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ジスカール・デスタン ジスカールデスタン

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百科事典マイペディアの解説

ジスカール・デスタン

フランスの政治家。1956年下院議員,1962年ド・ゴール大統領のもとで蔵相,1969年―1974年ポンピドゥー大統領のもとで蔵相。1974年大統領に就任,経済再建に業績を残す。
→関連項目国立行政学院シラク第五共和政フランス

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジスカール・デスタン
じすかーるですたん
Valry Giscard d'Estaing
(1926― )

フランスの政治家。ブルボン王家にさかのぼる名家の出身。理工科大学校(エコール・ポリテクニク)、ついで国立行政学院に学び財務省に入省。1956年下院議員に選ばれ、1962年院内に独立共和派を創設しドゴールアルジェリア放棄政策を支持した。同年財務相となり1966年まで留任。その後はドゴールの反アングロ・サクソン主義を批判し、体制と距離を保った。1969年ポンピドー大統領選出に尽力してふたたび財務相に就任。1974年ポンピドーの急死後、左翼連合候補ミッテランを僅差(きんさ)で破り大統領となった。翌1975年11月には、第1回先進国首脳会議(サミット)をフランス・ランブイエで開催。7年間の任期(1974~1981)は、選挙年齢の18歳への引き下げ、堕胎と離婚の自由化、女性問題省設置などの進歩的中道政策の追求と、失業とインフレの二重苦克服の失敗の明暗二面を含み、1978年の新与党フランス民主連合(UDF)創設にもかかわらず、長期政権の腐敗と不人気もあずかり、1981年の大統領選挙でミッテランに再選を阻まれた。1988~1996年UDF議長。その後ヨーロッパ連合(EU)諮問会議議長。2003年からアカデミー・フランセーズ会員。[平瀬徹也]

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