翻訳|column
新聞紙面内の特定のスペースを定期的に与えられた,多くは特定個人の執筆する囲み記事の総称。本来は〈縦の欄〉の意味である。形をあらわす言葉がしだいにそこに収められた特定の内容をも指す用語に転化していくので,内容は娯楽的読物,エッセー,政治論評,ゴシップと多岐にわたり,限定はできない。著名な文人,筆力のあるベテランの記者の書くエッセー・コラムは,どこの新聞でも古くからの慣行としてあったが,コラムを新聞の目玉商品として発達させたのは,アメリカである。1920年代のタブロイド新聞の全盛期,ニューヨーク《グラフィックGraphic》(1924創刊)に〈ブロードウェー風のたよりBroadway Hearsay〉と題する芸能界内幕ニュース,ゴシップのコラムを書いたウィンチェルWalter Winchellらが,その典型である。彼のコラムはシンジケートによりアメリカ各地の165紙に配給,転載され,コラムニストcolumnistとして全国的な著名人となる。30年代からは政治コラム,〈政論〉コラムニストの流行が始まり,硬質の政治論評を展開するコラムニストの代表としては,31年から《ヘラルド・トリビューンHerald Tribune》を舞台に活動しだしたW.リップマン,内幕情報提供(〈The Washington Merry-Go-Round〉,〈News behind the News〉などのタイトルによる)のコラムニストとしては,ピアソンDrew Pearson,アレンRobert S.Allenらが,第2次大戦後の一時期,テレビのコメンテーターに役割をゆずるまで著名であった。事象の複雑化による解説の必要性,ルーティンにしばられた報道記事,多少とも抽象的でよそよそしい社説などが,個人感情の表白,独断を恐れないコラムに読者をひきつけたのである。日本でも,新聞がやや大衆化しはじめる日露戦争前後から各紙とも常設のコラムを載せ,《大阪毎日新聞》の〈硯滴〉(1902。のち〈余録〉),《大阪朝日新聞》の〈天声人語〉(1904)などが現在も続いている。しかし,機構に属さないジャーナリストが自立する基盤が弱いせいか,アメリカのようなコラムも,またコラムニストも育っていない。
執筆者:香内 三郎
アイルランド生れの劇作家,著作家。鉄道員をつとめながらシング,イェーツらとともにアベー座創立当初からアイルランド国民演劇運動で活躍,劇場最初の成功劇《土地》(1905),《トマス・マスケリー》(1910)などを発表。1912年に,のちのイースター蜂起(1916)の指導者T.マックダナーなどと《アイリッシュ・レビュー》を創刊。14年アメリカに移住,アイルランド民話を中心に各国の神話伝説を基にした児童文学を多数著している。ハワイの民話伝説を集めた《太陽の門》(1924),《輝く島々》(1925)のほか,《詩集》(1932)がある。
執筆者:鈴木 建三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…アルベルティは1485年に,〈列柱は,多くの個所で穴をあけられ,開かれた壁以外の何物でもない〉とまで述べている。柱はその形状から円柱columnとピアpierに区別されるが,ピアは壁の一部が構造上の必要性から残されたものとする考えが現在もみられる。また,柱の形を壁に浮き出したものはピラスター(付柱)とよぶ。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...