ゴンチャロフ(読み)ごんちゃろふ(英語表記)Иван Александрович Гончаров/Ivan Aleksandrovich Goncharov

デジタル大辞泉 「ゴンチャロフ」の意味・読み・例文・類語

ゴンチャロフ(Ivan Aleksandrovich Goncharov)

[1812~1891]ロシア小説家。人物の性格描写にすぐれた、克明なリアリズムが特色。1853年、プチャーチン提督に従って長崎来航。小説「オブローモフ」、旅行記「フリゲート艦パルラダ号」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ゴンチャロフ」の意味・読み・例文・類語

ゴンチャロフ

  1. ( Ivan Aljeksandrovič Gončarov イワン=アレクサンドロビチ━ ) ロシアのリアリズム作家。一八五三年(嘉永六)、長崎における日露外交交渉に参加。三編の長編小説「オブローモフ」「平凡な話」「断崖」がある。(一八一二‐九一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゴンチャロフ」の意味・わかりやすい解説

ゴンチャロフ
ごんちゃろふ
Иван Александрович Гончаров/Ivan Aleksandrovich Goncharov
(1812―1891)

ロシアの作家。ボルガ河畔のシンビルスク市の富裕な穀物商の次男に生まれる。7歳のとき父が他界し、以後元海軍軍人トレグーボフの薫陶を受けて、生家から商人階級の実践性を賦与される一方、この進歩的教養人から貴族階級の理想主義をも継承した。ボルガ対岸の私塾、モスクワ商業学校で学んだあと、1831年モスクワ大学文学部に入学。このころプーシキンに多大の感銘を受けた。34年に卒業して半年間故郷の県知事秘書を務めたあと、翌春ペテルブルグへ赴いて、大蔵省外国貿易局に翻訳官として就職。まもなく画家のマイコフ一家と知己を結び、同家の子供アポロンとバレリアンの家庭教師を務めるかたわら、その文学サロンに出入りして、回覧雑誌に詩や短編を発表した。47年に『平凡物語』で文壇にデビュー。空想家の甥(おい)と実際家の叔父を対置し、前者が後者のような人間へと変貌(へんぼう)してゆく過程を描いたこの長編小説を、ベリンスキーは「ロマン主義打倒の作」と称揚した。1852~55年に遣日使節プチャーチン提督の秘書官として世界周航に加わり、53年(嘉永6)に長崎に来航した。この体験は旅行記『フリゲート艦パルラダ号』(1858)にまとめられ、その日本関係の箇所は明治以来繰り返し邦訳されて、日露関係史研究の貴重な史料となってきた。56年に検閲官に就任し、62年に内務省の機関紙『北方の郵便』の編集長、65年には出版事務総局局員(高級検閲官)となり、67年に四等官の位で退官した。これより前の59年に『オブローモフ』を発表。農奴制批判の意義を指摘されて、作者の名を一躍高からしめる代表作となった。第三の長編『断崖(だんがい)』(1869)は、ニヒリストを戯画化し、また長期にわたる執筆のため構成の不統一をきたして不評を買った。のちに作者は三部作の内的関連を強調し、農奴解放前のロシアの生活の「夢」と「覚醒(かくせい)」の情景を表現したものと述懐している。晩年は評論や回想記にのみ手を染め、なかでもグリボエードフの喜劇『知恵の悲しみ』を論じた『百万の呵責(かしゃく)』(1872)がもっとも優れている。91年に肺炎を発してペテルブルグで他界。わが国では明治期に二葉亭四迷と嵯峨の屋(さがのや)お室(むろ)、大正から昭和初期にかけて山内封介(やまのうちほうすけ)、そののち井上満(みつる)によって紹介された。二葉亭の小説『浮雲』には、文体、思想の両面で『断崖』の影響がうかがわれる。

[澤田和彦]

『井上満訳『平凡物語』全2冊(創元文庫)』『井上満訳『断崖』全5冊(岩波文庫)』『井上満訳『文芸評論集』(1948・世界文学社)』『高野明・島田陽訳『ゴンチャローフ日本渡航記』(1969・雄松堂出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ゴンチャロフ」の意味・わかりやすい解説

ゴンチャロフ
Ivan Aleksandrovich Goncharov
生没年:1812-91

ロシアの小説家。ボルガ河畔のシンビルスク(現,ウリヤノフスク)市の富裕な穀物商の次男に生まれる。モスクワ商業学校退学後,1831年モスクワ大学文学部に入学。このころプーシキンに多大の感銘を受ける。卒業後故郷の県知事秘書となった後,35年に上京して大蔵省外国貿易局に翻訳官として就職。画家のN.マイコフ家と知己になり,子どもの家庭教師を務めるかたわら,その文学サロンに出入りして回覧雑誌に習作を発表した。47年に《平凡物語》で文壇にデビュー。空想家の甥と実務家の叔父を対立させ,前者が後者のごとき人物へと変貌する過程を描いたこの小説を,ベリンスキーは〈ロマンチシズム打倒の作〉と称揚した。52-55年にプチャーチン提督の秘書官として世界周航に参加し,53年(嘉永6)長崎に来航。この旅行体験は《フリゲート艦パルラダ号》(1858,部分訳《日本渡航記》)にまとめられた。56年文部省の検閲官に就任し,62年に内務省の機関紙《北方の郵便》の編集長,65年には出版事務総局局員となり,67年に四等官の位で退官した。この間1859年に小説《オブローモフ》を発表。農奴制批判の意義を指摘されて,作者の名を一躍高からしめる代表作となった。第3の長編《断崖》(1869)は,ニヒリストを戯画化し,また長期の執筆による構成の不統一をきたしたため,不評を被った。後に作者は《平凡物語》《オブローモフ》《断崖》の三部作の内的関連を強調し,農奴解放前のロシア生活の〈夢〉と〈覚醒〉の情景を表現したものと述懐している。晩年は評論や回想記にのみ手を染めたが,そのうちグリボエードフの喜劇《知恵の悲しみ》を論じた《百万の呵責》(1872)が最も優れている。91年に肺炎のため首都で永眠。日本では明治期に主として二葉亭四迷と嵯峨の屋おむろ,大正から昭和初期にかけて山内封介,その後井上満によって紹介された。二葉亭の《浮雲》には文体・思想両面で《断崖》の影響がうかがわれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゴンチャロフ」の意味・わかりやすい解説

ゴンチャロフ
Goncharov, Ivan Aleksandrovich

[生]1812.6.18. シンビルスク
[没]1891.9.27. ペテルブルグ
ロシアの小説家。商人の子として生れ,モスクワ大学卒業後,大蔵省貿易局などを振出しに,30年余にわたる官吏生活をおくった。勤務のかたわら創作の筆をとり,1847年に長編『平凡物語』 Obyknovennaya istoriyaを発表して注目され,さらに 10年の歳月をかけて完成した『オブローモフ』によってロシア文学史上その名を不朽のものとした。主人公オブローモフは典型的な「余計者」的存在で,以後この名は無為徒食漢の代名詞となった。ほかに『フリゲート艦パラーダ号』 Fregat Pallada (1858) ,長編『断崖』 Obryv (69) などがある。

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朝日日本歴史人物事典 「ゴンチャロフ」の解説

ゴンチャロフ

没年:露暦1891.9.15(1891.9.27)
生年:露暦1812.6.6(1812.6.18)
幕末のロシアの小説家。シンビルスク市に商人の子として生まれる。1834年モスクワ大学文学部卒業,大蔵省外国貿易局に勤める。文芸サークルに参加して文学活動をはじめ,47年,最初の作品『平凡な物語』を発表した。52年10月,ロシアの第3回遣日使節プチャーチンの特別秘書官として旗艦パルラダ号に乗船し,翌年7月18日(8月22日)長崎に来航。和親条約,国境画定,貿易などについての日露会談の模様を作品『日本におけるロシア人』(1855),のち改訂版『フレガート=パルラダ』(1857)に結実した。54年5月,一行は沿海州インペラートル湾に入港,ゴンチャロフはこのとき陸路シベリア経由で帰国した。

(内海孝)

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百科事典マイペディア 「ゴンチャロフ」の意味・わかりやすい解説

ゴンチャロフ

ロシアの作家。シンビルスクの商人の子。モスクワ大学卒業後,長く官吏を務める。ゴーゴリの流れをくむリアリズム作家の一人。代表作《オブローモフ》でロシア文学における〈余計者〉の典型を描いた。ほかに《断崖》(1869年),日本渡航の紀行文《フリゲート艦パラーダ》(1858年)。
→関連項目プチャーチン

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ゴンチャロフ」の解説

ゴンチャロフ Goncharov, Ivan Aleksandrovich

1812-1891 ロシアの作家。
1812年6月18日生まれ。遣日使節プチャーチンの秘書官として,嘉永(かえい)6年(1853)長崎に来航。幕府全権川路聖謨(としあきら)らとの交渉を記録した「フレガート・パルラダ」(「日本渡航記」)で知られる。1891年9月27日死去。79歳。シンビルスク(現ウリヤノフスク)出身。モスクワ大卒。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ゴンチャロフ」の解説

ゴンチャロフ
Ivan Goncharov

1812~91

ロシアの作家。官吏生活のかたわら『平凡物語』『オブローモフ』『断崖』の3部作を完成。めざめた地主貴族や知識人の苦悩をリアルに描いた。プチャーチンの使節団に加わり,日本航海記を残した。

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世界大百科事典(旧版)内のゴンチャロフの言及

【オブローモフ】より

…ロシアの小説家ゴンチャロフの長編小説。1859年刊。…

【日本研究】より

…19世紀前半には,日本との通商関係を求めた航海者I.F.クルーゼンシテルンの《ナジェジダ号とネバ号による世界周航の旅》(1809‐12),V.M.ゴロブニンの《日本幽囚記》(1816)などロシア側から見た日本研究書が現れた。さらに,日露和親条約(1855)の交渉のために日本を訪れた提督E.V.プチャーチンの秘書官を務めた作家I.A.ゴンチャロフの航海記《フリゲート艦パルラダ号》(1858)も重要文献としてヨーロッパ諸語に翻訳された。 日本との国交樹立後のロシアの日本研究は,ペテルブルグ大学とウラジオストクの東方研究所(1899創設)が中心となった。…

【日本渡航記】より

…ロシアの作家ゴンチャロフの旅行記《フリゲート艦パルラダ号Fregat Pallada》(1858)の部分訳。1852‐55年(嘉永5‐安政2)ゴンチャロフは遣日使節プチャーチン提督の秘書官として世界周航に参加し,1853年長崎に来航した。…

※「ゴンチャロフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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