日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュワーベン都市同盟」の意味・わかりやすい解説
シュワーベン都市同盟
しゅわーべんとしどうめい
Schwäbischen Städtebund ドイツ語
1376年、ウルムほかシュワーベンの14都市が結成した同盟。神聖ローマ皇帝カール4世は財政窮乏を理由に帝国都市に高額の租税を課し、帝国都市は絶えず売却、質入れ(帝国担保)の危険にさらされた。これに対し、ウルムの提唱により、コンスタンツ、ラーフェンスブルク、メミンゲン、ロイトリンゲン、ロットウァイルなどの諸都市が自立性を守るためこの同盟を結び、ウュルテンベルク伯ウルリヒをロイトリンゲン近傍で破った結果、売却、質入れなどを行わない旨の皇帝の確約を取り付けるのに成功した。1381年にはライン都市同盟とも連携し、他方バイエルンの帝国都市レーゲンスブルク、ニュルンベルクも加盟した結果、85年には加盟都市約40に達し、無視できない政治勢力となった。皇帝ウェンツェルは一時都市同盟に正式承認を与えたが、88年都市同盟はデフィンゲンの戦いで諸侯軍に大敗を喫し、翌年皇帝も「エガーの帝国平和令」を発して、いっさいの都市同盟を禁止した。だが、シュワーベン諸都市はその後もしばしば同盟を結び、1488年には、皇帝フリードリヒ3世の要請を受けて、シュワーベンの20帝国都市は、「聖ヨルゲンの盾騎士団」や、チロール大公ジグムント、ウュルテンベルク伯エーベルハルト5世らと「シュワーベン同盟」を結び、1895年の「永久平和令」の前提をつくった。
[平城照介]