カルサビナ(その他表記)Karsavina, Tamara Platonovna

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルサビナ」の意味・わかりやすい解説

カルサビナ
Karsavina, Tamara Platonovna

[生]1885.3.9./1885.3.10. ロシア,サンクトペテルブルグ
[没]1978.5.26. イギリス,ビーコンズフィールド
ロシアのバレリーナ。1902年マリインスキー劇場バレエ団一員としてデビューし,『白鳥の湖』『海賊』などを踊った。1909年アンナ・パブロワ,ミハイル・フォーキンとともに積極的にセルゲイ・パブロビッチ・ディアギレフバレエ・リュスに参加。『レ・シルフィード』『カルナバル』『ペトルーシカ』『ばらの精』『火の鳥』『タマール』『ダフニスクロエ』『プルチネルラ』などを,ワスラフ・F.ニジンスキーやフォーキンをパートナーに踊った。並行してマリインスキー劇場のプリマ・バレリーナとして活動を続け,アクロバティックな技術を排したクラシック・バレリーナといわれた。1918年以後ロンドン定住,引退後もイギリスで後進の育成にあたった。著書に『劇場街』Theatre Street(1930),『クラシック・バレエ――動きの流れ』Classical Ballet: The Flow of Movement(1962)がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「カルサビナ」の意味・わかりやすい解説

カルサビナ

ロシア生れの女性舞踊家。舞踊家の父をもち,ペテルブルグの帝室舞踊学校に学び,1902年マリインスキー劇場にデビュー。1909年〈バレエ・リュッス〉の第1回パリ公演に参加。〈バレエ・リュッス〉の代表作《火の鳥》《薔薇の精》《ペトルーシカ》など多くの作品に主演英国外交官と結婚して,1918年ロシアを離れ英国に帰化。引退したのちは英国のバレエ界の育成に大きく貢献した。回想録《劇場通り》(1930年),《バレエの技法》(1956年)などの著書もある。→ディアギレフ
→関連項目レ・シルフィード

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「カルサビナ」の意味・わかりやすい解説

カルサビナ
Tamara Platonovna Karsavina
生没年:1885-1978

ロシア生れの女性舞踊家。舞踊教師を父にもち,ペテルブルグの帝室舞踊学校を卒業。1902年マリインスキー劇場バレエ団員となり《海賊》《ライモンダ》などで注目を浴びる。09年バレエ・リュッスの第1回パリ公演に参加,以来両バレエ団のバレリーナをつとめる。バレエ・リュッスの名声を確立した作品《火の鳥》《バラの精》《ペトルーシカ》などに主演し,断続的ながら29年の最終シーズンまで出演した。イギリスの外交官H.J.ブルースと結婚し,1919年ロンドンに移り,帰化,同国バレエ界の育成に貢献した。自伝《劇場通り》や《バレエの技法》《古典バレエ--動きの流れ》の著作がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルサビナ」の意味・わかりやすい解説

カルサビナ
かるさびな
Tamara Karsavina
(1885―1978)

ロシア出身のバレリーナ。1902年ペテルブルグの帝室舞踊学校を卒業、マリンスキー劇場でデビューした。ディアギレフのロシア・バレエ団の創立(1909)に参加、ニジンスキーと踊った『カルナバル』『バラの精』『ペトルーシュカ』などはパリ、ロンドンを沸かせた。17年にイギリスの外交官と結婚してロンドンに住み、ロシア・バレエの作品の復刻を手がけながら、マーゴ・フォンティンに『火の鳥』『ジゼル』を教えるなどイギリスのバレエ界に貢献。

市川 雅]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android