(読み)むぎ

精選版 日本国語大辞典 「麦」の意味・読み・例文・類語

むぎ【麦】

〘名〙
イネ科穀類のうちコムギオオムギハダカムギライムギエンバクなどの総称。こぞくさ。としこえぐさ。としこしぐさ。《季・夏》
※古事記(712)上「鼻に小豆生(な)り、陰(ほと)に麦(むぎ)生り、尻に大豆生りき」
② 「むぎめし(麦飯)」の略。
※俳諧・野ざらし紀行(1685‐86頃)「甲斐の山中に立よりて 行狗の麦に慰むやどり哉」
③ (「むぎなわ(麦索)」の略) 麺類。特に、ひやむぎ。
今昔(1120頃か)二四「抜くに随て、白き麦の様なる物差出たり」
④ 相模国(神奈川県)小田原地方で飯盛女をいう。米(よね)(=遊女)につぐものの意からいう。〔随筆・積翠閑話(1849)〕

ばく【麦】

〘名〙 むぎ。麦類。〔日葡辞書(1603‐04)〕

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デジタル大辞泉 「麦」の意味・読み・例文・類語

むぎ【麦】

イネ科のオオムギコムギライムギエンバクなどの総称。秋に芽が出て冬を越し、夏に開花、結実する。古くから栽培され、食用飼料として広く利用される。 夏》「行く駒の―に慰むやどりかな/芭蕉
[下接語]あつ一年麦り麦大麦押し麦からす殻麦切り麦弘法麦小麦毒麦なま裸麦はとき割り麦一粒の麦冷や麦平麦穂麦丸麦ライ麦割り麦
[類語]小麦大麦裸麦ライ麦烏麦燕麦鳩麦押し麦き割り麦

ばく【麦〔麥〕】[漢字項目]

[音]バク(漢) [訓]むぎ
学習漢字]2年
バク五穀の一。ムギ。「麦芽麦稈ばっかん麦秋燕麦えんばく菽麦しゅくばく精麦米麦
〈むぎ〉「麦茶麦畑大麦小麦裸麦丸麦
難読蕎麦そば瞿麦なでしこ麦酒ビール麦稈むぎわら

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「麦」の意味・わかりやすい解説


むぎ

コムギとオオムギとをまとめて麦とよび、明治以降はその後伝来したライムギやエンバクなどをも麦に含めるようになった。この「麦」という概念は欧米にはなく、麦に相当する英語もない。麦類は中央・西アジアの乾燥地帯が原産で、秋に芽生え、越冬して初夏に開花し結実する冬作物である。このため麦類は日本では稲作のあとの水田や夏作物のあとの畑に、裏作物として栽培され、土地利用率を高め、食糧生産を高めることに寄与してきた。コムギ、オオムギは人類が農耕を始めたときからのもっとも歴史の古い作物であり、日本へもイネと同じかあまり遅れないころに大陸から伝来して、栽培が始められた。なおライムギとエンバクは、原産地付近で、麦畑の雑草からしだいに作物化されたといわれる。

 麦類は世界の穀物生産の半分近くを占め、人類の半数近くの主食とされる。コムギは作物中生産量が第1位、オオムギ、エンバク、ライムギは、穀物のうちでそれぞれ第4、6、7位を占めている。コムギ、ライムギは製粉してパン食とし、オオムギは圧偏(押し麦と称する)やひき割りにして米に混ぜ、エンバクはオートミールなどとする。またオオムギはビール、ウイスキー、ライムギもウイスキー、ウォツカなど酒の原料として重要である。オオムギ、エンバクなどは現在は主として家畜の飼料とされている。

 なお、食用作物の麦類のほか、イネ科の植物にはムギの名をもつものが多い。イヌムギ、ホソムギ、ネズミムギ、ハトムギ、コウボウムギ、ムギクサなどである。

[星川清親]

民俗

『古事記』の五穀の起源にも「陰(ほと)に麦生(な)り」とあるが、日本の麦作の歴史は古く、いろいろの儀礼や禁忌がある。丑(うし)、寅(とら)、戌(いぬ)の日に播種(はしゅ)を忌む所は多く、昔、弘法(こうぼう)大師が唐から麦を盗んでくるとき、犬にほえられて殺したために戌の日には播(ま)かないなどという伝承がある。また、畝(うね)の播き落としは死人が出るといって嫌う。

 島根、広島、山口県などでは正月20日を麦正月といい、麦褒(ほ)めをする。広島県庄原(しょうばら)市では、二十日(はつか)正月の麦飯とろろを食べてから外へ出、大声で「今年の麦はできがようて、背なから腹へ割れるべよう」(満腹で背中が割れる)と唱え、山口県萩(はぎ)市見島(みしま)では、麦の団子を竹に刺して山に持って行き、「よその麦はやぶれ麦、これの麦はええ麦」と褒めた。また島根県大原郡(現、雲南(うんなん)市)では、麦畑に蓑(みの)を敷いてその上に寝ころがり「やれ腹ふとや、背な割れや」と唱え、福岡県宗像(むなかた)郡地の島では、3月3日を麦褒め節供といって、畑に出、麦のできを褒める。

 麦の初穂を竈神(かまどがみ)に供える儀礼がある。埼玉県秩父(ちちぶ)地方では、6月初丑(はつうし)の日に「麦の刈りかけ」といって、大麦の初穂を刈ってオカマサマに供える。丑の日に供えるのは、中国から牛が麦の種子を爪(つめ)に挟んで持ってきたからだという。徳島県の祖谷山(いややま)や兵庫県淡路島などでは、5月の戌の日に同様の行事を行っている。また九州吐噶喇(とから)列島の悪石島(あくせきじま)では4月、秩父地方では6月に麦甘酒による麦の収穫祭が行われるが、関東の浅間講(6月1日)や島根・鳥取県の蓮華生(れんげしょう)(6月15日)・七夕(たなばた)・盆など、新小麦のまんじゅうやうどんを神仏に供える所も多く、麦の収穫儀礼との関連をみせている。

[内田賢作]

麦と人間

麦は古代オリエント文明の形成と発展に重要な役割を果たした穀物であり、その後の人類文化史のなかでもとくに西洋文明の流れにおいて、絶えず主要作物としての重要性を保ってきた。麦の栽培化は西南アジアの山麓(さんろく)地帯において始められ、最古の農耕村落遺跡として知られるイラクのジャルモ(前7000)からは、栽培されたコムギ(2種類)が出土している。麦栽培は、散布型の播種(はしゅ)と石鎌(いしがま)による穂刈りという方法で始められたらしく、初期の品種はいずれも皮麦で、まだ裸麦は出現していなかった。このことは、のちに至るまで麦が粒食ではなく、粉食として利用されることと関係する。つまり石鎌による収穫法は、結果として穂の大きさや収穫時期が均一な麦を選び取ることになって改良種が出現し、また散布型播種法は大規模な畑での農耕を可能にした。さらに家畜利用による犂(すき)耕作と相まって麦の生産性は急速に増大し、ほかの栽培植物による農耕に比べ、はるかに早く都市や文明への発展がみられた。また、麦は比較的適応性の高い植物であったため、自生地と異なる環境においても生育が容易であった。やがて文明の波及とともに各地に伝播(でんぱ)し、その過程での雑種交配を経てパンコムギやマカロニコムギなどの代表的優良品種が出現し、麦農耕はますます効率のよい農業へと発展して、その後の文明の経済的基盤となった。

 このように重要な作物である麦に対し、人々は古代からさまざまな信仰を形づくってきた。古代エジプトのオシリス神話では、切り刻まれた死体から麦が芽生えてよみがえるという話があるが、オシリス(冥界(めいかい)の支配者)は穀神でもあり、これはよみがえりと同時に麦の収穫と翌年の豊饒(ほうじょう)とを意味している。古代ギリシアにおけるデメテルとペルセフォネの神話でも、他界からのよみがえりをモチーフとする穀物の女神について語られている。

 現代においてもヨーロッパ各地の伝統的農村では、収穫された麦の最後の刈り束をめぐる儀礼や信仰が広くみられる。これはさまざまな変型をとるが、一般には最後の刈り束を用いて人形などをつくり、衣装を着せて収穫祭の中心的シンボルにする。この人形は穀物霊が宿るとみなして尊崇するが、翌年の豊作を祈願して祭りの最後には川に流したり、焼いて畑にまく。これも古代神話における死と再生の観念と共通する面がみられるが、穀物霊はしばしばノウサギ、ヤギ、ネコなどの動物の形をとると信じられ、これらの動物を対象とする儀礼や供犠(くぎ)が行われることもある。

[加藤泰建]

 中国では、約7000年前の焼物についた麦類の圧痕(あっこん)が、河南(かなん)省陝(せん)県東関廟(びょう)の仰韶(ぎょうしょう)(ヤンシャオ)文化期の遺跡から発見されている。安徽(あんき)省毫(ごう)県釣魚台(ちょうぎょだい)の新石器時代の遺跡からは多量の炭化小麦が出土した。その粒は小さく、現在のコムギの半分ほどの長さしかない。河南省安陽県小屯(しょうとん)村の甲骨文には麦を表す來(らい)と麥(ばく)の両文字が見られる。來とは穂が左右に出た麦の象形文字で、麥はそれに足を意味する夂を添え、遠くから「賚(もたら)」された意味をもたせ成立した。周代の『詩経』にも、麦類の歌が少なからず載る。黄河や淮河(わいが)流域には史前からかなりの面積で栽培されていたとみられている。漢代以降は秋播(ま)きコムギの「宿麦(しゅくばく)」と春播きコムギの「旋麦(せんばく)」が区別され、『広志』には、旋麦のほかに、赤小麦、半夏(はんげ)小麦、山提(さんてい)小麦などのコムギの品種およびオオムギの無芒(むぼう)の禿芒(とくぼう)大麦やライムギも名があがり、品種分化が進み始めたことがわかる。

 中国のコムギの品種は多く、1953~54年、全国から集めた3万点のコムギを6000余りの類型に整理している。黄河流域の普通小麦だけでも、その品種は3000を超える。

 普通小麦の誕生に関与したタルホコムギAegilops squarrosa L.は、1953年中国では最初に河南省盧氏(ろし)県の洛河(らくが)沿岸で野生がみいだされたが、そこは新石器時代の遺跡の多い所で、その後同様な例が河南省や陝西(せんせい)省の各地で知られ、当時は栽培利用されていたのではないかとみられている。

 日本に麦類が伝わったのは、およそ2500年前と推定され、長崎県脇岬(わきみさき)の縄文晩期遺跡のオオムギ、佐賀県菜畑(なばたけ)の縄文晩期終末のオオムギ、福岡県板付(いたづけ)の弥生(やよい)前期のコムギなど、縄文晩期から弥生前期にかけての種子が各地でみいだされている。

[湯浅浩史]

文学

五穀(米・麦・黍(きび)・粟(あわ)・豆など)の一つとして、『古事記』上巻には、食物をつかさどる大気都比売神(おおげつひめのかみ)の遺骸(いがい)から、蚕、稲、粟、小豆(あずき)、麦、大豆などが生じたとあり、『万葉集』巻12にも、「馬柵(うませ)越しに麦食(は)む駒(こま)の罵(の)らゆれどなほし恋しく思ひかねつも」などとみられる。『うつほ物語』「藤原の君」には、三春高基(みはるのたかもと)が畑に植えるものとして、「粟、麦、豆、ささげ、かくの如く雑役(ざふやく)の物あり」とあげている。うどんの類を「麦縄」といい、『今昔物語集』巻19、22などにみえる。『宝物(ほうぶつ)集』5には、釈迦(しゃか)があぎた長者の麦を戯れにとったために、その報いとして五百生の間ロバになった、という説話がある。『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』巻16には、藤原師長(もろなが)が孝道(たかみち)に不参の罰として麦飯を食べさせたとあり、上流貴族には粗食と考えられていたらしい。『曽呂利狂歌咄(そろりきょうかばなし)』には、西行(さいぎょう)が信濃(しなの)国の七瀬(ななせ)川のほとりで麦粉を食べてむせたのを見ていた馬上の武士が、七瀬川なのに「いかなれば法師は独りむせ(六瀬)渡るらむ」と詠みかけたのに、「君が馬こそやせ(八瀬)渡るらむ」と言い返したとある。季題は夏、「麦の秋」がよく詠まれる。

[小町谷照彦]


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百科事典マイペディア 「麦」の意味・わかりやすい解説

麦【むぎ】

コムギオオムギライムギエンバクなどのイネ科の穀類の一群の総称。食糧,飼料,ビール原料などとして重要で,イネに比べ環境適応性が大きいので一般にイネより分布は広い。日本へはコムギとオオムギが古く中国から渡来,ライムギ,エンバクは明治以後,欧米から導入された。
→関連項目勇払平野

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世界大百科事典 第2版 「麦」の意味・わかりやすい解説

むぎ【麦】

コムギオオムギライムギエンバクなどの植物やその子実の総称。単に麦といえばとくにオオムギとコムギとを区別せずに示す場合が多い。いずれも子実を食糧や飼料などにするために栽培されるイネ科の一・二年草である。この〈麦〉は,日本や中国などで使用されてきた多面的な内容をもつ独特な用語で,これに相当することばは欧米にはない。東洋の主穀,つまり五穀(米,麦,アワ,ヒエ,豆)のうちでは豆(ダイズ)以外はみなイネ科の作物(禾穀(かこく)類)であるが,そのうち最も重要な米に対して,それに次ぐものが麦とされた。

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動植物名よみかた辞典 普及版 「麦」の解説

麦 (ムギ)

植物。大麦・小麦などの総称

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世界大百科事典内のの言及

【勧農】より

…戸令国守巡行条によると,律令制下の国守は年に一度,管内を巡行することを義務づけられており,そのさい,郡領を督励して,農業をおこし,荒田を出さず,開墾に力をそそぐことになっていた。また政府は大麦,小麦,粟,黍,大豆,小豆などの陸田耕作をも奨励し,計帳使に耕種の町段・収穫量を報告させている。また730年(天平2)には諸国に命じて桑漆帳の記載を厳格にし,国内を巡検して殖満させるようにした。…

【飢饉】より

… 食糧が不足すると,まず投機をねらう商人の穀物退蔵によって物価が異常に高騰し,食糧調達の道を断たれた民衆が草木や動物を食べ尽くして体力を消耗したところを疫病が襲うというパターンが繰り返された。飢饉のときには,政府は非常用の穀物倉(アフラー)を開いて小麦や大麦を放出し,また穀物商人に低価格での売却を命じるとともに,商人やアミールにはその富に応じて扶養すべき困窮者の数を割り当てた。また水不足が原因の場合には,コーランを読誦して集団の雨乞いや増水祈願を行うのが慣例であった。…

【米】より

…玄米を精米機にかけて,ぬか層や胚芽を取り除いたものが精米(白米)である。米は小麦とともに人類の最も重要な食糧だが,小麦がソ連やアメリカなど冷涼で比較的乾燥した地域で生産されるのに対し,米は日本をはじめアジア南部など高温で水の豊富な地域で生産される。それらの地域では永年の間,主食として膨大な人口を養ってきた。…

【トリプトレモス】より

…彼の両親のケレオスKeleosとメタネイラMetaneiraは,五穀の女神デメテルが行方不明になった娘のペルセフォネを求めてエレウシスに来たとき,彼女を女神と知らぬまま親切に処遇した。デメテルはこの好意に報い,トリプトレモスに有翼の竜が引く車を与えて,麦の栽培を全世界に広めさせたという。前5~前4世紀のアテナイは,この神話を根拠にして,ギリシアのすべてのポリスから初穂の奉納を受ける資格があると主張した。…

【農耕文化】より

…その過程で各地の自然環境や社会環境に適応し,農耕文化にはさまざまの類型が生み出されたが,少なくとも発生の系統や農耕の特色など,いくつかの点から大分類すると,旧大陸で三つ,新大陸において二つの農耕文化の大類型を設定することができる。
【旧大陸の農耕文化】

[麦作農耕文化]
 この文化は冬雨気候をもつオリエントのいわゆる〈肥沃な三日月地帯〉において,大麦,小麦,エンドウ,ダイコンなど,一群の冬作物を栽培化し,羊,ヤギなどの家畜を馴致することによって成立したものである。その起源はイラクのジャルモ,イランのアリ・コシュ,シリアのテル・アスワド,パレスティナのイェリコなど先土器新石器文化の遺跡の発掘により,前8千年紀から前7千年紀にまでさかのぼることが確かめられている。…

【畑作儀礼】より

…畑の神という名称は東北や中部地方の一部に見いだされるが,その他では山の神,地の神などに包含されており,水田稲作における田の神ほど普遍的な存在ではない。ただ注目されるのは,畑作の主要作物である関東以西の麦栽培地帯では,日本に麦をもたらしたのが弘法大師であるという伝説が多く聞かれ,それが儀礼構成の主要素となっている地方がある。第2には,主として焼畑にみられる儀礼であるが,春に山に入るときに里と山との境界で山の神を祭り,秋に山を下りるとき境界で自分の妻と飲食を共にするところが全国の各地に見いだせるのは,平地に住居を移したのちも,山がなお独自の空間として認識されていることを示すものであろう。…

※「麦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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