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システィナ礼拝堂 システィナれいはいどうCappella Sistina

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

システィナ礼拝堂
システィナれいはいどう
Cappella Sistina

1473~84年,教皇シクスツス4世が G.ドルチローマバチカン宮に建てさせた教皇のための礼拝堂。長方形プランの簡素な煉瓦建築で,美術史的には堂内を飾るルネサンスフレスコによって重要。内陣を仕切る大理石のついたてと合唱壇は M.フィエーゾルおよび G.ダルマタの作。両側の長い壁には,ボティチェリギルランダイオ,C.ロッセリシニョレリピントリッキオ,P.コシモなどのキリストの生涯を画題としたフレスコが並ぶ。さらに有名なのはミケランジェロの天井画と祭壇壁画。 1508~12年制作の天井画は,中央に「天地創造」「楽園追放」「ノアの洪水」など旧約聖書の9場面を描き,祭壇壁画は 36~41年,パウロ3世のために制作された『最後の審判』が有名。ラファエロタペストリーの下絵を制作した。

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デジタル大辞泉の解説

システィナ‐れいはいどう〔‐レイハイダウ〕【システィナ礼拝堂】

《〈イタリアCappella Sistina》バチカン宮殿にある礼拝堂。1473~1481年、教皇シクストゥス4世により創建。ミケランジェロの「最後の審判」ほか、すぐれた壁画・天井画がある。

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百科事典マイペディアの解説

システィナ礼拝堂【システィナれいはいどう】

バチカン宮殿にある教皇の礼拝堂。Cappella Sistina。教皇シクストゥス4世が1473年―1481年ジョバナニ・デ・ドルチに建てさせた,長方形プランの簡素な煉瓦建築で,ルネサンスからマニエリスム期の多数の壁画,天井画によって名高い。
→関連項目アルカデルトバチカンバチカン美術館

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世界大百科事典 第2版の解説

システィナれいはいどう【システィナ礼拝堂 Cappella Sistina】

バチカン宮殿内にある礼拝堂。教皇居城の付属礼拝堂として1475年シクストゥス4世によって建立された。〈システィナ〉とは〈シクストゥスの〉の意。単廊式で,幅13.4m,奥行き40.2m,高さ20m。内陣と信者席とがついたてによって仕切られており,左側壁にはモーセの生涯,右にはキリストの生涯,その上には歴代教皇の肖像が15世紀末フィレンツェ派の画家(ペルジーノ,ギルランダイオ,ボッティチェリなど)によって描かれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

システィナ礼拝堂
しすてぃなれいはいどう
Cappella Sistina

バチカン市国、ローマ教皇庁内にある礼拝堂。教皇選挙会(コンクラーベ)の会場にあてられることでもよく知られている。初め教皇専用の礼拝堂として、1278年ニコラウス3世の提案によって造営されたが、その後シクストゥス4世の意向を受けたジョバンニ・デ・ドルチによって、1473~81年に全面的に改築され、40.5×13.2メートルの長方形、天井の高さ20.7メートルという広壮な礼拝堂となった。当時の政治上の混乱を反映して、礼拝堂と城砦(じょうさい)の機能を兼ねうる構造になっている。堂内を二分する障柵(しょうさく)はミーノ・ダ・フィエーゾレ、ジョバンニ・ダルマータおよびアンドレア・ブレーニョの共作である。壁画はコジモ・ロッセリ、ボッティチェッリ、ギルランダイヨ、ペルジーノ(のちにシニョレッリ、ピントリッキョらが加わる)によって1481~83年に制作された。祭壇に向かって左側には『モーセの生涯』、右側には『キリストの生涯』が6面ずつ描かれている。壁画の上の高窓の左右には、それぞれニッチ(龕(がん))の中に立つ計24人の教皇像が描かれているが、この制作にはギルランダイヨ、ボッティチェッリ、フラ・ディアマンテらが従事した。
 ミケランジェロによる天井画はユリウス2世の命により1508年に着手、12年に完成されている。ミケランジェロはまず建築的デザインを描いて天井を区画し、中央部を縦に連続する九つの長方形の枠内に創世記物語を描いた。次にそれを取り巻くように12人のモニュメンタルな預言者と巫女(みこ)の坐像(ざぞう)を配し、これらが創世記物語と連接する位置に20体の青年の裸像を描いている。そのうえさらにキリストの先祖たちや装飾彫刻まで描き込み、しかも複雑な画面全体を統一的に構成したのである。
 同じ礼拝堂の祭壇の背後にみる『最後の審判』はパウルス3世の命で、やはりミケランジェロの手で完成。ダンテの『神曲』から構想を得て、制作者自身の宗教観を大胆に造形化した作品。画面中央やや上部に審判者キリストとマリアを配置し、これを取り囲んで上段は天使、中段は預言者、巫女、使徒、殉教者、下段右側は地獄に堕(お)ちる者と地獄、左側は墓から出て天国に昇る者という布置であり、巨大な浮彫りを思わせる画面である。
 なお、この礼拝堂のあるバチカン市国は1984年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。[濱谷勝也]

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世界大百科事典内のシスティナ礼拝堂の言及

【最後の審判】より

…この影響は上述した西ヨーロッパの諸例にも散見するが,イタリアに著しく,ジョットのパドバの壁画でも,基本的には西ヨーロッパ的であるが,その影響がうかがわれる。イタリアではダンテの《神曲》などの反映を示して,しだいによみがえった人々や地獄,天国の場面を豊富にし,また現実感を加え,ミケランジェロはシスティナ礼拝堂の壁画に,中世的な階段構図をやめ,審判者らを中心に,左下から上り,右下に下る旋回構図をとる11群の人物大群の圧倒的表現力をもって,この主題を近代化している。【吉川 逸治】。…

【ミケランジェロ】より

… 05年,教皇ユリウス2世の招きでローマに赴き,40体以上の彫刻と建築的モティーフの複合体である教皇の墓廟の制作を命ぜられるが,翌年には早くも教皇との間に不和が生じ,仕事は中断する。教皇は08年システィナ礼拝堂天井画制作を彼に命じ,彫刻家をもって自認するミケランジェロは,不承不承ながらも,12年に《創世記》諸場面とその周辺の多数の画面をほとんど独力で描き上げる。この天井画の特質は,第1には無数の人体の彫塑的表現効果であり,第2にはその新プラトン主義的な聖書解釈であろう。…

※「システィナ礼拝堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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