ドイツの画家。5月6日アシャッフェンブルクに生まれる。1901~1905年ドレスデンで建築を学ぶ。この間1903~1904年ミュンヘンの画家オプリストHermann Obrist(1862―1927)について絵画を学んだ。1905年ドレスデンで同学の友ヘッケル、シュミット・ロットルフらと表現主義の最初のグループ「ブリュッケ(橋)」派を結成し、そのリーダーとして活躍する。奔放多彩な初期の絵にはムンク、ゴーギャンおよび黒人彫刻の影響が強い。
1911年ベルリンに移住し、閉鎖的なコンポジションと鋭角的なフォルムによる大都会の街頭風景画に新機軸を生む。第一次世界大戦に従軍して結核となり、1917年以後スイスのダボスのサナトリウムにあってアルプスの山岳風景を描く。この時期には形態の抽象化が目だつ。ナチスにより退廃芸術家の烙印(らくいん)を受け、1938年6月15日自殺した。木版画にも優れている。
[野村太郎]
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ドイツ表現派の画家。アシャッフェンブルクに生まれる。1905年に画家集団ブリュッケ(橋)を結成。中世木版画やアフリカの原始彫刻を発見し,仲間との共同生活を通して,素朴で奔放な姿態の裸体画を描き,また色彩を平面的に解放する。ベルリンに出てからの娼婦群像には,大都会の消耗性が研ぎ澄まされた形で様式化されている。第1次大戦の際応召し,軍隊生活で神経を患いスイスへ移住。象徴的な風景画を描いた。大戦の再発を予感し自殺。自己の感性に忠実な画家であった。
執筆者:土肥 美夫
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…ムンクの《叫び》(1893)は表現主義芸術の先駆的かつ象徴的な作品であり,それを含む〈生命のフリーズ〉連作は1902年のベルリン展で多大の反響を呼び,世紀末芸術の装飾性を打ち破る表現主義美術運動に大きな刺激を与えた。運動の担い手となったのは,05年にドレスデンで結成されたキルヒナーらの〈ブリュッケ(橋)〉派と11年にミュンヘン新芸術家協会から分離したカンディンスキー,マルクらの〈ブラウエ・ライター(青騎士)〉派である。〈ブリュッケ〉派は無垢な自然を対象に赤裸な生命の表現を志し,その源泉を中世の古版画と民俗博物館の未開人彫刻や仮面に求め,フランスのフォービスムと類似の野性的な様式を発展させた。…
…20世紀に入るとフランスの石版熱は鎮静するが,代わって1920年代にはドイツが石版制作ブームの舞台となる。〈ブリュッケ〉の画家たち,キルヒナーやノルデらが,色刷木版画風の様式で色刷石版画に表現主義的効果を持ちこんだ。グロピウスのバウハウスも,クレー,カンディンスキー,ファイニンガーらの石版画集を刊行した。…
※「キルヒナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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