改訂新版 世界大百科事典 「キーセン」の意味・わかりやすい解説
キーセン (妓生)
Kisaeng
朝鮮の伝統的な芸妓。キーサンとも表記する。もと奢侈奴隷として発生し,のちには歌舞を売るものとして身分的には官婢であった。妓生は新羅時代にも存在したが,正式に官婢としての妓生が登場するのは高麗時代の初期である。高麗の官僚制度が確立し,地方官衙の歌舞のために制度的に設置された妓生は,以後李朝末期までの約1000年間全国につねに2万~3万名が存在したことになる。李朝時代には官婢として県に10~20名,郡に30~40名,府に70~80名ほどが常時置かれていた。県の場合には雑役に使う汲水婢が臨時に妓生として立つ場合もあった。出自は反逆罪人の婦女子や良家から売られた者の場合もあり,またキーセンの娘は〈奴婢随母法〉によってやはりキーセンをつとめるのが原則であった。妓には妓夫がありえたが,それは妓に寄生するものであって夫としての権利はなかった。妓生は行首妓生(キーセンがしら)のもとに統率され,地方官庁を往来する両班(ヤンバン)に侍寝する場合,これを守庁といい,またときには歌舞をもって遊宴にはべらなければならなかった。なかには黄真伊のように漢詩や時調に不朽の名を残した才妓もあって,李朝の恋愛文化はもっぱらこのキーセンに負うている。また論介や《春香伝》の春香のように,義妓や小説の主人公としても妓生は活躍している。李朝末期にはこの制度もくずれ,植民地時代には平壌などに妓生養成所が設けられ,日本式の検番制度などがしかれたが,現在はこのような制度もすたれ,名前だけを残して過去の秩序や伝統は失われたとみなければならない。
執筆者:金 東 旭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報