ケープ植民地(読み)ケープしょくみんち

精選版 日本国語大辞典 「ケープ植民地」の意味・読み・例文・類語

ケープ‐しょくみんち【ケープ植民地】

(ケープはCape) 南アフリカ南端の喜望峰を中心とする植民地。一四八八年にポルトガル人による喜望峰の発見以来、ポルトガル、オランダイギリスの植民地となった。一九一〇年南アフリカ連邦独立とともにその一州ケープ州となる。

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デジタル大辞泉 「ケープ植民地」の意味・読み・例文・類語

ケープ‐しょくみんち【ケープ植民地】

アフリカ南端にあった植民地。1652年にオランダが植民地とし、1814年にはイギリスが領有。1910年に南アフリカ連邦結成により、その一州となる。

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改訂新版 世界大百科事典 「ケープ植民地」の意味・わかりやすい解説

ケープ植民地 (ケープしょくみんち)

アフリカ最南端にあったオランダの,次いでイギリスの植民地。(1)オランダ東インド会社統治期(1652-1806) 1652年オランダ東インド会社のヤン・ファン・リーベークは東洋航路の中継基地としてテーブル湾に上陸した。その後会社は社員の一部(ブルヘルと呼ばれた)を解雇して農業を営ませ,また労働力としてジャワ方面から奴隷を輸入して白人入植社会を形成していった。さらに本国からの移民を奨励し,17世紀末には多数のユグノー(フランスから追われたカルバン派の新教徒)が移住した。ケープでの人口増加とともに入植者は後背地に新しい土地を求めて移動し,原住民アフリカ人と衝突したが,強力な火器をもつ入植者は原住民に勝ち,1778年にはサンデーズ川が東部国境となった。ナポレオン戦争中イギリスは海軍を派遣してケープを占領したが,アミアンの和約によって1803年にオランダ(バタビア共和国)に返還した。しかし同年再びヨーロッパで英仏が開戦し,イギリスはフランスと同盟したオランダの制海権を抑えるため,06年ケープを占領した。(2)イギリス植民地期(1806-1910) 1814年のウィーン会議で正式にイギリス植民地となったケープでは,総督を置いて従来のオランダ式制度をイギリス式に改革したが,オランダ人入植者の信仰の自由を許すなど融和政策をとった。さらに34年には総督の下に立法・司法・行政の三権分立が確立された。一方,入植者の増加とともに東部国境は拡大され,1820年にはグレート・フィッシュ川,34年にはケイスカンマ川に達した(この間の入植者とアフリカ人との一連の戦いをカフィル戦争と呼ぶ)。しかし1833年の奴隷解放によって奴隷労働に依存してきたオランダ人農民(ボーア)は打撃を受け,イギリスの支配を脱して35年から内陸への移動を開始し(グレート・トレック),トランスバール共和国オレンジ自由国を建国した。一方,ケープ植民地は42年ナタール共和国に軍隊を送って占領し,45年植民地化した。第2次ボーア戦争(1899-1902)でボーア人の二つの共和国は敗北し,1910年ケープ,ナタール,トランスバール,オレンジ自由国は合併して南アフリカ連邦となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケープ植民地」の意味・わかりやすい解説

ケープ植民地
けーぷしょくみんち
Cape Colony

1910年の南アフリカ連邦(現南アフリカ共和国)結成以前の南アフリカにおけるイギリス植民地。イギリスはオランダ東インド会社領のケープを第一次(1795)、第二次(1806)の二度の占領の結果、1814年正式にイギリス植民地とした。イギリスは総督を派遣し、その下で行政・立法審議会を置いて統治したため、35年イギリス支配を嫌うブーア人(オランダ系移民)のグレート・トレック(内陸大移動)を引き起こした。入植者が増えるにつれてカフィール戦争など東部・北部フロンティア(国境)の拡大が行われた。しかし自由貿易主義を堅持する当時のイギリス本国政府は植民地の拡大を望まず、植民地経済は喜望峰回りの船の寄港地としての意義のほか羊毛の輸出によっていた。67年内陸のオレンジ自由国のグリクァランド・ウェストでダイヤモンド富鉱が発見されるとただちにこれを併合(1871)、またトランスバールの金鉱の発見後、第二次ブーア戦争(1899~1902)を起こし、イギリスの勝利後の1910年南アフリカ連邦を結成し、ケープ植民地はその一州に組み込まれた。

[林 晃史]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケープ植民地」の意味・わかりやすい解説

ケープ植民地
ケープしょくみんち
Cape Colony

1910年南アフリカ連邦に統合される以前の旧イギリス領植民地名。南アフリカ共和国のかつてのケープ州は,この植民地の領域をその行政領域として継承していた。1652年オランダ東インド会社が,バタビア(ジャカルタ)への中継基地として,テーブル湾岸に植民地を建設したことに始まる。以後,オランダ人が多く植民し,1685年のナントの勅令廃止後はフランスからのユグノーの移住などもあり,18世紀に入ると,ボーア人と呼ばれるオランダ系移住農民の子孫が内陸地方にも進出して牧畜に従事した。18世紀末には,北はオレンジ川,東はグレートフィッシュ川付近まで進出。1795年イギリス艦隊のケープ占領後,1806年再びイギリスに占領され,1814年のウィーン会議で正式にイギリス領となった。1835年以降,イギリスに反発するボーア人がオレンジ川を越えて大移住(→グレート・トレック)。1852年トランスバール共和国,1854年オレンジ自由国が独立。この頃までに,数次にわたるカフィル戦争も終わり,北はオレンジ川,東はグレートフィッシュ川とケイ川との間の地方までがケープ植民地の領域となり,1880年にはオレンジ川北方のグリカランドウェストも併合された。1910年の南アフリカ連邦成立の際に,ナタール植民地,トランスバール植民地,オレンジ川植民地とともにその一州となった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ケープ植民地」の解説

ケープ植民地(ケープしょくみんち)
Cape of Good Hope Colony

アフリカ大陸南端の先住民はコイコイ人牧畜民であった。1652年オランダ東インド会社が補給基地(のちのケープタウン)を築き,やがてオランダ人中心の入植者社会が形成された。イギリスがナポレオン戦争の一環にこれを占領し,1806年(正式には14年)植民地にした。1910年南アフリカ連邦の発足時に州となる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ケープ植民地」の解説

ケープ植民地
ケープしょくみんち
Cape Colony

アフリカ南端,喜望峰を含むイギリス植民地
最初,ポルトガルが領有し,1652年オランダ東インド会社がアジア航路の拠点として植民地経営を始め,オランダ農民が移住してブーア人を形成した。1814年のウィーン会議の結果イギリス領となり,72年には自治植民地となる。南ア戦争の結果,1910年南アフリカ連邦(現在の南アフリカ共和国)の1州となった。

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