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サモス島 サモスとうNísos Sámos

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サモス島
サモスとう
Nísos Sámos

ギリシア,エーゲ海東部にある島。小アジア半島に最も近い島で,トルコ西岸と幅1~2kmの狭い海峡で隔てられる。森林に覆われた山がちな島で,最高点 1433m。北東岸に中心集落サモスがある。前 11世紀頃イオニア人が植民し,イオニア 12都市の一つサモスを建設。前7世紀にはギリシアでも有数の商業中心地となり,黒海地方,エジプト,キュレネ,コリントスなどと交易,ミレトスと覇を競った。前6世紀僭主政治下で古典文化が栄え,ピタゴラスをはじめ,建築家,工芸家が輩出,アナクレオンイソップなども住んだといわれる。のちローマ,ビザンチン,ジェノバの支配を受け,1453年オスマン帝国領。 1821~29年のギリシア独立戦争では善戦したが,ギリシア領となったのは 1912年。主産業は農業で,肥沃な土壌に,ブドウを中心にオリーブ,ワタ (綿) ,タバコなどを栽培。たばこ工場,造船所がある。古代ギリシア最大のイオニア式神殿であるヘラ神殿が残り,1992年世界遺産の文化遺産に登録されている。面積 476km2。人口4万 1850 (1991推計) 。

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デジタル大辞泉の解説

サモス‐とう〔‐タウ〕【サモス島】

SamosΣάμος》ギリシャ、エーゲ海南東部、ドデカネス諸島の島。紀元前6世紀半ばには海洋都市国家が栄え、僭主ポリュクラテスの命によってヘラ神殿の造営が進められた。港町ティガニは数学者ピタゴラスの生地としても知られ、町の名は1955年にピタゴリオンと改名されている。1992年に「サモス島のピタゴリオンとヘラ神殿」の名で世界遺産(文化遺産)に登録された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サモス島
さもすとう
Smos

ギリシア南東部、エーゲ海東部、ドデカネス諸島の島。南スポラデス諸島に含める場合もある。トルコ語名スサム島Susam-Adasi。小アジア半島とは狭いサモス海峡を隔てて相対する。面積476平方キロメートル、人口3万3843(2001)。地形は全体的に山がちで、島頂は西端にあるケルケテウス山(またはケルキス山、1433メートル)。気候は温暖で、良質のブドウを産し、ギリシア正教のミサに使われる甘口ワインの生産で有名。オリーブ、たばこ、絹の生産も多い。イカリア島、フルニ島などをあわせてサモス県を構成し、県の人口は4万4200(2003推計)。県都は北岸にある港湾都市バティVathi。イオニア人の植民以来通商で大いに繁栄し、繁栄の絶頂に達した紀元前6世紀には、ピタゴラスをはじめとして多くの芸術家、哲学者を生んだ。島の南部には、イオニア式の巨大なヘラ神殿の遺構が残っている。[真下とも子]

歴史

前1100年ごろギリシア本土から移住したイオニア人に占拠され、前8世紀ごろ島全体が一つのポリス(都市国家)になり、ゲオモロイとよばれる土地所有貴族が政権を握った。前7世紀以降各地に植民市を建設し、商工業を発展させ、前6世紀後半にはポリクラテスの僭主(せんしゅ)政のもとで繁栄を極めた。彼の死後ペルシアの支配に入るが、前5世紀初めにその支配から脱してデロス同盟に加盟した。前441~前439年に同盟からの離反に失敗して民主政が導入され、前4世紀前半にアテネ市民の植民市(クレルキア)が設けられた。ヘレニズム時代には次々に大国に支配され、前133年にはローマの属州アシアに組み込まれた。また1476年にはオスマン帝国の支配領となり、正式にギリシア領となったのは1923年のローザンヌ条約においてである。[清永昭次]

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