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サルゴン サルゴン Sargon

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デジタル大辞泉の解説

サルゴン(Sargon)

アッカド朝の創始者。在位前2350ころ~前2295ころ。シュメールアッカド全土を支配し、メソポタミア最初の帝国を建設。生没年未詳。
(2世)[?~前705]アッシリア帝国最盛期の王。在位前721~前705。サルゴン朝の創始者。新都をコルサバードに造営。シリアパレスチナなどを征服し、バビロニアを併合した。

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百科事典マイペディアの解説

サルゴン

メソポタミアを統一して最古の世界帝国を建設したアッカド朝の始祖(在位前2350年ころ―前2295年ころ)。アッカド人を率いてシュメール諸市を征服,支配権は地中海東部からアルメニアイラン高原に及んだ。
→関連項目ナラムシン

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世界大百科事典 第2版の解説

サルゴン【Sargon】

古代メソポタミア最初のセム系アッカド人の統一王国とその王朝の創始者。アッカド語ではシャッル・キンŠarru‐kin。〈アッカドのサルゴン〉と通称される。諸伝承の伝えるアッカド王としての55年の治世は,いちおう前2350年ころから前2295年ころとされる。このアッカド語の王名は〈王は真正なり〉〈王は正統なり〉を意味するが,父の名も幼少時の名も不明である。アッカド語の一伝承では母は尼僧で,誕生後,葦籠に入れてユーフラテス川に棄てられ,水汲み人に拾われて果樹栽培者になった。

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大辞林 第三版の解説

サルゴン【Sargon】

(一世)アッカド王朝の開祖(在位 前2350頃~前2295頃)。メソポタミア最初の統一国家を建設。幾多の外征を行い「戦いの王」として後世多くの伝説を生んだ。生没年未詳。
(二世)アッシリア帝国の王(在位 前721~前705)。シリア・イスラエル・アルメニア・アラビアなどを征服し、帝国の最盛期を現出。生没年未詳。

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世界大百科事典内のサルゴンの言及

【アッカド】より

…伝承上,洪水後最初の王朝とされるキシュ第1王朝の王名中にはアッカド系の名前が多く見られ,前27世紀ころにはシュメールの都市国家シュルッパクの史料中にアッカド語の人名が見いだされる。前2350年ころサルゴンが,おそらく幾世代にもわたってシュメール文化に親しんでいたセム系のアッカド人を率いてこの地に首都アガデAgadeを造営し(その遺跡は未発見。シッパルとキシュの間のユーフラテス川沿いに位置するとされる),メソポタミア最初の帝国を建設,伝承によると11王,181年(前2350ころ‐前2150ころ)に及ぶ王朝を創始した。…

【シュメール美術】より

…彫刻の分野では,現存している作品の数こそ少ないが,技術的にも芸術的にも高い水準に達していたことがわかる。ニネベ出土のブロンズ製の男の頭部は,アッカドのサルゴン王の肖像とも考えられているが,頭髪,あごひげの表現にシュメール初期王朝時代の手法を残しながらも,顔の表情にはそれまでに見られなかった自然な特色が現れている。この像はまた,当時ブロンズの鋳造技術が高度に発達していたことを証明する貴重な存在である。…

【シリア】より


[青銅器時代]
 シリアが史上初めて文献史料に言及されるのは,ウルク王ルガルザゲシの征服記録中においてである。次いで,ユーフラテス川上流域出身の人とされるサルゴンがアッカド王となり,自らアマヌス山中に遠征した。彼の王朝は前3千年紀末葉のシリアを支配した。…

【バビロニア】より

…しばしば北部のアッシリアと対比され,またバビロニア南部はシュメール,北部はアッカドと呼ばれる。その歴史は,厳密にはバビロンによるメソポタミア南部の統一をもって始まるとみるべきであろうが,以下の記述では,サルゴンによるアッカド帝国の建設によりメソポタミア南部が初めて政治的に統合された時をもってその出発点とし,アレクサンドロス大王による征服までを扱う。なお,以下に掲げるアケメネス朝以前の諸王の治世年代はすべてA.レオ・オッペンハイム《古代メソポタミア》(改訂版,1977)に付されているJ.A.ブリンクマンの年代表に従う。…

【ひげ(髭∥鬚∥髯)】より

…貴族のひげは許されたがほかの人々には認められず,家人の喪に服する間だけはひげが伸びても容認されたという(ヘロドトス《歴史》)。 ひげと神権または王権との結合はあまねく見られ,アッカド王国の創始者サルゴンはほおから下を豊かな編みひげで覆い,ペルシアの王や貴族は金粉や金糸を添えたひげを誇り,女王も付けひげを黄金の鎖でとめていた。さらに時代を下ればアーサー王のひげがあり,《ローランの歌》はカール大帝(シャルルマーニュ)の白ひげを繰り返し歌っている。…

【メソポタミア】より

…最後のウルカギナ(ウルイニムギナ)はウンマのルガルザゲシに敗北した。ルガルザゲシはウルク王になるとともに他都市をも軍事占領し,ここにシュメール都市国家時代が終わるが,のちルガルザゲシはセム系アッカドのサルゴンに敗れた(前24世紀中葉)。 キシュ王の高官であったサルゴンは,のち独立してアッカド王朝を樹立した。…

※「サルゴン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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