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ゴダール Godard, Benjamin (-Louis-Paul)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ゴダール
Godard, Benjamin (-Louis-Paul)

[生]1849.8.18. パリ
[没]1895.1.10. カンヌ
フランスの作曲家。パリ音楽院に学ぶ。初めシューマンに興味をもち,数多くの歌曲,ピアノ曲を書いたが,1878年劇的交響曲『ル・タッス』がパリ市音楽コンクールに入賞,その後,数多くのオペラを書き『酒保商人』は,当時成功を収めた。有名な『ジョスランの子守唄』は,彼のオペラ『ジョスラン』 (1888) のなかの1曲である。

ゴダール
Godard, Jean-Luc

[生]1930.12.3. パリ
フランスの映画監督。フランスで生まれたが,兵役を逃れるためにスイス国籍をとりスイスで育った。パリ大学中退後,『カイエ・デュ・シネマ』誌などに映画批評を書きながら短編映画をつくっていたが,1959年に長編第1作『勝手にしやがれ』À Bout de Souffleを発表。その即興的な演出と大胆な編集,コラージュのような構成は世界に衝撃を与え,一躍ヌーベルバーグの寵児となった。続く 1960年代も『気狂いピエロ』Pierrot le Fou(1965)など先鋭的な作品を次々と生み出し世界的な名声を不動のものとする。しかし 1968年の五月革命前後から『イタリアにおける階級闘争』Lotte in Italia(1970)など政治色の強い作品に傾倒し,『万事快調』Tout va bien(1972)を最後に商業映画から離脱。「ソニマージュ工房」Sonimageを設立し実験的小品を制作する。また政治色の濃い作品をテレビを通じて発表。1979年『勝手に逃げろ/人生』Sauve qui peut (La Vie)で再び商業映画に復帰。以後『ゴダールのマリア』Je vous salue,Marie(1984),『ゴダールのリア王』Jean-Luc Godard's King Lear(1987),『ゴダールの決別』Helas pour moi(1993)などを監督。映画の概念を根底から変革した作家と評される。

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百科事典マイペディアの解説

ゴダール

フランスの映画監督。スイス国籍。映画雑誌《カイエ・デュ・シネマ》の批評家出身。長編第1作《勝手にしやがれ》(1959年)は即興演出,大胆な編集など新鮮な作風で,F.トリュフォーらとともにヌーベル・バーグの先頭に立った。
→関連項目カリーナクラインサークドロンバルドーフラーベルトフベルモンドメルビルレイ

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

ゴダール

フランスの作曲家、ヴァイオリニスト。ヴァイオリンをリシャール・アメル、アンリ・ヴュータンに師事。14歳でパリ音楽院に入学し、作曲をアンリ・ルベールに学ぶ。
シューマンに傾倒し〈子供の情景〉を管弦楽用に ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ゴダール【Jean‐Luc Godard】

1930‐
フランスの映画監督。グリフィスとエイゼンシテイン以来,彼ほど根底から映画の概念を変革した作家はいないといわれる。フランソア・トリュフォーは〈ゴダールは映画の制度そのものを粉砕した――絵画におけるピカソのように,映画のすべてをかく乱することによって,すべてを可能にしたのである〉と評している。絶えざる解体と変貌を繰り返し続けて,映画史上もっともつかみにくく定義しがたい映画作家といわれる。パリ生れのフランス人だが,〈兵役忌避のために〉スイス国籍をとる。

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大辞林 第三版の解説

ゴダール【Jean-Luc Godard】

1930~ ) フランスの映画監督。ヌーベル-バーグの旗手。作「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」「軽蔑」「パッション」「ゴダールのマリア」など。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内のゴダールの言及

【勝手にしやがれ】より

…1959年製作のフランス映画で,〈ヌーベル・バーグ〉の金字塔的作品となったジャン・リュック・ゴダール監督の長編映画第1作。自動車泥棒と警官殺しの犯人であるアナーキーな青年が,恋人のアメリカ娘に密告され警官に射殺されるまでを,原題(《息切れ》)そのままに鮮烈に息せき切ったリズムで描く。…

【気狂いピエロ】より

…1965年製作のフランス映画。〈ヌーベル・バーグとはゴダール・スタイルのことだ〉とジャン・ピエール・メルビル監督にいわしめた衝撃のデビュー作《勝手にしやがれ》(1959)以来,映画の文法や概念そのものを覆しつつ,映画とは何かを問い続けてきたジャン・リュック・ゴダール監督の9本目の長編作品である。漫画本から詩,絵画,哲学,ミステリー小説,映画等々に至る無数の引用に彩られた〈ゴダール・スタイル〉の頂点ともいうべき作品で,《芸術とは何か,ジャン・リュック・ゴダール?》と題する長い賛辞をこの映画にささげた詩人のルイ・アラゴンによって,絵画の〈コラージュ〉に匹敵する映画として評価された。…

【シネマ・ベリテ】より

…カメラの前で現実の人間に〈真実〉を語らせるというシネマ・ベリテの方法は,ルーシュの手持ちカメラと社会学者エドガール・モランのインタビューを通して1961年の夏のパリの〈状況〉を生々しくとらえた《ある夏の記録》,そして同じ方法で62年5月のパリの〈状況〉を生々しくとらえたクリス・マルケルの《美しき五月》をへて,やがてテレビのインタビュー番組やドキュメンタリー番組の方法に移行し,一般化し,風化していくことになる。しかし他方では,ジャン・リュック・ゴダールが劇映画のなかにカメラを目撃者として生の人間にインタビューを行うというシネマ・ベリテの方法を採り入れて衝撃的な成果をあげたことも注目される。 シネマ・ベリテは,新しいドキュメンタリー映画の方法=運動として,ジャン・ルーシュの映画のカメラマンをつとめたカナダ人のミシェル・ブローを通じてカナダにも広がっていく。…

【ヌーベル・バーグ】より

…58年には14人,59年には22人の新人監督が長編映画の第1作を撮るという,かつてない激しい映画的波動がわき起こり,さらに60年には43人もの新人監督がデビュー,アメリカの雑誌《ライフ》が8ページの〈ヌーベル・バーグ〉特集を組むに至って,世界的な映画現象として認識されることになった。 こうしたフランス映画の若返りの背景には,国家単位で映画産業を保護育成する目的で第2次世界大戦後につくられたCNC(フランス中央映画庁)の助成金制度が新人監督育成に向かって適用されたという事情があるが,その傾向を促すもっとも大きな刺激になったのが,山師的なプロデューサー,ラウール・レビRaoul Lévy(1922‐66)の製作によるロジェ・バディムRoger Vadim(1928‐ )監督の処女作《素直な悪女》(1956)の世界的なヒット,自分の財産で完全な自由を得て企画・製作したルイ・マルLouis Malle(1932‐95)監督の処女作《死刑台のエレベーター》(1957)の成功,そしてジャン・ピエール・メルビル監督の《海の沈黙》(1948)とアニェス・バルダ監督の《ラ・ポワント・クールト》(1955)の例にならった〈カイエ・デュ・シネマ派〉の自主製作映画の成功――クロード・シャブロルClaude Chabrol(1930‐ )監督の処女作《美しきセルジュ》(1958),フランソワ・トリュフォー監督の長編第1作《大人は判ってくれない》(1959),ジャン・リュック・ゴダール監督の長編第1作《勝手にしやがれ》(1959)――であった。スターを使い,撮影所にセットを組んで撮られた従来の映画の1/5の製作費でつくられたスターなし,オール・ロケの新人監督の作品が次々にヒットし,外国にも売れたのであった。…

※「ゴダール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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