シェロー(その他表記)Patrice Chéreau

改訂新版 世界大百科事典 「シェロー」の意味・わかりやすい解説

シェロー
Patrice Chéreau
生没年:1944-

フランスの演出家。すでに中学時代から演出家として注目され,学生劇団をひきいて異色な活動を行い,1967年にはJ.レンツ作《兵士たち》で,全国青年劇団コンクールに優勝した。その後パリ郊外サルトルービル市の演劇指導者となり,中国劇曲などを上演したが,市当局と折合いが悪くなり,また68年の五月革命には反体制側を支援して,〈異議申立ての世代〉と呼ばれるようになって,69年にはこの職を辞した。69年にリヨンで上演した浮浪者が登場するモリエールドン・ジュアン》,70年のシェークスピアリチャード2世》,73年のマリボー《いさかい》などは,一方でシェローの演出家としての名声を高め,R.プランション一連の演出活動に比肩するものとして評価されたものの,それぞれに政治的な新解釈が加えられ,また深層意識に潜むエロティシズムの裏付けによる読直しが行われたために,それらの上演は次々とスキャンダルの種にもなった。また76年にはバイロイト音楽祭ワーグナー《ニーベルングの指環》四部作をP.ブーレーズと組んで上演,オペラの演出にも画期的な成果をあげている。84年からはパリ郊外ナンテール文化会館所長に就任,その後も活発な活動を続けている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シェロー」の意味・わかりやすい解説

シェロー
Chéreau, Patrice

[生]1944.11.2. レジニエ
[没]2013.10.7. パリ
フランスの演出家,映画監督。高校時代から演劇活動を開始,19歳のときビクトル・ユゴー作『介入』L'Interventionを演出して人気を博し,ソルボンヌ大学を退学して演劇に専念する。1971~77年国立民衆劇場,1982~90年ナンテール・アマンディエ劇場の共同監督を務め,挑発的な演出活動を続けた。1976年バイロイト音楽祭(→バイロイト祝祭劇場)でリヒアルト・ワーグナーの『ニーベルンゲンの指輪』を演出した際,背景をドイツの神話的時代からヨーロッパの産業革命時代に置き換え,独創的なマルクス主義的解釈(→マルクス主義)を行なって観客に衝撃を与えた。しかし公演は成功裏に終わり,その後のオペラ演出に演出家が大胆な解釈を加える道を開いた。映画監督としては,『王妃マルゴ』La Reine Margot(1994,カンヌ国際映画祭審査員賞),『インティマシー親密』Intimacy(2001)などを手がけた。

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百科事典マイペディア 「シェロー」の意味・わかりやすい解説

シェロー

フランスの演出家。早くから学生劇団で活躍し,パリ郊外のサントルービル市で演劇指導者になるが,1968年の五月革命さいには反体制側を支援,1969年辞職した。シェークスピアの《リチャード2世》(1970年)やマリボーの《いさかい》(1973年)などで評価を高めるが,その上演は常にさまざまなスキャンダルを引き起こした。オペラの演出も手がけ,1976年にはブーレーズと組んでバイロイト音楽祭でワーグナーの《ニーベルングの指環》を上演。《王妃マルゴ》(1994年,原作A.デュマ)などの映画監督としても知られる。
→関連項目ギベール

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シェロー」の意味・わかりやすい解説

シェロー
しぇろー
Patrice Chéreau
(1944―2013)

フランスの前衛演出家。パリ郊外レジニェに生まれる。中学時代から学生演劇の俊才として注目され、1967年レンツ作『兵士たち』の演出で青年劇団コンクールに優勝。その後リヨン市第八劇場に招かれて、浮浪者を舞台の周りにたむろさせた『ドン・ジュアン』や、オデオン座の『リチャード2世』の演出は大胆さによりスキャンダルとなるが、さらに1976年バイロイト音楽祭の『ニーベルングの指環(ゆびわ)』四部作の演出は、国際的なスキャンダルとなった。ナンテール文化の家所長として、ジュネの『屏風(びょうぶ)』など野心的な演出を試みるほか、オペラや映画など多彩な活動を続けていた。

[利光哲夫]

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世界大百科事典(旧版)内のシェローの言及

【国立民衆劇場】より

…シェークスピア,コルネイユ,モリエール,クライストなど古典の読み直しと,ブレヒト劇のフランスへの紹介の功が特筆される。しかし,63年ビラールが去ってのちは,後継者ウィルソンGeorges Wilsonらの努力(たとえば裏手に実験小劇場〈ジェミエ・ホール〉の開設)にもかかわらず,時代の変化もあって民衆劇場は低迷し,72年ついにTNPは,リヨン近くビユルバンヌのR.プランションの本拠地に移転,ヘッドにP.シェローらを主宰者に加えて集団指導制により再出発した。以来この新TNPは,ビラールの遺志を継承しながらも,バロック的で視覚的な舞台づくりと,ブレヒト+フロイト的作品解釈という彼らの個性を生かして成果をあげている。…

【フランス演劇】より

…プランションは,自らの集団を地方都市リヨンの労働者街において〈民衆演劇〉と〈地方分化〉を実践するとともに,また〈ブレヒト革命〉の体現者であり(1954年のベルリーナー・アンサンブルのパリ巡業を機に,R.バルト,B.ドルトらによる《民衆演劇》誌がブレヒト派の牙城となりプランションを支持した),さらに劇作については,イヨネスコ,アダモフ(《パオロ・パオリ》)らの前衛劇を積極的に初演する一方,モリエール(《タルチュフ》),ラシーヌ(《ベレニス》),マリボー(《第二の恋の不意打ち》),シェークスピア(《ヘンリー6世》)らの古典について,現代の知の先鋭的な視座から〈再読解〉を企てた。概して非政治的・非イデオロギー的であったフランスの演劇改革運動に,政治的・イデオロギー的次元を導入しつつ,それを演劇美学の探求とダイナミックな関係におく企ては,以後のP.シェロー,A.ビテーズ,A.ムヌーシュキン,J.P.バンサンらに共通する。それはまた,パリ周縁の劇場の成立を促し,小劇場運動とともに,パリの劇場地図を60年代に大きく変えた。…

【ルル】より

…しかしオペラは35年のベルクの死によって第3幕の途中で中断されたままになった。作曲家兼指揮者のツェルハFriedrich Cerha(1926‐ )が,第3幕のスケッチやノートをもとに補作完成し,この3幕完全版の《ルル》は,79年2月,カナダ出身のソプラノ歌手ストラータスTeresa Stratas(1938‐ )のルル,P.シェローの演出,ブーレーズの指揮によって世界初演され大きな話題を集めた。天性の媚態をもつ官能的な女性ルルは,まわりの男たちを次々に死に追いやるが,最後には売春宿で男に殺されてしまう。…

※「シェロー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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