コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ショーロホフ ショーロホフ Sholokhov, Mikhail Aleksandrovich

6件 の用語解説(ショーロホフの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ショーロホフ
ショーロホフ
Sholokhov, Mikhail Aleksandrovich

[生]1905.5.24. ドン,ビョーシェンスカヤ
[没]1984.2.20. ビョーシェンスカヤ
ソ連の小説家。 1965年度ノーベル文学賞受賞。ドン地方の商人の家庭に生れ,国内戦の舞台となったドン地方でソビエト政権確立のために戦った。その体験を文学作品として表現するために作家になろうと決意,24年短編『ほくろ』 Rodinkaで文壇にデビューした。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

ショーロホフ(Mikhail Aleksandrovich Sholokhov)

[1905~1984]ソ連の小説家。革命前後の内戦と階級闘争に取材した大作を発表。1965年ノーベル文学賞受賞。小説「静かなドン」「開かれた処女地」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

ショーロホフ

ロシア(ソ連)の作家。南ロシアのドン河畔のビョーシェンスカヤ村生れ。中学生の時に革命を迎え,赤衛軍に加わって,ドン地方のコサック反乱軍と戦った。その体験をもとに《ドン物語》にまとめられた初期短編が生まれ,続いて彼の畢生(ひっせい)の大作でありまたソビエト文学の最高傑作と認められる長編《静かなドン》(1928年―1940年)が書かれた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

ショーロホフ【Mikhail Aleksandrovich Sholokhov】

1905‐84
ソ連邦の作家。南ロシアのドン地方のコサック村ビョーシェンスカヤの生れ。故郷の中学在学中に十月革命を迎え,国内戦時代の1920年から21年にかけて赤軍の隊列に加わり,革命委員会の食糧調達係としてドン地方を転戦した。22年,17歳のときにモスクワに出て,石工,人夫などさまざまな職業を体験しながら作品を書きはじめた。コムソモールの機関紙《青年プラウダ》に小品《試練》(1923)を掲載し,以後,多くの短編小説を書いたが,それらはみな,熾烈(しれつ)な国内戦の舞台となったドン地方での経験を素材としたもので,短編集《ドン物語》(1925),《るり色の曠野(こうや)》(1925)にまとめられた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ショーロホフ【Mikhail Aleksandrovich Sholokhov】

1905~1984) ソ連の小説家。長編「静かなドン」「開かれた処女地」はソビエト文学の古典。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ショーロホフ
しょーろほふ
Михаил Александрович Шолохов Mihail Aleksandrovich Sholohov
(1905―1984)

ロシアの小説家。5月24日、ドン川流域のビョーシェンスカヤ村に生まれる。父は商店に勤務する身で、人妻であった母と正式に結婚したのは1912年になってからで、そのため、戸籍上は母親の連れ子、父ショーロホフの養子となっている。12年、村の小学校に入学したが、まもなくモスクワに行き、私立の予備中学校に移り、約3年間を送ったあと、第一次世界大戦のため故郷の近くのボグチャル市の中学校に転校した。やがて十月革命、国内戦の開始とともに学業を放棄して父のもとに帰る。ドン地方は国内戦がもっとも激烈に展開された主戦場の一つであったが、20年にソビエト政権が樹立されると、15歳の少年であったショーロホフも村の革命委員会に所属し、武器を持って反革命と戦い、かたわらコサックの非識字者解消運動に加わり、文化的な啓蒙(けいもう)活動を行い、アマチュア劇団を結成して革命の意義を宣伝した。単なる目撃者としてのみならず、自らの生命を賭(と)して参加した歴史の事件が、少年期から青春前期にかけての彼の精神に深刻な影響を残したことは疑いなく、この原体験の意味を問い、それをことばで表現せんとしたところから、彼の文学は生まれた。
 1922年、ショーロホフはモスクワに出て、重労働の仕事で生活の糧(かて)を得ながら文学修業に励み、ドン地方の内戦を主題とする短編を書き始め、短編『ほくろ』(1924)で文壇にデビューし、2年間で25の短編と中編1編を書き、26年に、『ドン物語』『るり色の曠野(こうや)』の2冊の作品集を刊行した。21歳のときである。これで新進作家としての地位を確立したが、生活は苦しかった。その間、24年にマリヤ・ペトローブナと結婚し、25年末には父親を失っている。精神的にも物質的にも困難な時期であったが、26年末からビョーシェンスカヤに居を定め、革命を中心とする激動する時代に生きるコサックの運命を雄大なスケールのもとに描き出そうとする長編の執筆に専念した。こうして書き始められたのが『静かなドン』で、十数年の歳月を費やして、40年に完結した。この作品を書き進めながら、第二の長編『開かれた処女地』第1部(1932)を書き上げ、60年に完成、それと同時にレーニン文学賞を受賞。このほか、第二次世界大戦中には従軍記者として前線に赴き、ルポルタージュを発表、また短編『憎しみの教え』(1942)、未完の長編『彼ら祖国のために』(1943~44)を書いた。
 第二次世界大戦後は、革命と国内戦のさなかで飢饉(ききん)のために親や兄弟を失い、独ソ戦で妻子と死別しながらも、不幸に耐え、力強く生き抜いた老運転手を主人公とする『人間の運命』(1956)を発表し、ソビエト文学界に揺るぎない地位を確立した。この間、1937年にソ連邦最高会議代議員、39年に科学アカデミー会員、61年に党中央委員に選出されている。ショーロホフの作品は国内だけではなく、世界各国でソ連文学の古典として広く読まれ、65年にノーベル文学賞を授与された。66年(昭和41)来日。84年2月20日没。[水野忠夫]
『原久一郎・原卓也訳『世界文学全集13 ドン物語』(1966・集英社) ▽横田瑞穂訳『世界文学大系94 人間の運命』(1965・筑摩書房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のショーロホフの言及

【ソビエト連邦作家同盟】より

…発足時には,ラップのイデオロギー万能型の批評の抑制,作家の自主性の発揚が期待されたが,スターリン時代の条件下で同盟は急速に官僚化し,作家統制の道具となった。3年に1度と規約で定められた大会も,スターリン死後の54年まで20年間も開かれず,56年の第20回共産党大会では,ショーロホフが作家同盟員を〈死せる魂〉,書記長ファジェーエフを〈権勢家〉と断じた。スターリン批判後,民主化の気運が見られたが,パステルナーク,ソルジェニーツィンらの除名に見るように,文学界における党の政策の代弁者としての機能は変わらなかった。…

※「ショーロホフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

ショーロホフの関連キーワード静かなドンパウストフスキーソ連邦ドンコサック労農ロシアロシア連邦共産党ロシアの恋人クラスノダルロシア[連邦共和国]スタブロポリ(ソ連,南ロシア)

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

ショーロホフの関連情報