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コンゴ王国 コンゴおうこく

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百科事典マイペディアの解説

コンゴ王国【コンゴおうこく】

現在のコンゴ民主共和国からアンゴラ北部にかけての地に栄えたバントゥー系のコンゴ族の王国。14世紀成立。強固な国家組織を有した大国で,15世紀に渡来したポルトガル人との間にも交易やキリスト教の受容など対等の交流が見られた。
→関連項目カサイ[川]コンゴ民主共和国

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世界大百科事典 第2版の解説

コンゴおうこく【コンゴ王国】

中部アフリカ,現在のコンゴ(ザイール)川河口南岸,コンゴ民主共和国からアンゴラ北部にかけての地方を14世紀から19世紀まで支配していた古王国。起源的には,周辺の王国,例えばロアンゴ王国とも共通点があるとされる。民族は,バントゥー系の言語を話すコンゴ族(バコンゴ)で,王国の人口は200万~300万であった。これは現在のコンゴ族の人口250万とほぼ同じである。14世紀後半と推定される王国の創立は,神話的英雄であり,人間に文化をもたらした鍛冶師でもあるヌティヌ・ウェネに帰せられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

コンゴ王国
こんごおうこく

14世紀ごろから17世紀にかけて、今日のコンゴ民主共和国(旧ザイール)のコンゴ(ザイール)川河口一帯を版図として繁栄したバントゥー系の王国。伝承によれば、14世紀ごろ東方からこの地に流入してきたニミ・ア・ルケニを首長とするバントゥー系の一族が先住民を征服して建国した。15世紀末、ポルトガル人が渡来する直前のこの国の最盛期には、マニコンゴとよばれる王が、50万平方キロメートルの版図に住む400万~500万人の住民を統治していたといわれる。コンゴ王国は、1482年この地に到来したポルトガルの遠征隊を通じて、ポルトガルと外交関係を結び、交易を行うとともに留学生を派遣した。しかし、奴隷貿易時代に入ると内乱が相次ぎ、18世紀初めまでには完全に滅亡した。[原口武彦]

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世界大百科事典内のコンゴ王国の言及

【アフリカ】より

… ポルトガル人に一時支配された東アフリカの海岸も,ポルトガルの後退後インド洋に進出したヨーロッパ勢力の関心がインドや東南アジアに向けられたため,17~18世紀には,オマーンのアラブ商人が再び活発に東アフリカに渡来するようになった。 ポルトガルの航海者は15世紀にヨーロッパ人としてはじめて先に述べたベニン王国や中部アフリカのコンゴ王国(現,コンゴ民主共和国海岸部)を訪れ,洗練された文化に驚嘆し,これらの国としばらくのあいだ交渉をもった。ポルトガルとの接触を通じてベニンには鉄砲,大量の銅製品が入り,後者は,それ以前から作られていた青銅,シンチュウの工芸品の製作をさらに発展させた。…

【コンゴ民主共和国】より

…現在,ピグミーは北東部のイトゥリの森林のほか,各地に分散して居住している。その後バントゥー族が侵入し,1482年にポルトガルの航海者がコンゴ河口に到着したとき,大西洋沿岸には数々の諸王国が存在していたが,なかでもコンゴ王国は最盛期を迎えていた。当時のコンゴ王国は大西洋岸からクワンゴ川まで,今日のアンゴラ北部,ザイール西部,コンゴ人民共和国南部にかけて,広い領域を支配した。…

※「コンゴ王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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