コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

サハロフ Sakharov, Aleksandr

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サハロフ
Sakharov, Aleksandr

[生]1886.5.26. マリオポール
[没]1963.9.25. シエナ
ソ連の舞踊家本姓 Zuckermann。パリで法律と絵を学ぶが,のちに舞踊に転向。 1911年,当時前衛といわれた I.ダンカンの影響のもとに,ソロ・リサイタルを開いたのち,M.ラインハルトの演出作品に出演していた C.デルプと結婚し,デュエットによるダンス・コンサートを各地で開催。その作風は「抽象的マイム」と称された。 53年ローマに移り,夫妻で舞踊学校を開設して後進の指導にあたった。

サハロフ
Sakharov, Andrei Dmitrievich

[生]1921.5.21. モスクワ
[没]1989.12.14. モスクワ
ソ連の物理学者。モスクワ大学卒業 (1942) ,ソ連科学アカデミー・レーベデフ物理学研究所に勤務 (45) 。 26歳で学位を取り,32歳で科学アカデミー正会員となった。理論物理学分野で先駆的業績を上げ,ソ連の水爆開発を指導,レーニン賞スターリン賞を受けた。 1960年代以降は,官僚主義批判,核実験反対運動,核軍縮キャンペーンなどを通じて,ソ連政府を含めて,全世界にその人間主義・平和主義思想を訴えた。 75年ノーベル平和賞に選ばれたが,ソ連当局から受賞のための出国を禁じられ,80~86年国家への反逆を理由にすべての栄誉・称号を剥奪され (科学アカデミー会員の身分はそのまま) ,ゴーリキー市に強制移住させられた。その後,ゴルバチョフ政権の推進したペレストロイカ (改革) 政策のもとで復権,89年には人民代議員に選出された。 68年に公刊した『進歩・平和共存・知的自由』 Razmyshleniya o progresse,mirnom sosushchestvovanii i intellektual'noi svobodeは有名である。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

サハロフ

ソ連の物理学者。モスクワ大学卒。1953年科学アカデミー正会員。ソ連水爆の父といわれ,レーニン勲章(レーニン賞)を受けたが,のちスターリン主義批判から反体制の立場をとり,1970年人権委員会を設立。
→関連項目方励之

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

サハロフ【Andrei Dmitrievich Sakharov】

1921‐89
ソ連邦の核物理学者,異論派の中心的存在。若くして核兵器開発に大きな寄与を果たし,ソ連の〈水爆の父〉ともいわれる。32歳にして科学アカデミー会員に選ばれた。やがて核実験による大気汚染を心配し,実験の中止をフルシチョフに進言するにいたり,60年代半ばからは民主化を求める社会的な発言を公然と行うようになった。《進歩,平和共存,知的自由に関する考察》がサミズダート(自主タイプ・コピー)で広められ,68年西側で公刊されたため,機密の仕事からはずされ,科学アカデミー物理学研究所に配置換えとなった。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

サハロフ【Andrei Dmitrievich Sakharov】

1921~1989) ソ連の物理学者。「ソ連水爆の父」と称せられるが、1960年代半ばから、人権擁護、核実験中止を唱え、反体制活動家に転ずる。75年ノーベル平和賞。80年「反逆」を理由に流刑。ペレストロイカの下で復権。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サハロフ
さはろふ
Андрей Дмитриевич Сахаров Andrey Dmitrievich Saharov
(1921―1989)

ソ連の物理学者。モスクワに生まれる。1942年モスクワ大学物理数学部を卒業、1945年レーベデフ物理学研究所に入り、I・タムの研究チームに加わり、タムとともに水爆開発に大きく寄与。1953年、32歳の若さで科学アカデミー会員となった。しかしその後、核実験による放射能汚染の重大性などから、その中止を当時のソ連首相フルシチョフに要請(1958)したり、ソ連の体制にかかわって批判的な発言や活動を行うようになり、1968年にはソ連の民主化、人権確立などを主張する論文「進歩、平和共存、知的自由」が西側で公刊された。彼の活動は当局から「反ソ的」として激しく非難されたが節を曲げず、1975年ノーベル平和賞授与に際しては出国が許可されず、夫人が代理受賞した。1980年1月当局により連行され、国家的栄誉も剥奪(はくだつ)され、ゴーリキー(ニジニー・ノブゴロド)市に強制移住させられたが抵抗の姿勢は変えなかった。1986年12月モスクワに帰還。[内田 謙]
『金子不二夫・木村晃三訳『サハロフ回想録』上下(中公文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のサハロフの言及

【異論派】より

…メドベージェフは民主主義的改革に期待をかける共産主義者であるのに,ソルジェニーツィンは正教信仰に傾斜し,共産主義体制を全否定する。この2人の間に立って異論派運動の柱となったのは〈ソ連水爆の父〉,科学アカデミー会員サハロフである。彼は普遍的な人権の原理による民主主義者である。…

※「サハロフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

サハロフの関連キーワードアレクサーンドル ソルジェニーツィンアウン・サン・スー・チーロイ メドヴェージェフソビエト連邦史(年表)ムスタファ ジェミレフL. チュコフスカヤネルソン・マンデラネルソン マンデラシャナナ グスマンステンカ・ラージンソルジェニツィンチュコフスカヤアンドロポフコンチネントギンツブルグユスフザイサハロフ賞5月21日バレラ計画ブイリーナ

今日のキーワード

いい夫婦の日

11月22日。通商産業省(現経済産業省)が制定。パートナーへの感謝の意を示し、絆を深める。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

サハロフの関連情報