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クラプロート クラプロートKlaproth, Heinrich Julius

8件 の用語解説(クラプロートの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クラプロート
Klaproth, Heinrich Julius

[生]1783.10.11. ベルリン
[没]1835.8.28. パリ
ドイツの東洋学者。化学者 M. H.クラプロートの子。独学で中国語を学んだのち,ドレスデン大学を卒業,1804年ペテルブルグ科学アカデミー助教授となり,在任中ロシア遣清使節団の通訳をつとめた。また日本人漂流民大黒屋光太夫一行の一人新蔵から日本語を学んで日本語彙集を著わした。 09年パリに移り,16年パリ大学教授となった。『アジアの諸言語-付言語地図』 Asia polyglotta nebst Sprachatlas (1823) でアジアの諸言語を紹介,のちの研究の機運を開いた。特にカフカス諸語についての研究は重要で,のちに死語になり,この著述のみによって知られる言語もある。 32年林子平の『三国通覧図説』のフランス語訳を刊行,また 34年,I.ティチングフランス語訳『日本王代一覧』に序文を書くなど,ヨーロッパ日本研究に寄与した。

クラプロート
Klaproth, Martin Heinrich

[生]1743.12.1. ウェルニゲローデ
[没]1817.1.1. ベルリン
ドイツの化学者,薬学者。ベルリン大学創設とともにその初代の化学教授 (1810) 。ウランの発見 (1789) をはじめ,ジルコニウム (89) ,セリウム (1803) を発見,元素と同定し,チタンテルルの発見を検証した。また分析化学の基礎の確立に貢献した。フランスの A.ラボアジエの反フロギストン説をいちはやく支持し,当時のドイツ学界をフロギストン説から新燃焼理論へ転向させる功績があった。 E.ウォルフとともに化学事典5巻を編んだ (07~10) 。 200編以上もの論文を発表しており,それらは『鉱物の化学的知識に関する論文集』 Beiträge zur chemischen Kenntnisse der Mineralkörperに収められている。

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デジタル大辞泉の解説

クラプロート(Heinrich Julius Klaproth)

[1783~1835]ドイツの東洋学者。シベリア・蒙古など各地を調査し、日本語・モンゴル語など東洋諸語の研究や書籍の収集を行った。著「アジア博言集」など。

クラプロート(Martin Heinrich Klaproth)

[1743~1817]ドイツの化学者。分析方法の改良に貢献。ウランジルコニウムセリウムを発見した。著「鉱石化学分析法」など。

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百科事典マイペディアの解説

クラプロート

ドイツの化学者,薬学者。1810年ベルリン大学創立とともに教授。鉱石の分析法を改良し,ウランジルコニウムセリウムを発見,テルルチタンなどの発見を検証。その他,ストロンチウムベリリウムクロムイットリウムなどを含む物質を研究。

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世界大百科事典 第2版の解説

クラプロート【Martin Heinrich Klaproth】

1743‐1817
ドイツの化学者。仕立職人の子に生まれ,16歳から薬剤師の徒弟となる。各地を遍歴ののち,ベルリンに落ち着いて薬局を経営。兵学校の化学講師ののち,1810年に創立されたベルリン大学の初代化学教授となった。鉱物分析法をおおいに改良し,ウラン(1789),ジルコニウム(1789),セリウム(1803)の三つの新元素を発見したほか,チタン,テルルなど多くの新元素の発見を確証した。また,隕鉄,化石,グアノ,古代の貨幣や釉薬など世界各地から産する物質を分析した。

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大辞林 第三版の解説

クラプロート【Klaproth】

〔Heinrich Julius K.〕 (1783~1835) ドイツの東洋学者。調査旅行の途次、イルクーツクで漂流民から日本語を学び「日独辞典稿」を作成。著「カフカスとグルジアの旅」「アジア博言集」など。
〔Martin Heinrich K.〕 (1743~1817) ドイツの化学者。化学分析の基礎の確立に貢献。すぐれた分析技法を駆使して、ウラン・ジルコニウム・セリウムの三つの新元素を発見。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

クラプロート
くらぷろーと
Martin Heinrich Klaproth
(1743―1817)

ドイツの分析化学者。プロイセン王国のウェルニゲローデ(現在はドイツ)に仕立職人の子として生まれた。薬剤師の訓練を受けてドイツ各地を遍歴したのち、1771年ベルリンに落ち着いて薬局を経営した。1782年以来医学校や兵学校の化学講師を務め、1810年ベルリン大学の開設とともにその化学教授となった。鉱物分析法の改良に貢献し、たとえば沈殿を秤量(ひょうりょう)する前に加熱乾燥すること、装置や試薬からの不純物の混入を防ぐこと、分析誤差が未知元素の存在を示唆することなどに注意を喚起した。その分析技術を適用して、1789年にウランとジルコニウムの二つの新元素を発見(ただし酸化物として)、1803年には希土類のセリア(酸化セリウム)を発見。また、以前に発見されていながら埋もれていたチタン、テルルなどを再発見した。また古代遺跡の発掘品にも分析化学を適用した。1793年、ラボアジエの新しい化学理論を精密な追試によって確認し、これをドイツに普及することにも貢献した。[内田正夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内のクラプロートの言及

【ウラン】より

…日本語名のウラニウムは俗称。1789年ドイツのM.H.クラプロートがピッチブレンド(歴青ウラン鉱)中から発見し,1781年に新発見され当時有名であった惑星の名称Uranus(天王星)にちなんで命名された。単体は,1842年フランスのペリゴEugène Melchior Péligotがはじめて取り出した。…

【チタン】より

…イギリスのグレゴールW.Gregor(1761‐1817)は1789年に,コーンウォール地方のメナカンMenachan産の砂鉄(チタン鉄鉱)中に新金属の存在を推定しメナチンmenachinと命名した。またドイツのM.H.クラプロートは94年にルチルから新元素を見いだし,ギリシア神話の巨人族ティタンにちなんでチタンと命名,97年にはメナチンと同じものであることを明らかにし,グレゴールのプライオリティを認めて,以後この元素がチタンと呼ばれるようになった。初めは金属をとり出すことができなかったが,1825年J.J.ベルセリウスがフルオロ錯塩を金属カリウムで還元して分離した。…

※「クラプロート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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