アラブの文学者,思想家。古典散文学の確立者で,バスラの人。キナーナ族のマウラー(マワーリー)の家系に生まれたが,祖先はアビシニア出身の奴隷であったといわれる。ジャーヒズとは〈出目〉のゆえにつけられたあだ名(ラカブ)である。バスラでイスラム諸学を修めた後に,816年にアッバース朝カリフ,マームーンの招きでバグダードに上り,それから約50年間,バグダードとサーマッラーで大小の著作を次々と発表し,アッバース朝体制の擁護とムータジラ派の教義の正当化に努めた。またアラブの伝統文化を攻撃するペルシア人のシュウービーヤ運動に対して,アラブの古詩や伝承を取り入れて逸話文学のジャンルを開拓し,アラブ人文主義に最終的な勝利をもたらした。バスラで病没するまでに書かれた著作は約200点,そのうち現存する完本は30で,主著はペルシア人を風刺した《けちんぼども》,修辞法を説いた《雄弁と明解の書》,後の民族学・博物学の基礎となった《動物の書Kitāb al-ḥayawān》などである。
執筆者:佐藤 次高
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アラビア語の散文作家。両眼球が突出していたのでジャーヒズ(どんぐり眼(まなこ))というあだ名でよばれた。バスラに生まれ、バグダードに上り、アラビア語の辞書学、文法学、哲学、神学などの研鑽(けんさん)を積んだ。カリフ(最高指導者)のマアムーンが彼の博学に目をつけ文書局に招いたが、窮屈な役所生活に耐えられず3日後に辞めた逸話は有名。『動物の書』『解説と明証の書』『トルコ人の功績とアラブ軍団』のほか、ある人物を風刺した『四角と円の書簡』、けちんぼうを題材にした『けちんぼうの書』などがある。伝統的な手法にこだわらず、リアリズムの手法を持ち込み、後のアラビア散文文学の模範とされる。機知と洒落(しゃれ)が作品の随所にみられる。
[池田 修]
『前嶋信次訳『世界文学大系68 アラビア・ペルシア集 けちんぼども』(1964・筑摩書房)』
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…これはアブド・アルハミード・アルカーティブ‘Abd al‐Ḥamīd al‐Kātib(?‐750)によって確立された。彼の弟子イブン・アルムカッファーおよびジャーヒズを経てアラブ散文文学,アダブadab文学(アダブは,アラビア語で礼儀作法,教養を表す)は頂点に達する。
[アッバース朝時代]
8世紀に入るとアラブ文学の中心地はイラクの都市に移った。…
…イスラム研究者ギブはこの運動の本質を,当時のカーティブがイスラム帝国の政治・社会制度と価値観とを,彼らの理想としたササン朝のそれに置き換えようとしたものとみる。したがってイスラム文化への重大な挑戦であったが,ジャーヒズらの努力により,アラブの民族的伝統に基づくアダブ文学作品が多く著され,人々がアラブ人文主義の真価を再発見するようになると,この運動はしだいに下火となった。【嶋田 襄平】。…
※「ジャーヒズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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