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小栗風葉 おぐり ふうよう

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美術人名辞典の解説

小栗風葉

小説家。愛知県生。本名は加藤磯夫。尾崎紅葉に師事し、紅葉門下四天王の一人となる。また田山花袋等と交わり、自然主義文学への関心を深め、さらに時代思潮を敏感に反映して様々な作風を展開した。大正15年(1926)歿、51才。

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デジタル大辞泉の解説

おぐり‐ふうよう〔をぐりフウエフ〕【小栗風葉】

[1875~1926]小説家。愛知の生まれ。本名、加藤磯夫。尾崎紅葉の門下。構成の巧みさと美文体を特色とするが、自然主義風の作品も発表。「亀甲鶴(きっこうづる)」「恋慕(れんぼ)流し」「青春」など。

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百科事典マイペディアの解説

小栗風葉【おぐりふうよう】

明治期の小説家。本名加藤磯夫(旧姓小栗)。愛知県生れ。尾崎紅葉に師事し,1896年《亀甲鶴》で認められ,泉鏡花とともに紅葉門下の二秀才と称された。《恋慕ながし》《青春》などで好評を得たが,後年は通俗小説を書くにとどまった。
→関連項目硯友社社会小説新小説真山青果

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小栗風葉 おぐり-ふうよう

1875-1926 明治-大正時代の小説家。
明治8年2月3日生まれ。30年上京して,尾崎紅葉の門にはいる。「亀甲鶴(きっこうづる)」でみとめられ,「恋慕ながし」が出世作。その後,「新小説」を舞台に活動した。大正15年1月15日死去。52歳。愛知県出身。本名は加藤磯夫。作品はほかに「恋ざめ」「青春」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小栗風葉

没年:大正15.1.15(1926)
生年:明治8.2.3(1875)
明治時代の小説家。幼名磯平。本名加藤磯夫。別号に艶如子,拈華童子。「美濃半」という屋号の薬種商小栗半左衛門ときぬの長男。愛知県半田村生まれ。明治23(1890)年に上京,済生学舎,商業素修学校を経て,錦城中学に入るが,24年高等中学の入試に失敗。一旦帰郷の後,25年再び上京し,尾崎紅葉に入門。27年徴兵検査のため帰郷するが,廃嫡され,28年上京して紅葉の玄関番となる。「恋慕ながし」(1898)などで好評を博し,泉鏡花らと共に紅葉門下の四天王と称された。33年には加藤籌子と結婚し加藤姓となる。また同年春陽堂に入社して,『新小説』にニーチェ,ショーペンハウアーなどの西洋思想に影響を受けた作品を発表。晩年は豊橋市の自宅で自適の生活を送った。代表作「青春」(1905~06)は,明治の学生の抱く西洋的恋愛の夢と挫折を巧みに描く。<著作>『風葉集』全2巻<参考文献>岡保生『評伝小栗風葉

(佐伯順子)

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世界大百科事典 第2版の解説

おぐりふうよう【小栗風葉】

1875‐1926(明治8‐昭和1)
明治の小説家。愛知県生れ。本名加藤磯夫(元小栗姓)。家業の薬屋を継がず文学を志して上京,尾崎紅葉に入門してその指導を受け,1896年(明治29)21歳で《亀甲鶴》を発表し文壇に登場。以後,同門の先輩泉鏡花と並び,牛門(ぎゆうもん)の二秀才と称せられて,長編《恋慕ながし》ほかの力作を発表,流麗けんらんたる文章の技巧で読者を酔わせた。日露戦争後の1905‐06年,長編《青春》を《読売新聞》に連載,当代青年の哀歓を描いて文壇随一の人気を博した。

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大辞林 第三版の解説

おぐりふうよう【小栗風葉】

1875~1926) 小説家。愛知県生まれ。本名、磯夫。のち加藤と改姓。尾崎紅葉門の逸材として明治30年代に活躍したが、自然主義の擡頭たいとうに押されて文壇を離れた。代表作「亀甲鶴」「青春」「世間師」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小栗風葉
おぐりふうよう

[生]1875.2.3. 愛知,半田
[没]1926.1.15. 豊橋
小説家。本名,加藤磯夫。錦城中学校に学び,坪内逍遙森田思軒の講義を聞いた。 1892年,尾崎紅葉の門に入り,『亀甲鶴』 (1896) が出世作となった。人物描写にすぐれ,時流の動向を鋭敏に反映する力作を次々に発表したが,自然主義文学の台頭に応じきれず,晩年は不遇であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小栗風葉
おぐりふうよう
(1875―1926)

小説家。愛知県生まれ。本名加藤磯夫(いそお)。小栗は旧姓。薬屋の長男で、早くから文学を志望して上京、尾崎紅葉(こうよう)に入門した。いわゆる紅葉門下の四天王の一人だが、もっとも紅葉の作風に近いといわれる。とくに絢爛(けんらん)たる美文は師匠ゆずりだった。1896年(明治29)酒造職人の悲劇を描いた『亀甲鶴(きっこうづる)』を発表、一躍新進作家として文壇に認められた。
 その後『恋慕ながし』(1898)などの力作で同門泉鏡花(きょうか)とともに作家的地位を確立、ことに長編『青春』(1905~06)は、明治30年代知識階級の青年の内面生活を描いて世評も高く、彫琢(ちょうたく)を極めた文体と相まって風葉の代表作といえる。のち、自然主義の作風に移り、『天才』(1907)、『恋ざめ』(1907~08)、『世間師(せけんし)』(1908)などの佳作を出したが、生活の放縦からまもなく愛知県に帰り、後年は通俗小説を執筆して文壇から引退した。尾崎紅葉の『金色夜叉(こんじきやしゃ)』の続編、『終編金色夜叉』(1909)も書いている。[岡 保生]
『『明治文学全集65 小栗風葉他集』(1968・筑摩書房) ▽岡保生著『評伝小栗風葉』(1971・桜楓社)』

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世界大百科事典内の小栗風葉の言及

【青春】より

小栗風葉の長編小説。1905‐06年(明治38‐39)《読売新聞》に連載。…

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