アメリカ合衆国で綿花の栽培されている広大な地域を包括する地域名。綿花地帯、綿地帯ともいう。コットンベルトは黒人の割合の高い地域である。ジョージア州からルイジアナ州を中心とする南部諸州は、19世紀ごろには黒人奴隷を使った綿花(おもに陸地綿)のプランテーションで栄えていた。ワタは生育期に温暖湿潤を好み、収穫期に乾燥を必要としており、土壌、排水などの自然条件、とくに気候条件によって品質が大きく左右される。このため分布地域は、ほぼ、北が無霜期間200日と夏の平均気温25℃の線、西が年降水量500ミリメートルの線、南と東が収穫期の雨量250ミリメートルの線によって、それぞれくぎられていた。17世紀前半以降、アフリカから送り込まれた黒人奴隷たちは南北戦争(1861~1865)の結果解放されるが、土地や農具をもたない彼らの多くは、その後も分益小作農として綿花栽培に従事し、綿花地帯の発展に貢献してきた。しかし、第一次世界大戦中からの黒人の北部への移動が続くなかで、ニューディール政策に基づく農業調整法による作付面積の制限実施を契機に、綿摘機やトラクターの普及など、綿花栽培の機械化、合理化が進展した。その結果、分益小作農制は1930年代中ごろ以降衰退を示し、黒人労働力の都会流出が一段と進み、綿花栽培は、白人の自作農による機械化された経営が中心となった。1920年代から第二次世界大戦後にかけて、ルイジアナ州より東側の地域では、虫害(ワタミハナゾウムシ)、価格低下、土壌侵食、地力低下などで作付面積は減少し、森林、大豆・牧草の栽培や家禽(かきん)(ブロイラーなど)・肉牛の飼育などが増加しており、綿花栽培の中心は大規模な灌漑(かんがい)施設をもつテキサス州やカリフォルニア州へと移動している。現在、南部諸州は、綿花・混合農業地域の様相を呈するようになっている。
[新井鎮久・井村博宣]
アメリカ合衆国南部にひろがる綿花栽培の盛んなベルト状の地域。ミシシッピ,アラバマ両州を中心にルイジアナ,ジョージア,サウス・カロライナの諸州にまたがる地帯は,綿花栽培に適した海岸平野の砂質ロームと年無霜日数200日以上,秋の収穫期の降水量250mm以下,年降水量450mm以上という自然条件を備えていた。さらに,プランテーションの豊富な黒人奴隷労働力を用い,開拓初期以来,綿花生産地域として発展,E.ホイットニーの綿繰機の発明も手伝って,1830-60年には〈綿花王国Cotton Kingdom〉とも呼ばれた。綿花王国は民主党を通じて,州権論や低関税政策の強い主張者となり,工業化の進みつつあった東北部と対立,両者の軋轢(あつれき)は南北戦争をひきおこし,南部の敗北は綿花王国の終焉をもたらした。南北戦争後の奴隷解放は従来のプランテーション経営を困難にし,綿花栽培は小規模な生産形態をとるようになる。20世紀に入ると,品種の改良,灌漑施設の充実,1930年代以降の綿摘機の普及などにより,より乾燥した西部でも栽培が可能となり,現在ではテキサス州(全米1位,1980),カリフォルニア州(2位)に中心が移っている。
執筆者:正井 泰夫
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