改訂新版 世界大百科事典 「カラブリア」の意味・わかりやすい解説
カラブリア[州]
Calabria
イタリア南部の州。面積1万5080km2,人口201万(2001)。州都はカタンツァロCatanzaro。長靴形のイタリア半島のつま先にあたる部分を占め,南北に細長い。古代に,この地方はブルティウムBruttiumと呼ばれていたが,7世紀ごろから現名で呼ばれるようになった(それ以前は現在のプーリア州サレント半島すなわち長靴のかかとの部分をカラブリアと呼んだ)。カタンツァロ,コゼンツァ,レッジョ・ディ・カラブリア,クロトネ,ビボ・バレンティアの5県からなる。
全体に山がちで,北部に,バジリカータ州より連なる石灰岩質のアペニノ山脈の一部で,ドルチェドルメ山(2271m)を最高峰とするポリーノ山塊がある。その南に,森林に覆われ湖の多いシーラ山地と,それに平行してティレニア海沿いに走る海岸山脈,さらにセルレの山地,そして州の最南端のモンタルト山(1956m)を中心としたアスプロモンテ山塊と続く。そしてこれら全体が結晶岩質のカラブリア・アペニノ山脈を構成している。平野部は州の全面積の9%を占めるにすぎず,イオニア海側のシバリ平野やクロトーネ周辺,ティレニア海側のサンタ・エウフェミア湾あたりにわずかに見られる程度である。河川は著しく増水する冬季は,急流となって大量の土砂を押し流し,乱伐の行われてきた地域では洪水を引き起こすこともある。逆に夏の渇水期には干上がる。おもな河川はクラーティ,ネートなど。
ギリシアの植民地として,シュバリスやクロトンなどの都市が繁栄したこの地方は,ローマ帝国没落後は経済的に停滞し,ビザンティン帝国やノルマン人などの外部勢力の支配を経て,イタリア統一までの長い間ナポリ王国(1815年以後は両シチリア王国)の下にあった。この間に確立された封建的な土地所有制度や社会構造,外敵やマラリアを恐れて平地を避け山につくられてきた集落やそこでの生活様式は,イタリア統一後もこの地方を特色づけ,後進地域としての性格を刻印してきた。そして,これら社会的条件が,狭い平地,やせて浸食の激しい土壌等の自然条件と重なって農業生産性を低くしてきた。第2次世界大戦後の南部開発政策で,シバリ平野やシーラ山地で土地改良,灌漑のための投資がなされ,農地改革も行われたが,現在も1ha以下の規模の農業経営が40%を占める一方で,大規模な土地所有が残存している。農作物は,穀物のほかオリーブ油の生産はプーリア州に次いで全国で2位,オレンジは全国の1/4を産し,かんきつ類の1種で香料の原料となるベルガモットは生産を独占している。森林はセイヨウスギを中心に重要な資源である。工業生産は,製造業がきわめて弱く,大規模企業は沿岸部に化学工業が立地している程度で,いまだに手工業への依存度が高い。第3次産業で,生産性の低い零細小売業の従事者が多く,工業化の遅れと同様,南部の他の州と共通した経済構造上の特質をなしている。長い海岸線,森と湖のシーラ山地をもつこの州は観光業の発展の可能性を有している。
→メッツォジョルノ
執筆者:萩原 愛一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報