シカゴ派
しかごは
Chicago group
1910年代から1920年代にかけてシカゴを中心に活躍したアメリカ中西部の詩人たちをさす。1912年にハリエット・マンロー女史が月刊詩雑誌『ポエトリ』を創刊し、これを基盤にC・サンドバーグ、V・リンゼー、E・L・マスターズなどの詩人たちが活躍した。俗に「シカゴ・ルネサンス」とよばれるこの詩人たちの活動は若々しいエネルギーと実験精神にあふれ、自由詩の発展に貢献した。ジャズのリズムを取り入れたリンゼーの『コンゴ川その他の詩』(1914)、架空の町の墓碑銘の形を借りたマスターズの『スプーン・リバー詞華集』(1915)、サンドバーグの『シカゴ詩集』(1916)は、その代表的な作品である。
[新倉俊一]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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シカゴ派
シカゴは
Chicago school
19世紀末のシカゴを中心に活躍した D.バーナム,W.ジェニー,J.ルート,L.サリバンなどの商業的高層建築の発展に寄与した建築家のグループ。当時ニューヨークではエレベータを備えた高層建築が実現しつつあったが,1871年の大火で市街地の大半を失ったシカゴは高層建築のパイオニアたちの表舞台となり,鉄骨構造と構造に対応する美学的表現がさまざまに追求された。ジェニーはライター・ビル (1879) ,ホーム・インシュランス・ビル (84~85) などで耐火被覆をもった鉄骨構造を用いた。サリバンはその代表作であるオーディトリアム・ビル (86,D.アドラーと共同) のファサードにおいて何層かごとに異なる表現を与えた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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シカゴ派【シカゴは】
1880年代から1890年代に米国シカゴで生じた建築傾向。1871年の大火による再開発と産業の発展を背景に,鉄骨造の高層建築群が設計された。代表的作品にW.ホラバードとM.ローシュのタコマ・ビル(1887年),L.H.サリバンとD.アドラーのオーディトリアム・ビル(1889年),D.H.バーナムとC.B.アトウッドのリライアンス・ビル(1895年)などがある。20世紀の高層事務所建築の先駆。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内のシカゴ派の言及
【アメリカ美術】より
…南北戦争前後にはハントRichard Morris Hunt(1828‐95)に代表されるギリシア様式とゴシック様式,ルネサンス様式の折衷が見られた。この傾向を批判的に乗り越えようとしたのが20世紀初頭のL.H.サリバン,F.L.ライトたちの〈シカゴ派〉で,工業技術の進歩を背景に鉄骨構造の商業的高層ビルを発達させ,[スカイスクレーパー](摩天楼)の端緒をひらいた。1920年代に入ると消費社会に適合するマーケットからモーテルにいたる機能的な様式が現れ,30年代のWPA計画ではローコストによるハウジングと並行して古典様式や国際様式が出現している。…
【高層建築】より
…当時,鉄道事業の発達とともにアメリカ中西部の商業,工業の中心地として発展し始めていたシカゴでは,急激な人口の集中による都市化が進む一方,1871年に起こった大火によりそれまでの木造による商業施設の大部分が焼失し,復興のための建設ブームを迎えていた。その中にあって,ジェニーWilliam Le Baron Jenney(1832‐1907)やホラバードWilliam Holabird(1854‐1923)らのシカゴ派と呼ばれる建築技術者らは,従来の煉瓦や石の壁によって建物を支える組積造によらない新しい構造形式による建築をシカゴの町に建て始めた。それは,当時建物の装飾や構造材に補助的に使われていた鋳鉄と,土木分野や工業製品に使われ始めた鋼を柱やはりに使用した,シカゴ構造と呼ばれる鉄骨構造の高層建築であった。…
【サリバン】より
…ボストン生れだが,中西部で活躍。19世紀末のシカゴの発展を背景に,高層ビル建築を推進した建築家の一群〈シカゴ派Chicago School〉の最大の指導者。有名な〈形態は機能に従う〉という[機能主義建築]の定義づけでも知られる。…
【シカゴ】より
…シカゴは建築家にとって絶好の市場となり,のちに多数のスカイスクレーパー(摩天楼)を設計・建築したL.H.サリバンをはじめ多くの建築家をひきつけた。サリバンは73年,シカゴに移住してジェニーWilliam Le Baron Jenneyの弟子となったが,ジェニーは最初の鉄筋建築ホーム・インシュアランス・ビル(1885完成)を建て,シカゴに摩天楼の時代を開く(シカゴ派)。再建はすみやかに進み,73年の不況をくぐりぬけたシカゴは経済的にもいっそう発展した。…
【事務所建築】より
…一方,日本においては,19世紀の終りから財閥による貸事務所建築が東京で建設され始め,三菱第1号館は1892年に着工している。19世紀の終りに,シカゴではシカゴ派と呼ばれる建築技術者たちが鋳鉄を建物の骨組みや窓枠に使用して,大型の高層事務所建築を建設し始め,これらの[高層建築]は1930年代にニューヨークに登場するウールウォース・ビルやエンパイア・ステート・ビルといった超高層事務所建築の技術的第一歩となった。これらアメリカの建設技術をとり入れて,日本でも1923年丸の内ビルディングや旧郵船ビルディングといった大型の事務所建築が建設されていった。…
【リチャードソン】より
…ロマネスク建築を思わせる粗石積み,半円形アーチを好み,かつ自由な平面と外観,地方産の材料と構造を合理的に結びつけた作風を確立。ボストンのトリニティ教会(1877)の競技設計入賞で名声を得,マーシャル・フィールド商会(1887)で〈シカゴ派〉の先駆者となる。スタウトン邸(1883)は〈シングル(柿(こけら)板)様式Shingle Style〉の住宅建築の確立に貢献した。…
※「シカゴ派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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