カラハン朝(読み)カラハンチョウ(その他表記)Qara Khan

デジタル大辞泉 「カラハン朝」の意味・読み・例文・類語

カラハン‐ちょう〔‐テウ〕【カラハン朝】

Qara Khan》10世紀半ば、中央アジアに興ったトルコ系イスラム王朝ベラサグンを都とし、同世紀末に最盛期を迎えたが、11世紀には分裂し、1132年カラキタイに滅ぼされた。イリクハン朝。カラカン朝

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精選版 日本国語大辞典 「カラハン朝」の意味・読み・例文・類語

カラハン‐ちょう‥テウ【カラハン朝】

  1. ( カラハンは Kharakhan ) 中央アジアのトルコ系イスラム王朝。一〇世紀半ば、天山山脈北西部におこり、ベラサグンに都した。同世紀末、第四代のナスル=イリク=ハンの時が最盛期。一一世紀には分裂し、一一三二年、西遼(せいりょう)に征服された。カラカン朝。イリクハン朝。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カラハン朝」の意味・わかりやすい解説

カラ・ハン朝
からはんちょう
Qara Khan

10世紀の後半から12世紀前半ごろまで存続した、中央アジアで最初のイスラム系遊牧トルコ人王朝。イリク・ハン朝ともいう。その起源についてはウイグル人説とカルルク人説とがあるが、9世紀の中ごろモンゴリアから中央アジア一帯に移住したウイグル人の一派が中心であったらしい。960年ごろ、ベラサグンを根拠としたトルコ人の王(伝説上のサトク・ボグラ・ハン)がイスラム教に改宗し、やがて南方カシュガルをあわせた。ついでイリク・ハンナスルのときには、西方では999年にサーマーン朝を滅ぼし、南方では于闐(うてん)を征服して、パミール東西の地方のトルキスタン化を決定的にし、また11世紀には、異教徒西ウイグル王国と激しい宗教戦争を行い、パミール以東のイスラム化に大きな役割を果たした。

 地方分権的な支配体制にもかかわらず、カラ・ハン朝の出現は東西交通を促し、この時代に最初のイスラム的トルコ文化も開花したが、11世紀中ごろパミールを境に東西に分裂し、西部は同世紀末にセルジューク朝に臣属した。1130年代にカラ・キタイが興ると、東カラ・ハン朝の諸都市は征服され、40年代には西カラ・ハン朝の宗主権もセルジューク朝に移り、この王朝は滅んだ。

羽田 明]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カラハン朝」の解説

カラハン朝(カラハンちょう)
Khara Khan

940頃~1132頃

中央アジアを支配したトルコ系の王朝。トルコ族最初のイスラーム王朝といわれ,それはバラサグン出身でカシュガルを支配したサトゥク・ボグラ・ハン(?~955)が改宗したという伝説に始まる。999年,マー・ワラー・アンナフルを征服し,サーマーン朝を滅ぼして,トルコ族の拡大を実現したが,アム川を西へ越えていくことはなかった。この王朝によって中央アジア西部はイラン・イスラーム世界からトルコ・イスラーム世界に変質し,11世紀には中央アジア東部の仏教世界であったホータン方面をイスラーム化して,西ウイグル王国と境を接した。多数の貨幣を発行したほか,トルコ語による文化を開花させたが,12世紀にカラキタイに征服された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カラハン朝」の意味・わかりやすい解説

カラハン朝
カラハンちょう
Qarakhanids

中央アジア最初のトルコ系王朝 (940頃~1212) 。イリク (イレク) ・ハン朝ともいわれる。その起源はトルコ系のウイグル族あるいはヤグマーに関連する。 940年始祖サトゥク・ブグラ (ボグラ) ・ハンはチュー川渓谷ベラサグンを都とし,960年イスラムに改宗。4代目ナスル・イレク・ハンは 999年にサーマン朝を滅ぼし,東西トルキスタンに支配を拡大した。しかし 11世紀後半には統一がくずれ,各地に分立した地方政権の抗争が激化,12世紀にはカシュガルのカラハン政権がカラ・キタイ (→西遼 ) に,13世紀にはサマルカンドのカラハン政権がホラズム・シャー朝にそれぞれ滅ぼされた。カラハン朝支配は中央アジアにトルコ・イスラム文化を定着させるうえに重大な意味をもった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「カラハン朝」の解説

カラ−ハン朝
カラ−ハンちょう
Karakhan

10世紀半ば〜12世紀前半中央アジアを支配した,トルコ系イスラーム王朝
999年イリク=ハンのとき,サーマーン朝を倒して東西トルキスタンをあわせ,そのイスラーム化を促進した。1047年パミールを境に東西に分裂。東国は1132年に西遼(カラ−キタイ)の,西国は1212年にホラズムの支配を受けるに至った。

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