シーレ(読み)しーれ(その他表記)Egon Schiele

デジタル大辞泉 「シーレ」の意味・読み・例文・類語

シーレ(Egon Schiele)

[1890~1918]オーストリア画家クリムト影響を受ける。激しい描線で人間の生の孤独を描いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シーレ」の意味・わかりやすい解説

シーレ
しーれ
Egon Schiele
(1890―1918)

オーストリアの画家、素描家。6月12日トゥルンに生まれる。1906~1909年、ウィーン美術学校に学び、のちクリムトの知遇を得てその影響を受けた。1909年、若い同僚たちと「新芸術グループ」をつくった。彼は主として男女人体の病的な肉感性を、神経過敏な硬質の描線と強烈な色彩アクセントをつけて描いた。その大胆なエロティシズムは衝撃的で、そのため1912年に拘禁されたことがある。夢幻的な風景ほか、『女と二人の子ども』(1917年。ウィーン、オーストリア絵画館)のような不安に満ちた母子像の作もある。10月31日、ウィーンで夭折(ようせつ)。死後一時忘れられたが、近年彼の描く実存的な人間像が再評価されている。

[野村太郎]

『E・ミッチ著、坂崎乙郎監訳『エゴン・シーレ画集』(1983・リブロポート)』『坂崎乙郎著『エゴン・シーレ――二重の自画像』(1984・岩波書店/平凡社ライブラリー)』『F・ウィットフォード著、八重樫春樹訳『エゴン・シーレ』(1984・講談社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「シーレ」の意味・わかりやすい解説

シーレ
Egon Schiele
生没年:1890-1918

オーストリアの画家。ウィーン北東郊トゥルン生れ。ウィーン美術学校中退後,1909年に仲間と〈新美術集団Neukunstgruppe〉を結成。クリムトの影響を受けた初期の装飾的画法から,内観の表出を目ざす表現主義へと向かう。死や没落二重映しの自画像枯木の風景画,沈黙の都市像などには,第1次大戦で崩壊するハプスブルク家王国,とりわけウィーンの終末が暗示されている。15年の結婚後画風は現実肯定的になるが,終戦直前に妻と相前後してスペイン風邪で早世した。
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百科事典マイペディア 「シーレ」の意味・わかりやすい解説

シーレ

オーストリアの画家。1907年にクリムトと出会い,その影響下に創作活動を開始する。ウィーンのゼツェッシオンの第2世代に当たり,優れた素描力を駆使して,クリムトの装飾性とは異なる表現主義的な画風を展開した。鋭い輪郭線と激しい色彩の対比が,人間の孤独や愛欲の諸相をえぐり出す。人物像に優れ,エロティックな裸婦像や自画像に傑作を残した。
→関連項目フンデルトワッサー

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シーレ」の意味・わかりやすい解説

シーレ
Schiele, Egon

[生]1890.6.12. ツルン
[没]1918.10.31. ウィーン
オーストリアの画家。 1906~09年ウィーンの美術アカデミーで学び,初めグリーペンケルル,次いで G.クリムトの弟子となり,クリムトの影響を強く受けた。神経質に折れ曲る線を特徴とし,人間を主題とする感情表現にすぐれた作品で知られる。

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