パキスタン北端部,ギルギット管区の中心をなす町。人口3万1902(1961)。北のカラコルムと南のパンジャーブ・ヒマラヤの両山塊の間の小盆地にある。標高約1500m。町は段丘上にある。年降水量は130mmと乾燥し,融雪水をもとに春小麦,トウモロコシ,アンズなどの果物を栽培する。工業はパットラpattraという手織の毛織布地のみである。インダス川に注ぐギルギット川に面し,同川は町の南東でフンザ川を合わせる。フンザ川の谷は内陸アジアとインド亜大陸を結ぶ古くからの交通路で,法顕(ほつけん)や宋雲もここを通っている。近くの岩壁には磨崖仏が残り,かつての仏教の隆盛を伝えている。1978年開通のカラコルム・ハイウェーもこのルートを走る。近くにラカポシ山(7788m)があり,カラコルム登山の根拠地となっている。英領時代には旧カシミール藩王国からイギリスが租借し,ギルギット管区として北辺の軍事的拠点とした。独立の際には,パキスタンに帰属した。
執筆者:応地 利明
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パキスタン北端部の町。カラコルム山脈南麓(なんろく)の山間小盆地にあり、インダス川の上流部に注ぐフンザ川の支流ギルギット川に臨む。人口約3万。ギルギットからフンザ川の谷を通る道は古くから内陸アジアとインド亜大陸とを結ぶ重要な交通路で、4世紀初めには北朝後魏(こうぎ)の僧宋雲(そううん)が、また5世紀初めには東晋(とうしん)の僧法顕(ほっけん)がここを通過している。1978年完成のカラコルム・ハイウェーもここを通っている。町は段丘化した扇状地上にあり、交通路の近くには磨崖仏(まがいぶつ)が残っている。イギリス領時代にはカシミール藩王国から租借してここにギルギット管区を置き、イギリス領インドの北辺への守りとした。インド、パキスタンの分離・独立によりパキスタンに帰属した。北方にラカポシ山(7788メートル)がそびえ、カラコルム登山の基地となっている。
[応地利明]
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…祠堂の中庭には動植物や人物を浅浮彫した精巧な素焼粘土のタイルが敷かれていた。パーンドレーターン,ウシュクル,ギルギットなどにも寺院址があり,塔の形式やテラコッタ像の作風からガンダーラとの密接な交渉がうかがえる。またギルギットのある仏塔からは7~8世紀の多数のサンスクリット語仏典写本が発見された。…
※「ギルギット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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