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ジョット ジョットGiotto di Bondone

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジョット
Giotto di Bondone

[生]1266~67/1276. ベスピニャーノ
[没]1337.1.8. フィレンツェ
イタリアの画家。フィレンツェに近い山間地ムジェルロで羊飼いをしていた少年をジョバンニ・チマブーエが見つけて弟子にしたとジョルジョ・バザーリは伝えているが,初期の経歴は不明。アッシジサン・フランチェスコ聖堂ローマ派の画家や,チマブーエのあとをうけて制作した壁画『旧・新約聖書絵伝』中の 3面が 1290年代の真作と認められている。同じく『聖フランチェスコ伝』連作はバザーリ以来一般にジョット作として知られているが,賛否論争が絶えない。確実視されるジョット作品は,1305年に献堂されたパドバスクロベーニ礼拝堂内の『イエスと聖母の生涯』の連作フレスコ,ベルリン国立美術館(絵画館)所蔵の『聖母マリアの死』およびウフィツィ美術館所蔵の『オーニサンティの聖母』など。また,サンタ・クローチェ聖堂バルディ家礼拝堂に描いた『聖フランチェスコ伝』の連作フレスコ,およびペルッツィ家礼拝堂に描いた『洗礼者および福音記者ヨハネの生涯』の連作フレスコは 1317年以後に制作されたもので,いわゆる「ジョッテスキ」の画境の進展が認められる。1334年にはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂建築監督となっている。ジョットの設計になる美しいカンパニーレは特に有名である。

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デジタル大辞泉の解説

ジョット(Giotto di Bondone)

[1266ころ~1337]イタリアの画家。奥行きのある空間と劇的な人間像の表出で中世末期の生硬な定型を脱し、ルネサンスへ至る絵画の新境地を開いた。彫刻・建築でも活躍。

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百科事典マイペディアの解説

ジョット

イタリアの画家,建築家。フィレンツェの近郊に生まれ,主としてアッシジ,フィレンツェ,ローマ等で活躍。チマブエの弟子と伝えるが,不明。純造形的にも,図像学的にも,イタリア絵画をビザンティン文化の伝統から解放した最初の人として,イタリア絵画史上きわめて重要である。
→関連項目パドバピサーノピサーノフィレンツェ派マサッチョマルティーニロレンツェッティ[兄弟]

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世界大百科事典 第2版の解説

ジョット【Giotto di Bondone】

1267ころ‐1337
イタリアの画家,建築家。三次元的空間に,量感をそなえ,精神的性格づけをほどこされた人物像を配して現実感のある画面を構成し,西洋近代美術の創始者とみなされる。フィレンツェ近郊のコレ・ディ・ベスピニャーノColle di Vespignanoに生まれ,最初チマブエの工房で修業をし,次いでローマに行き,カバリーニや古代の美術,またアルノルフォ・ディ・カンビオの彫刻に触れ,研鑽を積む。最初期の作品として,フィレンツェ洗礼堂モザイクのための下絵をあげる史家もいるが,一般的には1290年前後の作になるアッシジのサン・フランチェスコ教会上堂に描いた新・旧約聖書に主題をとる数場面とされる。

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大辞林 第三版の解説

ジョット【Giotto di Bondone】

1266頃~1337頃) イタリアの画家・建築家。生硬なビザンチン美術から抜け出し、人物・背景に現実感をもたせた画風で、近代絵画の基礎を確立。以後のルネサンス画家に多大な影響を与えた。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジョット
じょっと
Giotto di Bondone
(1266ころ―1337)

イタリアの画家、建築家。フィレンツェ派絵画の基礎を築き、イタリア絵画、ひいてはヨーロッパ近代絵画の創始者とたたえられる。フィレンツェ近郊の小村ベスピニャーノに生まれる。貧しい少年ジョットが、羊の番をしながら羊の絵を描いていると、通りかかったチマブーエがその才能に驚き、連れて帰って弟子とした、というギベルティの伝えるエピソードは有名である。この話の真偽はさておき、ジョットがチマブーエのもとで画業を学んだ可能性は大きいといえる。しかし、ジョットの作風形成には、ピエトロ・カバリーニなどの活躍で当時高い水準に達していたローマ派の影響も重要である。また、古代やフランスゴシック美術の影響を受けたアルノルフォ・ディ・カンビオやジョバンニ・ピサーノの彫刻からも刺激を受けたと思われる。つまり、ジョットはイタリアの中世美術の優れた成果を吸収し、イタロ・ビザンティンとよばれる当時の絵画に、空間性と写実性を吹き込んで一大変革を成し遂げ、その後のイタリア絵画、そしてヨーロッパ絵画を方向づけたといっても過言ではない。こうしたジョット絵画の背景となったのは、都市市民層の勃興(ぼっこう)、その市民たちの心をとらえた聖フランチェスコ以来の宗教運動、そしてフレスコ画技法の発展などをあげることができる。
 初期の活動には不明な点が多いが、この時代の作品としては、フィレンツェのサンタ・マリア・ノベッラ聖堂の『磔刑図(たっけいず)』とサン・ジョルジョ・アッラ・コスタ聖堂の『聖母子と天使』が、多くの学者に真筆と認められている。アッシジのサン・フランチェスコ聖堂上院の『旧約伝』の一部と『聖フランチェスコ伝』壁画は、その帰属に関する議論がいまだ決着をみず、イタリア美術史上の難題の一つといえる。イタリア人を中心に多くの学者はジョットの作と主張するが、おもにイギリス、アメリカ人学者による強い反論があるからである。ともあれ、ジョットの最大の作品がパドバのアレーナ礼拝堂(スクロベーニ礼拝堂)の『マリア伝とキリスト伝』壁画(1303~05)であることは疑う余地がない。この小礼拝堂の壁画群は西洋美術史の一大金字塔で、生き生きと描かれた物語にみる人間性と宗教性の融和は、並はずれた造形感覚に支えられて、高い芸術的境地に達している。フィレンツェに残された作品としては、『栄光の聖母』(ウフィツィ美術館)、サンタ・クローチェ聖堂のバルディ、ペルッツィの両礼拝堂の壁画が重要である。ジョットは広い名声を博し、大工房を営み、このほかにも各地の注文に応じていた。ローマ、リミニ、ナポリ、ミラノなどで、教皇や君主のために制作に携わったことが知られている。しかし残念ながら、今日残る遺品は少ない。さらに、1334年にはフィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)の主任建築家に任ぜられ、鐘塔の建設にあたり、同地で没した。[石鍋真澄]
『サレス・エイマール著『巨匠の世界 ジョット』(1970・西武タイム) ▽佐々木英也解説『世界美術全集1 ジオット』(1978・集英社)』

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世界大百科事典内のジョットの言及

【アッシジ】より

…聖人の遺体を安置したサン・フランチェスコ修道院教会(1228‐53)は,上下2堂からなる独特の重層形式による,イタリア初期ゴシック様式を示す。上堂には,G.チマブエ,ローマ派のJ.トリーティの壁画,特にジョット筆とされる28場面からなる《フランチェスコ伝》があり,下堂には,ジョット派のほかに,シエナ派のS.マルティーニ,ピエトロ・ロレンツェッティの壁画がある。これら13世紀末から14世紀の巨匠たちの壁画は,近世絵画発展の端緒となった重要な作品である。…

【イタリア美術】より

…彫刻では,東方貿易によって最も活気あるピサがニコラ・ピサーノ,ジョバンニ・ピサーノを生み,古代ローマ石棺彫刻に見られた激情的な人間像を再生させている。
【ルネサンス】
 1337年に没したジョットは,パドバのスクロベーニ礼拝堂の〈キリスト伝〉において,初めて自己の意志で空間の中に立つ人物とその環境とを描き出した。ルネサンス(イタリア語ではリナシメントRinascimento)の美術はここから始まるといってよい。…

【遠近法】より

…ロジャー・ベーコンは《大著作(オプス・マユス)》(執筆1266‐68)で,古代とイスラム世界の技法を,神の調和的世界とその恩寵の遍在についての証明に利用している。したがって,ジョットはフランシスコ会の調和的・汎神論的世界観の影響下にアッシジで描いたフレスコにおいて,ポンペイ風の遠近法を復活させたが,そこには,外界への新たな関心と同時に,ベーコンに代表される,神の秩序への倫理的な証明として整合性ある空間を価値あるものとする,このような伝統があったためと考えることができる。 厳密な線的遠近法の成立は15世紀のブルネレスキによって行われた。…

【ゴシック美術】より

…イタリア美術復興のさきがけをする彫刻家ニコラ・ピサーノとその子ジョバンニの芸術には,古代彫刻の影響とともに,ゴシック彫刻とその新気運の影響があった。ジョバンニの情熱には新興イタリア都市の誇らかな人間的自覚があり,これが開花するのがジョットの芸術であった。ジョットに先だって,イタリア絵画復興の気運はフィレンツェのチマブエ,カバリーニらのローマ画派にうかがわれ,彼らとともにジョットもたずさわったアッシジのサン・フランチェスコ教会壁画制作は画期的な事件であった。…

【サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂】より

…ラテン十字形平面をもつ3廊式教会堂であるが,八角形の大交差部を囲む方形祭室によって内陣と翼廊を同形とした集中的構成はゴシック教会堂として前例のない斬新さを示す。1331年以降,工費を負担しえなくなった司教にかわって同市の羊毛組合が工事を主導し,14世紀を通じてジョット,アンドレア・ピサーノ,フランチェスコ・タレンティ,ジョバンニ・ラポ・ギーニらが建築主任として市の威信と栄光をかけたこの大建設事業を進めた。ジョットの設計,監督によって34年に起工され,その没後A.ピサーノとF.タレンティによって完成された鐘楼(いわゆる〈ジョットの鐘楼〉。…

【肖像】より

…中世美術はこの傾向をさらにおし進め,聖俗の権威者の肖像をその身分や職能を意味する服装,持物で類型として示し,名前を記すことで個人と結びつけた。肖似性が再び問題となるのは14世紀で,世紀初頭ジョットが描いた《最後の審判》図中の寄進者スクロベーニの像が早い例であり,世紀半ばには独立性と肖似性において現存最古の近代的肖像画といいうる例が,フランスとボヘミアに見いだされる。 中世末期から再び強まってきた現実への関心は,ルネサンスにはいるとさらに勢いを得て,自画像を含めた写実的肖像の制作は著しく活発となる。…

【フィレンツェ派】より

…おもに14世紀初頭から16世紀中葉にかけての人々を指す。まず,16世紀の美術史家バザーリによって,中世に衰退した芸術を〈再生〉した人々の筆頭にあげられている,13~14世紀の画家チマブエとジョットは,ビザンティン美術の影響からイタリアの絵画を解放した。とくにジョットは,三次元的ボリュームをもった肉体の描出,人間の感情と行為の表現,空間の暗示などの点で,〈真実〉の合理的表現に向かうルネサンス絵画の基本的な方向を決定した。…

※「ジョット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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