ類は1組の羽型鞭毛と尾型鞭毛、サカゲツボカビは1本の羽型鞭毛、ツボカビ類は1本の尾型鞭毛をもつ。分生子(分生胞子)は通常は分生子柄(へい)の先端に形成される。形成法は出芽法が基本型であるが、分裂型、内生型など、さまざまである。分生子の形は球状のものが多いが、長方型、不定型、多細胞性などがある。胞子表面は種によって多様性が認められる。表面に突起があるもの、乾燥性のもの、粘質状のものなどさまざまで、胞子分散・定着に重要な関係をもつ。
[曽根田正己]
有性生殖
鞭毛菌類(ツボカビ菌類)は2個の配偶子が接合する動配偶子接合、配偶子接着などがある。接合菌類は配偶子嚢接合がおもなもので、接合胞子を形成する。子嚢菌類は造嚢糸(造嚢体と造精器)という菌糸をつくり、接合を行う。子嚢内で異型核が融合し子嚢胞子ができる場合や、一方の造嚢糸のかわりを単核胞子がつとめる場合や、単に単核の体細胞接合により子嚢胞子を形成する場合などがある。酵母菌類以外のカビは通常、子嚢は子嚢殻などの子嚢果(肉眼で確認できるほどの大型のものがある)中に形成される。担子菌類は一般に菌糸接合による。異型核をもつ菌糸どうしの接合で、一方の細胞核が他方の菌糸に移動し、重相核細胞となる。この2核は担子胞子形成時に、担子器内で融合する。菌類には雌雄同株ものが多いが、雌雄異株の種類もある。
[曽根田正己]
分布と生態
カビの胞子は、地球上至るところに分布し、自己の増殖に適する環境に定着・増殖する。偏性(絶対的)好気性で、増殖には適当な水分と養分を必要とする。種によってそれらの条件や要求性は異なり、多様性がある。カビの栄養源、エネルギー源となる有機物は、生態学的な生産者である植物のものに親和性がある。消費者動物性有機物は次善の栄養源となる。
同一環境中に生存する細菌とは養分の取り合いだけでなく、場の占有に対して競合があり、すみ分けがある。カビが抗生物質を生産することにより、細菌の繁殖をおさえる拮抗(きっこう)作用もその一つであるが、カビの生育可能な水素イオン濃度指数(pH)域が細菌より低く、細菌の生育がおさえられるpH4.5以下で十分に生育可能である。カビは乾燥に対しても強く、水分活性の低い環境下でも生育可能である。
カビは乾燥した布や金属表面に繁殖し、それを劣化させる。カビは高濃度の塩類や糖類の存在、高浸透圧環境下でも生育可能であり、細菌とはきわめて差異がある。生育温度範囲も一般にカビは細菌より低く、0℃に近い低温でもカビは生育可能である。
生きている生物体から有機物摂取能力をもつのが寄生菌、枯死体やその分解途中の有機物を利用し、生育するのが腐生菌である。寄生菌のうち病原性を表すのが病原菌である。
[曽根田正己]
動物寄生菌
人体や鳥獣に寄生するカビには、まれには担子菌類の場合があるが、その多くは不完全型子嚢菌類である。表在(浅在)性真菌症や深在(全身)性真菌症をおこすカビがある。
表在性真菌症の原因となるおもなカビは皮膚糸状菌といわれるもので、代表的なものに、白癬(はくせん)菌Trichophyton、小胞子菌Microsporumがある。これらには多くの種類があり、皮膚表層および付属器官(角層、毛髪、爪(つめ))に発生する。
深在性真菌症は、真皮、皮下組織、骨、関節、内臓を冒す。アスペルギルス症Aspergillosis、ムコール症Mucormycosisがある。原因菌は、前者はアスペルギルス・フミガーツスAspergillus fumigatus、後者はアブシジア・コリムビフェラAbsidia corymbiferaなどケカビ目のカビである。
世界の特定地域に発生するヒストプラズマ症はヒストプラズマ・カプスラタムHistoplasma capsulatum、ブラストマイセス症はブラストミセス・デルマティティディスBlastomyces dermatitidisによっておこる。ヒトの全身感染真菌症は菌交代症とよばれることが多い。これは通常病原性を示さないアスペルギルス(コウジカビ)やペニシリウム(アオカビ)などが、化学療法剤(例、抗生物質)などの多用により体のなかの正常菌相が乱された結果、菌の交代現象をおこすことをいう。
昆虫類と関係して生活する菌類を虫生菌とよぶ。カビと昆虫との関係は次の三つの形がある。
(1)カビが昆虫に寄生、病気をおこす 接合菌類のハエカビEmpusa muscaeが有名。ほかにコニディオボルスConidiobolusもハエに病原性を示す。子嚢菌類のハチノスカビAscosphaeraはハチ類にチョーク病をおこす。このほか、不完全型子嚢菌であるビウベリアBeauveria、ペーシロミセスPaecilomyces、コウジカビAspergillusなどは各種の昆虫の病原となる。アカカビFusariumの1種はカイガラムシに寄生し、赤色の分生子褥(ぶんせいしじょく)sporodochium(分生子の集合体)をつくるので猩紅(しょうこう)病菌とよばれる。アセルソニアAschersoniaはコナジラミやカイガラムシの病原菌である。鞭毛菌類のコエロモミセスCoelomomycesはボウフラに寄生し、殺虫する。
(2)カビと昆虫ともに利益を受ける共生関係 担子菌類のモンパ菌Septobasidiumはカイガラムシを覆い分生子褥をつくるが、これはカイガラムシを守る寄生的な役割をしている。
(3)カビが昆虫によって利益を得るが、昆虫は利益も不利益も受けない関係(片利共生) ラブルベニア目Laboulbenialesのカビは多くの昆虫表面(関節の部分がおもな寄生場所)に寄生する片利共生菌である。トリコミセーテスTrichomycetesは昆虫を含む節足動物の消化管の末端部の壁面に寄生する片利共生菌である。
[曽根田正己]
植物寄生菌
寄生するカビの側からみると植物は親和性のある生物であり、いかなる植物もカビとの関係は重要である。カビが宿主(しゅくしゅ)(寄生対象となる生物)から栄養を摂取する方法には純寄生型(活物寄生)obligate parasite、殺生(さっせい)型perthophyte、腐生型sporophyteの3型がある。純寄生の代表的カビはサビキン類Uredinales(目)、ウドンコビョウキン類Erysiphales(目)である。生細胞に吸器を挿入して、養分を吸収し増殖するが、宿主を殺すことはない。サビキン類はその生活環をまっとうするために2種の宿主に寄生する。これを異種寄生という。主要植物に対して、ほかを中間寄主(宿主)という。殺生型は多くの植物病原菌がこれであり、生きた植物細胞より栄養を摂取し、衰弱させ、最後には宿主植物を枯死させる。腐生型は植物の枯死体から栄養をとる。
[曽根田正己]
菌寄生菌
接合菌類のタケハリカビSpinellusはチシオタケの傘に銀針のような長い胞子嚢柄を密生し、フタマタケカビSyzygitesはアミタケの仲間などの傘にすみれ色の綿のように生える。子嚢菌類のヒポミセスHypomycesに寄生されたキノコは傘が開かないで褐色になる。不完全型担子菌類では、セペドニウムに冒されたコウジタケは黄色の胞子で覆われ、トリコデルマ菌糸はシイタケ菌糸に巻き付いて殺す。接合菌類のハリサシカビSyncephalis、エダカビPiptocephalisなどはケカビ類の菌糸に寄生し、卵菌類のフクロカビモドキはミズカビ類の菌糸に寄生する。
[曽根田正己]
カビの利用
伝統的に、日本では麹(こうじ)を利用し、甘酒、日本酒、みそ、しょうゆ、米酢をつくり、食生活を支えてきた。ニホンコウジカビAspergillus oryzaeは日本の食文化の中心的存在であったことを意味し、この食文化はいまもなお継承されている。なお、「麹」の語源は「神(こう)立ち」であるといわれ、コウジカビのもつ魔力ともいうべき不思議な力を強く感じていたと思われる。
カビの利用は、カビの生活現象を利用することであり、伝統的手法(醸造法)から、新しい現代的発酵技術(バイオテクノロジー)まで、一貫して「カビ」という菌類の生活を理解するための努力が払われ、巧みにカビを利用してきたのである。
カビの利用の原点は醸造用である。日本では清酒、みそ、しょうゆ、米酢などがあり、いずれもニホンコウジカビの酵素作用が関与している。食品加工の場では麹そのものも広く利用されている。東南アジア各地ではアミロ発酵の原点となったクモノスカビやケカビを利用した酵造酒があり、インドネシアではラッカセイにアカパンカビ、クモノスカビを使ったオンチョンOntjonがある。中国ではモナスカスMonascusという赤いカビを利用した紅酒(アンチウ)(サムツsamzu酒)があり、ケカビ類を利用した乳腐がある。ヨーロッパではカマンベールアオカビ、ロックホールアオカビを利用してつくったカビチーズがある。
カビ利用の近代的発酵工業には次の製品がある。
(1)有機酸発酵製品 クエン酸、グルコン酸、イタコン酸、フマル酸、乳酸。とくにクエン酸や乳酸は利用度が高い。コウジカビ類、アオカビ類、ケカビ類が利用される。
(2)ビタミン ビタミンA(β(ベータ)-カロチン)、ビタミンB群、ビタミンD、アカパンカビ、アオカビなどが利用される。
(3)抗生物質 ペニシリン、グルセオフルビン、セファロスポリン、アオカビ、セファロスポリウムCephalosporiumが利用される。
(4)酵素製品 デンプン分解酵素、タンパク質分解酵素、ペクチン分解酵素、グルコースオキシダーゼ、繊維素分解酵素、コウジカビ、アオカビ、トリコデルマTrichodermaが利用される。
(5)植物生長ホルモン シベレリン、イネのバカナエ病菌を利用。
(6)アミノ酸 イノシン酸(5'-IMP)、アオカビを利用。
(7)ステロイド化合物 コルチゾン(コーチゾン)、コウジカビを利用。
[曽根田正己]
カビの防除
カビは植物、人体および家畜などにカビ病害をおこし、衣料品、食品、建築物や各種の工業用品に品質低下をおこすことから、その防除については古くから努力が払われてきた。各種食品や衣料品の乾燥保存や、餅(もち)を水に浸(つ)ける「水餅」などは昔からの防黴法(ぼうばいほう)であり、建築用材にさまざまな油を塗布するのは防腐防黴といえる。現在では、こうした古来からの防腐防黴的な技術に科学的な考察・研究を加え、カビの防除に向けての新しい技術が確立されつつある。カビの防除に関する基本的な操作は「空気遮断」であるが、このほか、加熱による殺菌、冷凍法による発黴防止、放射線照射による殺菌、防黴剤・抗真菌剤などの利用による防黴、さらに特殊な濾過(ろか)装置による除菌などがある。これらのカビの防除法は、使用目的との関連、とりわけ、効力、安全性、コスト(原価)といった面と強くかかわっている。
(1)加熱 食品衛生、食品加工および貯蔵に深い関係をもつもので、容器製造技術や機械設備の進歩に伴って改良が進められている。容器には金属(表面加工にはさまざまなものがある)、ガラス、プラスチック、紙などがあり、密封のためのキャップも各種の材質が利用されている。加熱法には低温長時間殺菌法、高温短時間殺菌法、超高温殺菌法などがあるほか、近年になって、容器内の温度分布の均一化を図るための動揺殺菌法も開発された。
(2)冷凍法 フリーザー(冷凍庫)内に食品などを保存し、カビの発育抑制を行う方法である。
(3)放射線照射 X線の殺菌作用の研究から始まったものであるが、現在では、コバルト60やセシウム137などのアイソトープが食品などのカビの防除に使われている。アイソトープの利用は、強力な電子線を発生させる高エネルギー粒子加速器の開発と、放射線制御、防護技術の進歩とが相まって完成されたものである。
(4)防黴剤・抗真菌剤 カビの細胞壁や細胞膜に化学的な作用を及ぼし、細胞内の酵素系をも含めて正常な機能を保てないようにする場合と、細胞膜を通過して細胞内に入り、核酸やタンパク質合成にかかわる酵素系や、そのほか細胞内で重要な働きをもつ酵素系を阻害する場合とがある。防黴剤が工業用に用いられるときは、前者の細胞膜攪乱(かくらん)作用のものが大部分である。抗真菌剤とは、医薬用に利用される薬剤で、近年は真菌感染の著しい増加傾向が認められることから使用頻度が高くなった。深在性真菌症としてはアスペルギルス症、カンジダ症など、表在性真菌症としては水虫などがあり、それぞれに適用する抗真菌剤が多数開発され、使用されている。
農業用の殺菌剤は植物病理学の分野で研究が進められ、薬剤としては世界的に銅化合物、ジチオカーバメート、フタルイミド系が使用されている。このほか、繊維製品の劣化防止を目的とする抗菌剤、木材中に加圧注入される木材防腐防黴剤、塗料用防腐防黴剤、紙・パルプ用防菌防黴剤なども開発されている。
(5)濾過装置 濾過装置による防菌は19世紀のパスツールなどに始まるが、現在では、溶融ガラス濾過器のほか、ガラス繊維、セルロースアセテート、ナイロン、ポリカーボネート、テフロンなどを素材とするメンブランフィルター(膜濾過器)も開発されている。これらの濾過器は、ビールや航空燃料などの液体材料中の除菌のほか、発酵装置などにおいて大量の空気を除菌する際に利用される。
[曽根田正己]
『土居祥兌著『キノコ・カビの生態と観察』増補改訂版(1989・築地書館)』▽『椿啓介著『カビの不思議』(1995・筑摩書房)』▽『原田幸雄著『キノコとカビの生物学――変幻自在の微生物』(中公新書)』