ドイツの分析化学者。プロイセン王国のウェルニゲローデ(現在はドイツ)に仕立職人の子として生まれた。薬剤師の訓練を受けてドイツ各地を遍歴したのち、1771年ベルリンに落ち着いて薬局を経営した。1782年以来医学校や兵学校の化学講師を務め、1810年ベルリン大学の開設とともにその化学教授となった。鉱物分析法の改良に貢献し、たとえば沈殿を秤量(ひょうりょう)する前に加熱乾燥すること、装置や試薬からの不純物の混入を防ぐこと、分析誤差が未知元素の存在を示唆することなどに注意を喚起した。その分析技術を適用して、1789年にウランとジルコニウムの二つの新元素を発見(ただし酸化物として)、1803年には希土類のセリア(酸化セリウム)を発見。また、以前に発見されていながら埋もれていたチタン、テルルなどを再発見した。また古代遺跡の発掘品にも分析化学を適用した。1793年、ラボアジエの新しい化学理論を精密な追試によって確認し、これをドイツに普及することにも貢献した。
[内田正夫]
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ドイツの化学者。仕立職人の子に生まれ,16歳から薬剤師の徒弟となる。各地を遍歴ののち,ベルリンに落ち着いて薬局を経営。兵学校の化学講師ののち,1810年に創立されたベルリン大学の初代化学教授となった。鉱物分析法をおおいに改良し,ウラン(1789),ジルコニウム(1789),セリウム(1803)の三つの新元素を発見したほか,チタン,テルルなど多くの新元素の発見を確証した。また,隕鉄,化石,グアノ,古代の貨幣や釉薬など世界各地から産する物質を分析した。1793年ラボアジエの実験を追試して,その新理論をドイツに導入するのに貢献。
執筆者:内田 正夫
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…日本語名のウラニウムは俗称。1789年ドイツのM.H.クラプロートがピッチブレンド(歴青ウラン鉱)中から発見し,1781年に新発見され当時有名であった惑星の名称Uranus(天王星)にちなんで命名された。単体は,1842年フランスのペリゴEugène Melchior Péligotがはじめて取り出した。…
…イギリスのグレゴールW.Gregor(1761‐1817)は1789年に,コーンウォール地方のメナカンMenachan産の砂鉄(チタン鉄鉱)中に新金属の存在を推定しメナチンmenachinと命名した。またドイツのM.H.クラプロートは94年にルチルから新元素を見いだし,ギリシア神話の巨人族ティタンにちなんでチタンと命名,97年にはメナチンと同じものであることを明らかにし,グレゴールのプライオリティを認めて,以後この元素がチタンと呼ばれるようになった。初めは金属をとり出すことができなかったが,1825年J.J.ベルセリウスがフルオロ錯塩を金属カリウムで還元して分離した。…
※「クラプロート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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